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「最後の審判」皮を剥がれた男のナゾ/山田五郎オトナの教養講座⑩

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記事の要約

超多忙だったミケランジェロ

✓ダヴィンチとは対照的

フラフラになりながら描いた

 

この記事は
山田五郎さんのYoutubeチャンネルである
「山田五郎オトナの教養講座」より、
動画の内容を文字に起こして
解説していくものです。

第10回目のタイトルは
【「最後の審判」皮を剥がれた男のナゾ

今回はルネサンスの巨匠、
ミケランジェロの作品についてです。

まだ動画をみてない方は
是非ご覧になって下さい。

 

 

文字の方が理解しやすい方は
ぜひ最後までお付き合いください。


最後の審判「皮だけ男」のナゾ

 

ミケランジェロ
ミケランジェロ

盛期ルネサンス時代に活躍した
芸術家ミケランジェロ。

彼の代表作の1つに「最後の審判」
があります。

 

最後の審判
最後の審判

今回はこの作品の中のある部分に
対する疑問についてです。

ある部分とは、
中央に君臨するキリストの
右下に位置している、

 

この皮だけの男のことです。

まず、皮を手にしている人物は
聖バルトロマイと呼ばれ
インドやアルメリアに宣教した人物です。

彼は捕まった後に皮剥ぎの刑に処されて
殉教したことから、自分の皮とナイフを
もった姿で描かれています。

しかし、聖バルトロマイの持つ皮は
自分の皮のはずなのに全然似ていませんね。

 

ミケランジェロ

実はこの皮はミケランジェロ自身
描いたものといわれています。
(自画像と見比べると似ています)

しかしなぜミケランジェロは作中に
自分の皮だけになった姿を
描いたのでしょうか?

なぜ自分を皮だけ姿で描いた?

 

最後の審判

その理由を理解するには
もう少し制作者のことを
知る必要があります。

ミケランジェロは盛期ルネサンスに
活躍した芸術家で、
よくレオナルド・ダ・ヴィンチと
並んで紹介される人物でもあります。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチ

ところがミケランジェロからすれば
そのことがとても不本意だと山田さんは
推察しています。

なぜなら前回、
ダヴィンチは超がつく完璧主義で
頼まれた仕事を終わらせることができない
エピソードを紹介しました。

モナ・リザはなぜ怖い?

 

ダヴィンチが残した作品が14~15点に対し、
ミケランジェロはその数百倍の作品があります。

今回の作品も
縦約13.7m×横約12mもある巨大な作品です。

サイズならこの「最後の審判」だけで
ダヴィンチが残した全ての作品を足した
面積より大きいのです。

 

ピエタ
ピエタ
ダヴィデ
ダヴィデ

しかも彼は彫刻家としての活躍もあり、
彫刻の方でもかなり大型の作品を
残しています。

 

システィーナ礼拝堂の天井装飾
システィーナ礼拝堂の天井装飾

最後の審判を描く前には
システィーナ礼拝堂の天井画という
仕事までも彼はこなしています。
(天井画は縦約40m×横約14m)

つまり、ミケランジェロは
ダヴィンチと比べ物にならないくらい
仕事をしたのです。

彼のその仕事の早さと正確さは
イル・ディビーノ(神のごとき人)
称されるほどでした。

これがダヴィンチと並んで
紹介されるのを不本意と思った理由です。

 

ちなみにシスティーナ礼拝堂は
ローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿に
ある礼拝堂で、最も格式高い礼拝堂です。
(お金持ちは個人の礼拝堂を持っています)

 

壁面の部分には
師匠のギルランダイオやペルジーノ、
ボッティチェリといった錚々たる
人物たちの絵が並んでいます。

彼はその上に絵を描いたのですから、
いかに芸術家として認められていたかが
わかりますね。

超多忙なミケランジェロ

 

最後の審判

そんな彼のもとには仕事が殺到しました。

しかもその多くがローマ教皇のような
身分の高い人物たちからの依頼です。
(断りにくい仕事ばかり…)

山田さんはこの状況を
「逆に不幸ですよ」と漏らしています。

 

ユリウス2世
ユリウス2世

1503年に当時のローマ教皇であった
ユリウス2世からお墓を作る依頼がきます。

 

モーセ
モーセ

画像のモーセ像はユリウス2世の
お墓の彫刻の一部として有名です。

気まぐれだったユリウス2世は
お墓に加えて天井画の依頼もし、
その依頼で制作したのが
システィーナ礼拝堂の天井画です。
(一度お墓の作業は中止します)

