盛期ルネサンス美術を解説/ローマで活躍する3大巨匠【西洋美術史⑪】

サムネイル13

 

記事の要約

☑ローマの時代

☑3大巨匠の時代

☑画家は芸術家の地位を確立


 

16世紀に入るとイタリア美術の中心は
フィレンツェからローマへと移ります。
その地で
レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ
3大巨匠が活躍しました。

まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。

プリマヴェーラ 最後の晩餐 モナ・リザ ベルヴェデーレの聖母 テンピエット アルピエの聖母


この記事ではフィレンツェの黄金時代から
ローマの美術までを解説します。

サンドロ・ボッティチェッリ
サンドロ・ボッティチェッリ
レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ラファエロ・サンティ
ラファエロ・サンティ
ドナト・ブラマンテ
ドナト・ブラマンテ
アンドレア・デル・サルト
アンドレア・デル・サルト


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ルネサンス年表
〇プレ・ルネサンス(13‐14世紀)
⇒ジョットetc…
〇初期ルネサンス(15世紀)
⇒ドナテッロ、マザッチョ、ブルネッレスキetc…
〇盛期ルネサンス(1500~1530年)
⇒ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロetc…



盛期ルネサンスへの流れ

 

アテナイの学堂
ラファエロ「アテナイの学堂」(1509‐1510年)

ルネサンス発祥のフィレンツェは
15世紀後半にメディチ家の支配下に置かれ、
宮廷的都市文化の円熟期を迎えます。

メディチ家は銀行家や政治家として
台頭したフィレンツェの支配者(権力者)の
ことで、数々の芸術家をパトロンとして
支援した人物です。

しかし、ドメニコ会修道士
ジローラモ・サヴォナローラ(1452~1498年)が
メディチ家の保護する異教徒的・快楽的な
風俗・政治の腐敗を糾弾しました。

ジロラモ・サヴォナローラ
サヴォナローラの肖像(1498年)

さらに豪華王と呼ばれた
ロレンツォ・デ・メディチが死去し、
20年に及んだフィレンツェの
黄金時代は幕を下ろします。

その後、芸術の中心は
教皇庁のお膝元ローマへと移りました。

サンドロ・ボッティチェリ「春」

 

プリマヴェーラ
「プリマヴェーラ」(1482年)

フィレンツェ黄金時代を代表するのが
サンドロ・ボッティチェリ(1445~1510年)
です。

サンドロ・ボッティチェッリ
サンドロ・ボッティチェッリ自画像

古代以来途絶えていた
大型の神話画を復活させました。
この作品は豪華王ロレンツォの
又従弟の祝婚画として描かれたそうです。

でもこの類の作品は
世紀末にサヴォナローラの
虚飾の焼却などで破壊される対象となりました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」

 

最後の晩餐
「最後の晩餐」1495‐1498年

芸術の中心がローマに移ると
他分野にわたる才能をもった巨匠達が現れます。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年)は
多岐にわたり超人的な才能を発揮した1人です。

レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチ自画像

盛期ルネサンスのわずか30年の間に
それまで職人と見なされた
画家や彫刻家、建築家の地位が
芸術家まで高められました。

最後の晩餐はミラノの
サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院食堂に
描かれました。

遠近法の消失点をキリストの右こめかみに設定し、
使途達を3人1組にまとめることで
人物の心の動揺を求心的にまとめた
構図に仕上げています。

モナ・リザ

 

モナ・リザ
「モナ・リザ」(1503‐1519年頃)

世界で最も有名な美術作品と
言われているモナ・リザ
モデルはフィレンツェの
貴族の妻リザとされています。

個人を記念する肖像画は
ルネサンス期に再興されたジャンルですが、
そこには個人を特定できる
特徴や私物を描くのが一般的です。
しかしモナ・リザにはこの女性が誰なのかを
示す特徴が見られません。

さらにダヴィンチはこの作品を
生涯手元に残したと言われています。

作品にはダヴィンチの手腕が光る
スフマート空気遠近法が用いられており、
今なお多くの鑑賞者を引き付ける作品です。

スフマートとは、
ぼかし技法のことで、輪郭線を使わずに
色調の微妙な変化を加えて表現する技法のことで
「煙のように」という意味があります。

ラファエロ・サンティオ「ベルヴェデーレの聖母」

 

ベルヴェデーレの聖母
「ベルヴェデーレの聖母」(1506年)

3大巨匠の1人である
ラファエロ・サンティオ(1483~1520年)は
17歳で画家として一人前の
仕事をこなす程の早熟でした。

ラファエロ・サンティ
ラファエロ・サンティ自画像

芸術の都フィレンツェを訪れたラファエロは
ダヴィンチミケランジェロ
2人の天才から多くを学びます。

ベルヴェデーレの聖母はダヴィンチの
聖アンナと聖母子の三角形構図の影響を受けています。

聖アンナと聖母子
ダヴィンチ「聖アンナと聖母子(下書き)」1498年

ラファエロは他の芸術家の良い部分を見抜き、
吸収して融合させることのできる天才でした。

ブラマンテ「テンピエット」

 

テンピエット
ドナト・ブラマンテ「テンピエット」1508‐1512年頃

ルネサンスの芸術復興は建築の分野でも花開きます。

ドナト・ブラマンテ(1444~1514年
初期キリスト時代に殉教地や
聖地のモニュメントに使われた
集中式プランを建物に採用しました。

ドナト・ブラマンテ
ドナト・ブラマンテ

聖ペテロの殉教地(ローマ)を
記念する建物に円形の小神殿を選択したのは、
古代建築に関心を寄せていた
ブラマンテならではの発想でした。

アンドレア・デル・サルト「アルピエの聖母」

 

アルピエの聖母
アンドレア・デル・
サルト「アルピエの聖母」1517年

アンドレア・デル・サルト(1486~1531年
ローマでミケランジェロやラファエロが
活躍していた頃のフィレンツェの画家です。

アンドレア・デル・サルト
アンドレア・デル・サルト自画像

そこではサヴォナローラの説教により
抑制されつつ格調高い古典的絵画が発展しました。

デル・サルトのアルピエの聖母
無駄を排除した背景に
三角形構図をなす作品です。
色調・表情共に抑えられ、
たがいにコントラポストで彫刻のような
量感を感じさせます。

まとめ

 

アテナイの学堂
☑豪華王ロレンツォの死やサヴォナローラによりフィレンツェの黄金時代は終焉を迎える

☑芸術の中心は教皇庁のお膝元ローマに移った

☑3大巨匠の活躍により画家や建築家の地位は職人から芸術家の域まで高められた

次回は盛期ルネサンスの後半、ミケランジェロの美術を解説します。