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ビザンティン美術とは?特徴や代表作を解説【西洋美術史⑤】

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記事の要約
  1. 平面的かつ観念的な表現
    →3次元的な表現は偶像崇拝にあたる
  2. 聖堂建築やモザイク画
    →アギア・ソフィア大聖堂
    →皇帝ユスティニアヌス一世
  3. 聖像破壊運動イコノクラスムが勃発した
    →多くの聖像が破壊された
    →マンディリオン

 

330年に皇帝コンスタンティヌス1世は
ローマの首都をビザンティウム
現在のイスタンブール
に移します。

392年にキリスト教は国教となり、
395年にローマは東西に分かれて
分担統治が始まります。

それに伴って美術様式も
東西で異なって発展していきました。

今回は東ローマ帝国ビザンティン帝国で発展した
美術を解説していきます。

まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。

icon of christ Agia Sophia Cathedral Basilica of San Vitalechrist and emperor Justinianus I self-signed icon


美術史年表

初期キリスト美術⇒2世紀末~

・(東)ビザンティン美術⇒5世紀末~
・(西)初期中世美術⇒5世紀末~

ビザンティン美術の特徴

 

Parthenon temple

ビザンティン美術は地中海周辺に広く普及し、
壁画やイコンが多く描かれました。

しかしキリスト教が母体とする
ユダヤ教は偶像崇拝を禁止しており、
神を人間が形にするのは不可能である
という思想が根強く存在しました。

ですので、

  • 偶像崇拝を禁じるユダヤ教的伝統
  • ギリシャの神々を彫刻にして
    崇拝した地中海の伝統

相反する2つの伝統が混じっているのが
ビザンティン美術の特徴です。

ただし、丸彫り彫刻や3次元的な表現は
偶像崇拝にあたるとして避けられ、
平面的かつ観念的な表現となりました。

また、8世紀初頭には聖像をめぐる
激しい論争も巻き起こりました。

この記事で解説する
ビザンティン美術の大まかな流れは、

  • イコンなどが描かれる
  • 聖堂建築、モザイク画
  • 聖像破壊運動イコノクラスムが勃発
  • マンディリオン

となります。

順に解説していきます。

キリストのイコン

 

icon of christ
「キリストのイコン」6世紀頃

キリスト教のイコンは、
ローマ皇帝の肖像崇拝に刺激を受けつつ
誕生したものです。

↑のイコンはアギア・エカテリニ修道院に
保存されている最古のイコンです。

今作は蜜蠟画みつろうがと呼ばれ、
蜂が分泌するロウで制作されています。
ローマのポンペイ壁画と同じ技法です。

アギア・ソフィア大聖堂

 

Agia Sophia Cathedral
アギア・ソフィア大聖堂内観

アギア・ソフィア大聖堂
ビザンティン美術を代表する建築です。

4世紀に建築後、2度の大火事に見舞われて
537年にユスティニアヌス1世が再建しました。

 

hagiasophiasalonicaplan
ドーム式バシリカ

初期キリスト教美術の
バシリカ式と集中式を合わせたような、
ドーム式バシリカという
建築様式が採用されています。

 

Agia Sophia Cathedral
アギア・ソフィア大聖堂外観

しかしこの様式は
高度な技術を必要としたので
あまり普及はしませんでした。

結果的に、空前絶後の斬新な
工法となっています。

 

christ and emperor
アギア・ソフィア大聖堂のモザイク

サン・ヴィターレ聖堂とモザイク

 

Basilica of San Vitale
サン・ヴィターレ聖堂(内観)

サン・ヴィターレ聖堂は
八角形の集中式プランと豪華なモザイクで
この時代の黄金時代を代表しています。

 

Justinianus I
皇帝ユスティニアヌス一世と侍臣たち

↑はサン・ヴィターレ聖堂にある
モザイク画です。

重要な人物は中央に大きく描かれます。

また、左右対称かつ平面的な様式で
精神性や超越性を感じさせる
作りになっています。

 

アプシスのモザイク

↑はアプシスにあるモザイクです。

中央に髭のない若いキリストが
描かれています。

儀式的で厳かな雰囲気、
金の多用によりビザンティン宮廷の
権威と趣味が反映されています。

 

Basilica of San Vitale
サン・ヴィターレ聖堂(外観)

聖像論争

 

crucifixion

聖像論争の発端は、
西アジアに起こったイスラム教でした。

イスラム教は偶像崇拝を
徹底して禁止していたことから、
キリスト教を厳しく批判しました。

その影響を受け、ビザンティン帝国内でも
偶像崇拝を禁止する動きが高まり、
聖職者の中で大きな論争となります。

ちなみに偶像破壊派と擁護派、
お互いにこのような意見があったそうです。

 

偶像破壊派
不可視である神を人間の手で作り、崇拝するのはいわば神を下界に下ろすという行為。また、人の手の技で作っている以上それは偽物以外の何物でもない。神を冒涜する行為であり、許されることではない
偶像擁護派
イコンは高次のものに直接思いを向けることができない人間にとってはいわば「窓」のようなものイコンを崇拝するのは決してイコンそのものを愛しているからではないのだ

 

この論争は聖像破壊運動イコノクラスムを勃発させ、
726年~843年までの約100年間
聖像は禁止されると共に、
多くの聖像が破壊されました。

マンディリオン

 

self-signed icon
自印聖像(13世紀)

マンディリオンとは
キリストの顔を写した布のことです。

キリストが水で洗った顔を拭った布に
その肖像が写し出されたとする
神話がもとになっており、
「人の手で制作されたものではない」という
性格を持っているマンディリオンは
偶像擁護派の強い武器となりました。

まとめ

 

Justinianus I
まとめ

✓ユダヤ教と地中海の相反する伝統が
入り混じったのがビザンティン美術

✓丸彫り彫刻や3次元的表現は✕、
平面的かつ観念的な表現へ

聖像破壊運動イコノクラスムが勃発すると
多くの聖像が破壊された

次回は初期中世美術を解説します。

 

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