この記事は
山田五郎さんのYoutubeチャンネルである
「山田五郎オトナの教養講座」より、
動画の内容を文字に起こして
解説していくものです。
第17回目のタイトルは
【快楽の園ってなんなの?】
今回はボスの作品についてです。
まだ動画をみてない方は
是非ご覧になって下さい。
文字の方が理解しやすい方は
ぜひ最後までお付き合いください。
快楽の園ってなんなの?
今作はヒエロニムス・ボスが
1510~1515年頃(諸説あり)に制作した
「快楽の園」という三連祭壇画です。
ボスは現在でいうオランダの画家で、
イタリアのダヴィンチとほぼ同時期に
活躍した人物です。
独創的な怪物を多く描いたことでも有名で
山田さんはボスのことを、
オランダの水木しげると呼んでいるそうです。
今回はそんなボスの代表作である
「快楽の園」は一体なにを描いているのか?
という興味深いテーマです。
三連祭壇画とは?
三連祭壇画とは3つの絵(板)で
分けられた絵画作品のことを指し、
蝶番で折り畳めるのが特徴です。
通常、真ん中の絵が1番大きくて
3枚の絵には関連性があります。
三連祭壇画を畳むと扉のようになり、
そこには物語のプロローグが
描かれていることが多いです。
↑は快楽の園を閉じた様子で
天地創造の場面が描かれています。
開くと↑のような状態になり、
左から右へ時間が経過するように
描かれています。
左のパネルには天地創造後の楽園、
アダムとイブが描かれます。
ここでアダムとイブは蛇に唆されて、
禁じられた知恵の実を食べてしまい
楽園を追放されることになります(原罪)。
キリスト教においてアダムとイブが神の命令に背き、「知恵の実」を食べてしまった人類最初の罪のこと
中央パネルには楽園追放後、
神話の後の現在(歴史上)の話が
描かれます。
にしても今作のは摩訶不思議というか、
本当に現在の話なのか?
といった感じですね(後述)。
右パネルは未来が描かれており、
最後の審判がテーマです。
人類最後の日に天国と地獄に
振り分けられるのが最後の審判ですが、
ボスの絵には地獄の場面しか
描かれていません。
ここも不思議ですね。
以上が連なったのが楽園の園です。
この作品から、
- 人類には原罪があるから(左)
- 生きてるうちに償わないと(中央)
- 地獄に落ちる(右)
という教訓が得れるようになっています。
三連祭壇画の多くが同じ構成・教訓になっている
気になるポイント
ではここから再度、
1枚ずつポイントを見ていきます。
まずはアダムとイブの場面。
アダムの肋骨から作られたイブは
神に手を取られてアダムと
初めて顔合わせをしています。
絵の中央右手には
知恵の実のなる木と蛇がいます。
これから原罪が始まるのでしょうか。
アダムとイブは知恵の実を食べた後、
自分たちが裸でいることを恥じ、
いちじくの葉で体を隠します。
アダムとイブ(原罪)の場面は、
- 知恵の実を食べている場面
- 楽園を追放されている場面
が一般的なのですが、
ボスの作品では実を食べる前という
珍しいパターンになっています。
続いて中央パネル。
通常ここには人類の歴史が
描かれるのですが、
今作はとても人類の歴史に見えません。
- なぜ、みんな裸?
- イエスやマリアが描かれていない
- 人工物が1つもない
- 楽園追放後なのに楽園っぽい
不思議なポイントがたっぷりです。
更に中央パネルでも
知恵の実の木が生えており、
食べている人もいます。
これだと楽園追放後ではなく、
楽園の場面が続いていることに
なってしまいます。
そして最後の右パネル。
地獄しかない最後の審判。
ここには奇妙な怪物が
たくさん描かれています。
中央にいる通称「樹幹人間」は、
身体の中が居酒屋になっており、
顔はボスの自画像といわれています。
その下にはたくさんの楽器があります。
これは通称「音楽地獄」と呼ばれます。
音楽が地獄?となりますね。
音楽地獄の右には地獄の王子がいます。
これは堕天使ルシファーと呼ばれており、
キリスト教は一神教のため、
悪魔も「地獄に落とされた天使」と
解釈されます。
地獄でルシファーは、人を食べては排泄を
繰り返しているのです。
ただ、ボスの描いたルシファーは
あまり怖い見た目じゃありませんね。
このように、ボスの三連祭壇画は
伝統的でありながらも
かなり独特な作品になっています。
中でも特に不可解なのが、
メインとなる中央パネルです。
これらは一体…
どのように解釈すればよいのでしょうか?
異端「アダム派祭壇画」説
山田さんは快楽の園の解釈について、
「アダム派の祭壇画ではないか」とする説を
説明します。
アダム派とは2世紀~3世紀に
北アフリカに存在したカルト宗教で、
中世ヨーロッパで一時的に復興しました。
アダム派の目的は
「アダムとイブ以前の生活に戻る」こと。
つまり原罪以前の生活に戻ることを掲げ、
元祖ヌーディストでもあります。
他にも結婚に意義は無いものとし、
男女が自由に交わることも掲げています。
山田さんはそんなアダム派のことを
元祖ヒッピーと呼んでいました。
それらを踏まえると、
中央パネルの見え方が変わってきます。
全員が裸で、人工物が一切ないのは
アダム派の目指した世界なのではないか?
と解釈できます。
左パネルで知恵の実を食べていないのも、
原罪以前に戻ることの現れと解釈できます。
そして現在→未来となるのは、
現在でも知恵の実を食べてしまったら、
地獄に落ちるという教訓と解釈できます。
地獄に文明物があったのも、
アダム派にとっては悪だからですね。
ところが、
一般的にこのアダム派祭壇画説は
否定されているようなのです。
アダム派説なぜ否定?
今作はボスが亡くなった際、
ナッサウ伯爵家が所有していたことが
わかっています。
その後、現在のオランダはスペイン領となり
アルバ公3世が快楽の園を没収し、
スペインへ持ち帰りました。
そしてフェリペ2世が今作を買い、
エル・エスコリアル修道院に入るなどして
現在はプラド美術館にあります。
ここで重要なのが、
スペインの名門であるハプスブルク家は
厳格なカトリックであるということ。
そんなハプスブルク家が所有した作品が
異端のアダム派の祭壇画のはずがないと
するのがアダム派否定説です。
ちなみにアルバ公3世やフェリペ2世は
変わった絵が好きだったようで、
スペイン・プラド美術館には
やたらと怪物の絵が多いのだそう。
ですので、宗教上のことはなにも考えずに
異端の絵を購入して保有した可能性も
もしかするとあるのかもしれません。
まとめ
✓伝統的な三連祭壇画だが、
かなり変わっている作品
✓異端であるアダム派の世界を
描いているのかもしれない
✓一般的にアダム派説は否定されている
次回はルーベンスの作品についてです。
→伝統的な三連祭壇画
→内容はかなり変わってる
→異端アダム派の祭壇画説
→ハプスブルク家が関係