この記事は
山田五郎さんのYoutubeチャンネルである
「山田五郎オトナの教養講座」より、
動画の内容を文字に起こして
解説していくものです。
第15回目のタイトルは
【ゴッホは自殺か他殺かそれとも…?】
今回はゴッホの死の真相についてです。
まだ動画をみてない方は
是非ご覧になって下さい。
文字の方が理解しやすい方は
ぜひ最後までお付き合いください。
ゴッホは自殺か他殺かそれとも…?
![フィンセント・ファン・ゴッホ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/Vincent_Willem_van_Gogh_106-1-265x300.jpg)
今回はゴッホの死の真相のお話です。
前回までの話を見ていない方は
そちらからご覧ください。
![「アルルの病院の中庭」](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/605px-Van_Gogh_-_Garten_des_Hospitals_in_Arles1-1-300x238.jpeg)
耳切り事件の後、
フェリックス・レイ医師の世話になり
退院したゴッホでしたが
弟テオの結婚やルーラン夫妻の転勤、
近隣住民の署名活動などにより
遂に精神病院へ入院することを決めます。
1889年5月のことでした。
そしてこの頃から
ゴッホの絵はどんどん歪んでいく
ことになります。
![星月夜](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/06/Van_Gogh_-_Starry_Night_-_Google_Art_Project-300x238.jpg)
こちらは有名な「星月夜」という作品。
現代の私たちからすれば違和感もなく、
「わざとこういう描き方をしたんだな」と
感じる人も多いでしょう。
しかしゴッホはこれを
「見たまんま」描いているのです。
つまりゴッホには風景が本当に
絵のように見えていたのです。
(精神疾患由来の視覚異常です)
![二本の糸杉](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/12/560px-Van_Gogh_-_Zypressen-1-233x300.jpeg)
ゴッホはこの時期に糸杉をテーマにした
絵もいくつか描いていますが、
その糸杉の形も歪んでいます。
これらの表現は本人は無自覚ですが、
後のフォーヴィズムの画家たちに
影響を与えることになります。
ゴッホにブレイクの兆し?
ゴッホが精神病院に入院してから
半年くらい経ったころ、
実はゴッホにブレイクの兆しが
みえてきます。
![タンギー爺さん](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/06/372px-Vincent_Willem_van_Gogh_095-1-233x300.jpg)
きっかけは画材屋を営んでいた
タンギーさんのもとに
アルベール・オーリエと呼ばれる
新進気鋭の美術評論家が来店。
そこでゴッホの絵を見た
オーリエはゴッホの絵を絶賛し、
メルキュール・ド・フランスという
文芸誌に彼のことを載せたのです。
![赤い葡萄畑](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/12/616px-Red_vineyards-1-300x234.jpg)
そして「赤い葡萄畑」という作品が
初めて売れたのでした。
![花咲くアーモンドの木の枝](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/12/595px-Van_Gogh_-_Bluhende_Mandelbaumzweige-1-300x242.jpeg)
こちらの作品はテオに子供が生まれ、
その出産祝いに描いた作品です。
描いた対象があまり歪んでいません。
ゴッホのことを評価する人が出てきた
この時期は、彼の精神も落ち着いていた
ようです。
そして1890年の5月、
ゴッホに退院の許可がおります。
退院したゴッホはテオのいる
パリに行きました。
ところが、その4日後に
すぐパリを出てしまうのです。
パリを出たゴッホ
パリを出たゴッホは
オーヴェルという地に向かいます。
![ゴーギャン](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/Paul_Gauguin_-_Self_Portrait_1903_-_Kunstmuseum_Basel_1943-1-172x300.jpg)
![エミール・ベルナール](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/12/Paul_Serusier_Portrait_dEmile_Bernard_a_Florence_1893-1-228x300.jpg)
ゴッホがパリを出た理由については
定かではありませんが、
山田さんによるとゴッホが親友と
思っていたゴーギャンやベルナール
が来てくれなかったことが原因では
ないかと考えられているそうです。
![医師ガシェの肖像](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/12/599px-Vincent_van_Gogh_-_Dr_Paul_Gachet_-_Google_Art_Project-1-250x300.jpg)
そしてオーヴェルという地で
精神科医のガシェに出会います。
このガシェは美術が好きな人物で
ゴッホを認めてくれる人物の1人でした。
しかしガシェもクセのある人物だったのか、
「俺よりあいつの方が病気だ」と書かれた
ゴッホの手紙が残っているそうです。
![オーヴェルの教会](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/12/572px-Leglise_dAuvers-sur-Oise-1-238x300.jpg)
この時期に描いた作品です。
また少し、歪み始めています。
そしてオーヴェルにきて
2カ月経った7月27日。
滞在していた宿で昼食を食べた後、
画材をもって外出したゴッホ。
夜に宿に戻ってくると
手ぶらで腹から血を流した状態
だったそうです。
宿の主は心配しますが、
本人は「大丈夫」とだけ言い残し
部屋へと行ってしまいます。
しかし心配な宿の主は
たまたまオーヴェルで休暇を取っていた
産婦人科の医師とガシェを頼ります。
診察するとゴッホの腹は
銃で撃たれていることが発覚。
内臓はさほど損傷していませんでしたが、
弾が中に残ったままだといけないので
手術をした方がよいと判断されます。
ところが両医師とも専門外なので
とりあえず応急処置だけ済まし、
パリにいるテオに連絡を入れました。
![テオドルス・ファン・ゴッホ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/12/538px-Vincent_van_Gogh_Portrait_of_Theo_van_Gogh_1887-1-224x300.jpg)
翌日、すぐにテオが来ますが
その時のゴッホは元気だったようです。
テオはその日泊り、
夜通しゴッホと話をしていました。
ところが翌日の7月29日。
様態が悪化したゴッホは帰らぬ人になります。
ゴッホ自殺説?
