この記事は
山田五郎さんのYoutubeチャンネルである
「山田五郎オトナの教養講座」より、
動画の内容を文字に起こして
解説していくものです。
第10回目のタイトルは
【「最後の審判」皮を剥がれた男のナゾ】
今回はルネサンスの巨匠、
ミケランジェロの作品についてです。
まだ動画をみてない方は
是非ご覧になって下さい。
文字の方が理解しやすい方は
ぜひ最後までお付き合いください。
最後の審判「皮だけ男」のナゾ
![ミケランジェロ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/10/415px-Miguel_Angel_por_Daniele_da_Volterra_detalle-259x300.jpg)
盛期ルネサンス時代に活躍した
芸術家ミケランジェロ。
彼の代表作の1つに「最後の審判」
があります。
![最後の審判](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/599px-Michelangelo_Giudizio_Universale_02-1-1-250x300.jpg)
今回はこの作品の中のある部分に
対する疑問についてです。
ある部分とは、
中央に君臨するキリストの
右下に位置している、
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/599px-Michelangelo_Giudizio_Universale_02-1-300x191.jpg)
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/420px-Last_judgement-1-175x300.jpg)
この皮だけの男のことです。
まず、皮を手にしている人物は
聖バルトロマイと呼ばれ
インドやアルメリアに宣教した人物です。
彼は捕まった後に皮剥ぎの刑に処されて
殉教したことから、自分の皮とナイフを
もった姿で描かれています。
しかし、聖バルトロマイの持つ皮は
自分の皮のはずなのに全然似ていませんね。
![ミケランジェロ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/10/415px-Miguel_Angel_por_Daniele_da_Volterra_detalle-259x300.jpg)
実はこの皮はミケランジェロ自身を
描いたものといわれています。
(自画像と見比べると似ています)
しかしなぜミケランジェロは作中に
自分の皮だけになった姿を
描いたのでしょうか?
なぜ自分を皮だけ姿で描いた?
![最後の審判](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/599px-Michelangelo_Giudizio_Universale_02-1-1-250x300.jpg)
その理由を理解するには
もう少し制作者のことを
知る必要があります。
ミケランジェロは盛期ルネサンスに
活躍した芸術家で、
よくレオナルド・ダ・ヴィンチと
並んで紹介される人物でもあります。
![レオナルド・ダ・ヴィンチ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/10/308px-Leonardo_da_Vinci_-_presumed_self-portrait_-_WGA12798-1-193x300.jpg)
ところがミケランジェロからすれば
そのことがとても不本意だと山田さんは
推察しています。
なぜなら前回、
ダヴィンチは超がつく完璧主義で
頼まれた仕事を終わらせることができない
エピソードを紹介しました。
ダヴィンチが残した作品が14~15点に対し、
ミケランジェロはその数百倍の作品があります。
今回の作品も
縦約13.7m×横約12mもある巨大な作品です。
サイズならこの「最後の審判」だけで
ダヴィンチが残した全ての作品を足した
面積より大きいのです。
![ピエタ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/10/458px-Michelangelos_Pieta_5450_cropncleaned-286x300.jpg)
![ダヴィデ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/10/360px-Michelangelos_David-225x300.jpg)
しかも彼は彫刻家としての活躍もあり、
彫刻の方でもかなり大型の作品を
残しています。
![システィーナ礼拝堂の天井装飾](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/10/640px-Lightmatter_Sistine_Chapel_ceiling-300x225.jpg)
最後の審判を描く前には
システィーナ礼拝堂の天井画という
仕事までも彼はこなしています。
(天井画は縦約40m×横約14m)
つまり、ミケランジェロは
ダヴィンチと比べ物にならないくらい
仕事をしたのです。
彼のその仕事の早さと正確さは
イル・ディビーノ(神のごとき人)と
称されるほどでした。
これがダヴィンチと並んで
紹介されるのを不本意と思った理由です。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/540px-Musei_vaticani_cappella_sistina_retro_02-1-225x300.jpg)
ちなみにシスティーナ礼拝堂は
ローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿に
ある礼拝堂で、最も格式高い礼拝堂です。
(お金持ちは個人の礼拝堂を持っています)
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/640px-Sistine_Chapel_North_and_East_Walls-1-300x200.jpg)
壁面の部分には
師匠のギルランダイオやペルジーノ、
ボッティチェリといった錚々たる
人物たちの絵が並んでいます。
彼はその上に絵を描いたのですから、
いかに芸術家として認められていたかが
わかりますね。
超多忙なミケランジェロ
![最後の審判](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/599px-Michelangelo_Giudizio_Universale_02-1-1-250x300.jpg)
そんな彼のもとには仕事が殺到しました。
しかもその多くがローマ教皇のような
身分の高い人物たちからの依頼です。
(断りにくい仕事ばかり…)
山田さんはこの状況を
「逆に不幸ですよ」と漏らしています。
![ユリウス2世](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/08/530px-Pope_Julius_II-1-221x300.jpg)
1503年に当時のローマ教皇であった
ユリウス2世からお墓を作る依頼がきます。
