マニエリスムの時代には君主制の国が増え、
教養を身につけた支配階層の人々を
楽しませるために難解で、不安定な構図が
好まれるようになりました。
ルネサンスで完成した
理想的人体比率や構図から逸脱した
作品が増えていきます。
まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。





マニエリスムとはイタリア語で手法という
意味のマニエラからきています。
芸術家が過去の作品を手本に、
芸術への自意識を高めた運動ともされています。





✓マニエリスム
⇒16世紀半ば~
✓バロック
⇒16世紀末~18世紀初頭
目次
マニエリスムの特徴

15世紀~16世紀半ばにかけて
フランスやスペイン、オーストリアは
君主制の国になります。
君主制とは、国王など1人の支配者が
統治する国家形態をいいます。
15世紀のイタリア美術は市庁舎や教会など
公共性の高い場所に展示されることが
多かったのですが、
16世紀からは君主の宮殿などに作品が
飾られるようになりました。
そして教養を身につけた支配階級の人々を
満足させるために、難解な図像や構図が
好まれるようになります。
また、初期のマニエリスムでは
ミケランジェロが用いた蛇状人体(ひねり)
などを積極的に取り入れ、逆に合理的な
空間表現や彩色にはこだわらなくなりました。
ヤコポ・ダ・ポントルモ「十字架降下」

まずはフィレンツェの画家、
ヤコポ・ダ・ポントルモ(1494~1556)
の作品をみていきます。
彼の「十字架降下」は、
冷たい色使いと浮遊感があります。
体は長く伸ばされ、
非現実的な造形性も感じられます。
マニエリスムの特徴をよく示している
作品といえるでしょう。

ジュリオ・ロマーノの壁画

ジュリオ・ロマーノ(1499~1546)は
ラファエロの弟子で、
イタリアのパラッツォ・デル・テの設計と
内部装飾を行った人物です。

ジュリオ・ロマーノが描いた巨人の間は
非現実的かつ奇抜な装飾で、
実用的でない要素があります。

フランチェスコ・プリマティッチオ

ジュリオ・ロマーノの弟子の
フランチェスコ・プリマティッチオ
(1504~1570)はマニエリスムを
フランスに持ち込んだ人物です。
フォンテンブロー派の創始者として
フランス美術の発展に大きく貢献しました。

サクロ・ボスコ「地獄の口」

イタリアの公爵ヴィチーノ・オルシーニは
1545年頃からサクロ・ボスコ(聖なる森)
という庭園を造り始めます。
マニエリスムには
自然と人工の世界を組み合わせる試みが
各地でみられました。
地下への入口を表した地獄の口には
「(ここに)入る者はあらゆる思考を捨てよ」
という一文があります。
この作品もマニエリスムの特徴である
知的遊戯、奇想性、非実用性と
結びついています。
アルチンボルド

神聖ローマの皇帝ルドルフ2世は
プラハの宮廷に各地の芸術家を
呼び寄せました。
その際、イタリアから招かれた
ジュゼッペ・アルチンボルド
(1527~1593)は
奇妙な二重イメージを用いた寓意的肖像画を
得意とし、多くの作品を制作しました。
彼の作品にはグロテスクなものや
奇想に対する関心がみられます。




ジャンボローニャ

彫刻家のジャンボローニャ
(1529~1608)は
ミケランジェロが精神性を示すために用いた
蛇状人体を作品に取り入れました。
マニエリスムの奇想的表現や装飾が追求され、
彫刻も過剰な様式へと変化していきました。
ちなみにジャンボローニャは
精神性を示すために
蛇状人体を取り入れたわけではなく、
あくまで形式上の関心から
取り入れたとされています。

まとめ

✓マニエリスムでは支配階級を満足させるために難解な図像や構図が好まれるなった
✓奇想的で、非現実的だったのもマニエリスムの特徴
✓ルネサンス期に確立された様式を乗り越えるために様々な試みがされた
次回はバロック美術を解説します。
✓知識人を楽しませるための作品
✓安定した構図からの逸脱
✓難解な作品が好まれた