ロココとは装飾用語の
ロカイユに由来するもので、
18世紀にヨーロッパで流行した
室内装飾、絵画、工芸、服装に
至る様式をさします。
17世紀にみられていた
布教を目的とした儀式的で、
国王を称える厳格な古典様式とは違う
軽快かつ優美な貴族趣味の様式です。
まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。
・盛期バロック⇒1620~1670年代
・スペイン・バロック
・フランス・バロック
・フランドル/オランダ・バロック
⇩
・ロココ美術⇒1730年頃~
ロココ美術の背景
ルイ14世が1715年に亡くなると、
オルレアン公フィリップ2世が
まだ幼いルイ15世の摂政となり、
時代は享楽的な貴族文化へと変化します。
ルイ16世の時代(1774~1792)には
王権と教会の力は後退し始め、
代わりに貴族と新興上流市民による
軽快で自由奔放なロココ様式が好まれました。
ロココが盛んになった理由の1つに
アカデミー内での色彩論争があります。
色彩論争とは、
アカデミーで理想とする画家は
- 素描のプッサン
- 色彩のルーベンス
のどちらにするかという論争です。
結果的にこの論争は
色彩派が勝利を収めます。
このことは、それまでとは
違った表現や解釈を受け入れる風潮が
生じたことでもありました。
具体的には以下のことが
変わっていきました。
- 表現方法
→厳格さは緩み、彩色は豊かに
→フランドルやヴェネツィア派の
彩色が取り入れられた - 主題の傾向
→親しみやすく日常的なもの
→ただし庶民ではなく、貴族の日常
一方で物語画を優位とする
絵画のヒエラルキーは変わりませんでした。
ロココ美術の特徴
ロココの特徴は室内装飾のロカイユが
由来になっていることからも伺えます。
金色に輝く漆喰に連続するアーチ。
曲線の装飾や湾曲する天井などです。
絵画と装飾が融合したロココ様式は
ヨーロッパで熱狂的な流行を生みました。
それまでの古典的様式との違いは
以下のようになります。
- 古典様式
→直線や左右対称
→安定感のある構造 - ロココ様式
→曲線や連続アーチ
→優美で装飾的
絵画においては
以下の画家が活躍しました。
- アントワーヌ=ヴァトー
- ジャン=オノレ=フラゴナール
- ジャン=シメオン=シャルダン
- トマス・ゲインズバラ(イギリス)
順に解説していきます。
アントワーヌ=ヴァトー
初期のロココ絵画を代表する画家が、
アントワーヌ=ヴァトーです。
ヴァトーは「シテール島への巡礼」で
人物たちの優雅な身ぶりと衣装の軽やかさを
表現し、屋外での男女の語らいを描きました。
この作品でヴァトーは
アカデミーへの入会を果たします。
また、ヴァトー入会に際して、
雅宴画という新しいジャンルが
新設されました。
雅宴画とはヴァトーの作品のような
屋外で談笑する当世風の衣装で着飾った男女の
集いを描いたものです。
ジャン=オノレ=フラゴナール
ロココを代表するもう1人の画家が
ジャン=オノレ=フラゴナール
(1732~1806)です。
彼の代表作「ブランコ」は
18世紀フランスの軽薄で非道徳的な
貴族社会を映し出しています。
この作品ではブランコに乗る貴婦人の
スカートの中を男性が下から覗き込むという
場面が描かれています。
ヴァトーの雅宴画がより
奔放的で官能的に描かれています。
ちなみに右奥に描かれているのは
貴婦人の夫で、
若い男性は愛人だとされています。
今の日本人の感覚からは
理解しがたい作品かもしれませんね。
静物画と風俗画
18世紀のフランスでは
上流市民の中に
美術愛好家が増えていきました。
バロック時代のオランダでもそうでしたが、
上流市民(=貴族や宗教関係者ではない)が
顧客になってくると、
知識が必要な絵ではなく、静物画や風俗画など
日常生活を映し出したものや、わかりやすい絵
が求められるようになりました。
その需要に応えた代表的な画家が
ジャン=シメオン=シャルダン
(1699~1779)です。
彼はフランスの中流家庭の日常を
描き出しました。
画面前景で祈りを唱えている子供は
女の子の格好をしていますが、男の子です。
当時、男児の死亡率が高かったので
魔除けのような意味合いを込めて
男児に女の子の格好をさせることがありました。
まとめ
✓18世紀のフランスでは享楽的な貴族文化が栄えた
✓ヴァトーは新たな絵画のジャンル、雅宴画を生んだ
✓上流市民層には静物画や風俗画が好まれた
次回は新古典主義の美術を解説します。
✓18世紀のフランス
✓装飾的で曲線を多用
✓繊細で軽快な美術