![モーセ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/480px-Moses_San_Pietro_in_Vincoli-1-200x300.jpg)
画像のモーセ像はユリウス2世の
お墓の彫刻の一部として有名です。
気まぐれだったユリウス2世は
お墓に加えて天井画の依頼もし、
その依頼で制作したのが
システィーナ礼拝堂の天井画です。
(一度お墓の作業は中止します)
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/540px-Musei_vaticani_cappella_sistina_retro_02-1-225x300.jpg)
当初ミケランジェロは6人ほど
助手を連れてこの仕事を始めましたが、
途中で全員クビにして
ほとんど1人で完成させたといわれています。
台座を組み、上を見上げて窮屈な姿勢で
描く天井画は、奥にいくほど慣れてきて
絵が上手くなっているそうです。
そして天井画の完成の翌年
ユリウス2世は亡くなり、
再度お墓の仕事に取り掛かります。
![レオ10世](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/503px-Raffael_040_crop-1-209x300.jpg)
ところが次にローマ教皇になった
レオ10世は、ミケランジェロの故郷
フィレンツェのメディチ家出身の教皇で、
彼にメディチ家のお墓も作るように
依頼したのでした。
![メディチ家礼拝堂](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/597px-Brogi_Giacomo_1822-1881_-_n._3515_-_Firenze_-_S._Lorenzo_Cappella_dei_Principi_1870s-1-300x241.jpg)
レオ10世の依頼を優先したので、
ユリウス2世のお墓の作業は
再び先送りにされ、彼は遺族から
訴えられるなど散々な状況になります。
![クレメンス7世](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/486px-Sebastiano_del_Piombo_–_Portrait_of_Pope_Clement_VII_ca._1526-1-203x300.jpg)
1533年にメディチ家礼拝堂が完成すると
また当時のローマ教皇クレメンス7世は
システィーナ礼拝堂に最後の審判を
描くよう依頼します。
激務に次ぐ激務。
当初ミケランジェロは最後の審判の
依頼を断ったそうです。
それは仕事を少し休みたい想いの他に、
最後の審判を描く前の壁画には
ペルジーノの「聖母被昇天」が
あったからでした。
![聖母被昇天](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/Perugino04-1-231x300.jpg)
しかしクレメンス7世は彼の希望を
聞きませんでした。
仕方なく仕事にかかった
ミケランジェロでしたが既に体は
ボロボロの状態でした。
有名な作品だけど…
![最後の審判](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/599px-Michelangelo_Giudizio_Universale_02-1-1-250x300.jpg)
キリスト教では最後の日になると
死者が蘇り、再臨したキリストによって
天国に行くか地獄に行くかの審判を受ける
とされています。
最後の審判はその場面を描いたものです。
ミケランジェロの作品では左側が天国、
右側が地獄を表現しているとされています。
ところがイマイチその境がわかりにくく、
山田さんは「天国にいる人も苦しそうに
描かれている」と話されます。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/599px-Michelangelo_Giudizio_Universale_02.jpg)
たしかに体が歪んでおり、
ルネサンス絵画に特徴的な
調和のとれた安定した表現では
ないことがわかります。
(この特徴は後のマニエリスムに継承)
当時からこの作品は
テリビリタ(怖い、凄まじい)と
称されました。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/420px-Last_judgement-1-175x300.jpg)
そして今回のテーマである
皮だけの男。
ここにはミケランジェロの
「もうフラフラです…」という
心情が表現されています。
この天井画が完成したのが1541年。
ミケランジェロは66歳くらいです。
超多忙で「もうフラフラです…」という心情を表現したもの
最後の審判の裏話
動画の終盤、
山田さんは今作に関する
面白い話を教えてくれました。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/654px-Last_Judgement_Michelangelo-1-273x300.jpg)
それは作品右下にいる
地獄の裁判官ミノスについてです。
このミノスの顔のモデルになったのが
チェゼーナ儀典長という人物です。
もともと今作は登場人物全員が
全裸で描かれており、
チェゼーナ儀典長はそのことを非難し、
ミケランジェロに対して「着衣をさせよ」
と勧告を出していました。
ミケランジェロはこれを拒否し、
自分の芸術を理解しなかった儀典長を
地獄に描き、さらには悪魔と馬鹿の象徴
であるロバの耳と罪の象徴である蛇を
体に巻き付かせたそうです。
(蛇は性器に嚙みついています)
チェゼーナ儀典長の方も頑なに
全裸だらけの絵を認めようとはせず、
ミケランジェロの亡くなる少し前に
彼の弟子であるヴォルテッラに
衣類を描かせました。
![ミケランジェロ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/10/415px-Miguel_Angel_por_Daniele_da_Volterra_detalle-259x300.jpg)
ヴォルテッラはこの肖像画を描いた
人物でもあります。
最後の審判の修正作業を行った後、
ヴォルテッラは
イルブラゲットーニ(腰巻き野郎)
というあだ名を付けられたそうです。
まとめ
![最後の審判](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/10/599px-Michelangelo_Giudizio_Universale_02-1-1-250x300.jpg)
✓超多忙だったミケランジェロ
✓フラフラの状態で描いた最後の審判
✓皮だけの男は自身の心情を表現したもの
今回はミケランジェロの作品についてでした。
超多忙なミケランジェロからすれば
ダヴィンチがいかに仕事をせずに
気楽だと感じていたかが
わかる気がしますね。
ミケランジェロはダヴィンチより
23歳も年下でしたが、
よくダヴィンチのことをディスって
いたそうですよ(汗)
次回は鳥獣人物戯画についてです。
✓超多忙だったミケランジェロ
✓ダヴィンチとは対照的
✓フラフラになりながら描いた