![カラスのいる麦畑](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/12/640px-Vincent_van_Gogh_-_Wheatfield_with_crows_-_Google_Art_Project-1-300x143.jpg)
ここで気になるのが、
誰がゴッホを撃ったのかです。
現在、有力視されている説の1つが
ゴッホ自殺説です。
ゴッホが自殺する少し前の7月6日。
テオのもとを訪ねたゴッホは
テオの妻であるヨハンナに色々
小言を言われたそうです。
![ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/12/Johanna_Bonger-1-229x300.jpeg)
その内容はやはり金銭のこと。
子供も生まれ、お金が必要だった
ヨハンナにとって夫の兄にまで
資金を回す余裕はなかったのでしょう。
そのことにショックを受けたゴッホは、
耳切り事件の時と同様
いわゆる「かまってほしい」気持ちが
高ぶって自ら腹を撃ったのではないかと
するのが自殺説です。
テオ家に見放されることを恐れて自分で撃った
ところがこの説には謎が残ります。
それは、
拳銃はどこからきてどこへ消えたのか
ということ。
絵具を買うお金さえないゴッホが
どうやって拳銃を手に入れたのか。
ゴッホが拳銃を所持していたという
記録もありません。
しかもこの事件のあともゴッホを
撃った拳銃は見つかっていません。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/12/handgun-g5b62d0e6c_640-1-300x169.jpg)
また、もし自殺だとすれば
ゴッホは至近距離でお腹を撃ったはず。
そうすれば弾は体を貫通するはずです。
ゴッホ他殺説
ゴッホ自殺説にはいくつかの
謎が残ってしまいます。
そこで新たに考えられている説が
ゴッホ他殺説です。
もっと詳しく言うと、
悪ガキに撃たれた説です。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/12/child-gf27ca061f_640-1-300x200.jpg)
このオーヴェルという地は
パリから避暑地として休暇をとる
人々が多い場所でした。
(産婦人科の医師もそうです)
その中に貧相な格好をした
ゴッホのことをからかっていた
悪ガキ一味がいたそうです。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/12/pistol-gd5dd2b27e_640-1-300x135.jpg)
そしてその悪ガキ一味の中で
流行っていたのがカウボーイでした。
当時、パリ万博で大西部劇場という
アメリカ西部をテーマにした展示が
行われたことがブームのきっかけです。
一味はカウボーイ姿でよく遊んでおり、
拳銃も持っていたことがわかっています。
しかもこの悪ガキたちは
事件のあとすぐパリに帰っていることも
判明しており、どうやらこのことが
ゴッホ他殺説を有力視する理由のようです。
![炎の人ゴッホ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/12/71tsQHBmDL._AC_SL1000_-1-212x300.jpg)
悪ガキのリーダー格だった人物は
1956年に公開された映画
「炎の人ゴッホ」を見た際に、
「告白したいことがある」と
コメントしており、
「僕はゴッホの最後の日を知っている」
「あの拳銃は僕のものだ」
「その拳銃でゴッホが自分で撃った」
と話しているそうです。
(さすがに自分で撃ったとは言えなかった)
悪ガキ一味が遊び半分で撃った
まとめ
![カラスのいる麦畑](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/12/640px-Vincent_van_Gogh_-_Wheatfield_with_crows_-_Google_Art_Project-1-300x143.jpg)
✓視覚異常で歪んだ絵を描いたゴッホ
✓退院後はオーヴェルで過ごしていた
✓カウボーイ姿の悪ガキ一味に撃たれた
他殺説が本当だった場合、
ゴッホは子供たちを庇ったことに
なります。
ゴッホの性格を考えると、
その可能性は大いにあります。
そう考えると、
なんとも切ない最後ですね。
あなたはゴッホの最後を
どのように考えますか?
次回はマネの作品についてです。
✓精神科に入院したゴッホ
✓一時はブレイクの兆しが…
✓カウボーイの子供に撃たれた?