 

当初ミケランジェロは6人ほど
助手を連れてこの仕事を始めましたが、
途中で全員クビにして
ほとんど1人で完成させたといわれています。

台座を組み、上を見上げて窮屈な姿勢で
描く天井画は、奥にいくほど慣れてきて
絵が上手くなっているそうです。

そして天井画の完成の翌年
ユリウス2世は亡くなり、
再度お墓の仕事に取り掛かります。

 

レオ10世
レオ10世

ところが次にローマ教皇になった
レオ10世は、ミケランジェロの故郷
フィレンツェのメディチ家出身の教皇で、
彼にメディチ家のお墓も作るように
依頼したのでした。

 

メディチ家礼拝堂
メディチ家礼拝堂

レオ10世の依頼を優先したので、
ユリウス2世のお墓の作業は
再び先送りにされ、彼は遺族から
訴えられるなど散々な状況になります。

 

クレメンス7世
クレメンス7世

1533年にメディチ家礼拝堂が完成すると
また当時のローマ教皇クレメンス7世は
システィーナ礼拝堂に最後の審判を
描くよう依頼します。

激務に次ぐ激務。

当初ミケランジェロは最後の審判の
依頼を断ったそうです。

それは仕事を少し休みたい想いの他に、
最後の審判を描く前の壁画には
ペルジーノの「聖母被昇天」
あったからでした。

 

聖母被昇天
ペルジーノ「聖母被昇天」

しかしクレメンス7世は彼の希望を
聞きませんでした。

仕方なく仕事にかかった
ミケランジェロでしたが既に体は
ボロボロの状態でした。

有名な作品だけど…

 

最後の審判

キリスト教では最後の日になると
死者が蘇り、再臨したキリストによって
天国に行くか地獄に行くかの審判を受ける
とされています。

最後の審判はその場面を描いたものです。

ミケランジェロの作品では左側が天国、
右側が地獄を表現しているとされています。

ところがイマイチその境がわかりにくく、
山田さんは「天国にいる人も苦しそうに
描かれている」と話されます。

 

天国部分の拡大図

たしかに体が歪んでおり、
ルネサンス絵画に特徴的な
調和のとれた安定した表現では
ないことがわかります。
(この特徴は後のマニエリスムに継承)

当時からこの作品は
テリビリタ(怖い、凄まじい)と
称されました。

 

そして今回のテーマである
皮だけの男。

ここにはミケランジェロの
「もうフラフラです…」という
心情が表現されています。

この天井画が完成したのが1541年。
ミケランジェロは66歳くらいです。

 

最後の審判「皮だけ男」のナゾ

超多忙で「もうフラフラです…」という心情を表現したもの

最後の審判の裏話

 

動画の終盤、
山田さんは今作に関する
面白い話を教えてくれました。

 

それは作品右下にいる
地獄の裁判官ミノスについてです。

このミノスの顔のモデルになったのが
チェゼーナ儀典長という人物です。

もともと今作は登場人物全員が
全裸で描かれており、
チェゼーナ儀典長はそのことを非難し、
ミケランジェロに対して「着衣をさせよ」
と勧告を出していました。

ミケランジェロはこれを拒否し、
自分の芸術を理解しなかった儀典長を
地獄に描き、さらには悪魔と馬鹿の象徴
であるロバの耳と罪の象徴である蛇を
体に巻き付かせたそうです。
(蛇は性器に嚙みついています)

チェゼーナ儀典長の方も頑なに
全裸だらけの絵を認めようとはせず、
ミケランジェロの亡くなる少し前に
彼の弟子であるヴォルテッラに
衣類を描かせました。

 

ミケランジェロ

ヴォルテッラはこの肖像画を描いた
人物でもあります。

最後の審判の修正作業を行った後、
ヴォルテッラは
イルブラゲットーニ(腰巻き野郎)
というあだ名を付けられたそうです。

まとめ

 

最後の審判
まとめ

超多忙だったミケランジェロ

フラフラの状態で描いた最後の審判

✓皮だけの男は自身の心情を表現したもの

今回はミケランジェロの作品についてでした。

超多忙なミケランジェロからすれば
ダヴィンチがいかに仕事をせずに
気楽だと感じていたかが
わかる気がしますね。

ミケランジェロはダヴィンチより
23歳も年下でしたが、
よくダヴィンチのことをディスって
いたそうですよ(汗)

次回は鳥獣人物戯画についてです。

 

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