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盛期ルネサンスとは?特徴や代表作を解説【西洋美術史⑪】

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記事の要約
  1. 芸術の中心はローマへ
    →ローマ教皇がパトロンに
    →サヴォナローラの出現
    →豪華王ロレンツォの死
  2. 3大巨匠の活躍
  3. ラファエロが古典主義の規範に

 

16世紀に入るとイタリア美術の中心は
フィレンツェからローマへと移ります。

その地では

  • レオナルド・ダ・ヴィンチ
  • ミケランジェロ
  • ラファエロ・サンティ

の3大巨匠が活躍しました。

美術史ではこの3人が活躍した時代を
盛期ルネサンスと呼びます。

まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。

Primavera Last Supper Mona Lisa Room of Raphael Tempietto Madonna delle Arpie

sandro_botticelli
ボッティチェリ
leonardo_da_vinci
レオナルド・ダ・ヴィンチ
raffaello_sanzio
ラファエロ
donato_bramante
ドナト・ブラマンテ
Andrea Del Sarto
アンドレア・デル・サルト


美術史年表

初期ルネサンス⇒15世紀

盛期ルネサンス⇒1500~1530年

マニエリスム⇒16世紀半ば~

盛期ルネサンスの背景

 

rome

メディチ家の台頭も影響し、
フィレンツェから始まったルネサンス。
それから芸術の舞台はローマへと移ります。

ローマへ移った背景には
以下の理由があげられます。

  1. システィーナ礼拝堂の装飾事業
    →1481年
  2. サヴォナローラの院長就任
    →1490年
  3. 豪華王ロレンツォの死去
    →1492年
  4. イタリア戦争勃発
    →1494年

順に解説していきます。

システィーナ礼拝堂の装飾事業

 

Sistine Chapel
システィーナ礼拝堂内部

教皇庁のローマは15世紀から、
キリスト教世界の中心としてふさわしい
都市の再整備を進めていきます。

1481年のシスティーナ礼拝堂の
壁画装飾事業はその中の1つです。

これを機に教皇シクストゥス4世は
フィレンツェから多くの芸術家を
招聘しょうへいしました。

  • ボッティチェリ
  • ギルランダイオ
  • コジモ・ロッセッリ
  • ピエトロ・ペルジーノ

などの芸術家たちです。

また、後にサン・ピエトロ大聖堂の
改築・装飾事業を引き継いだ
教皇ユリウス2世の時には

  • ミケランジェロ
  • ラファエロ
  • ドナト・ブラマンテ

などをフィレンツェから招いています。

このことはフィレンツェの芸術の精華が
ローマにもたらされたことを示しています。

サヴォナローラの院長就任

 

1490年にドメニコ会修道士の
ジローラモ・サヴォナローラ
サン・マルコ修道院の院長に就任します。

するとサヴォナローラは
メディチ家支配下の快楽的な風俗や政治を
きびしく糾弾しました。

これに市民たちは感激し、
支持を得ることに成功します。

また、支持を得た背景には
印刷技術の発展もあり、
フィレンツェの印刷業者は
サヴォナローラの著作を次々と印刷し、
広く民衆に届けられました。

このことはフィレンツェでの
芸術発展が滞る原因ともなりました。

 

Girolamo Savonarola
サヴォナローラ
サヴォナローラ
  • 生きた年代
    →1452~1498年
  • なにをした人?
    →メディチ家支配下の風俗や政治を激しく糾弾した。豪華な工芸品や美術品を集めて焼き払う「虚栄の滅却」を行ったことでも有名

豪華王ロレンツォの死去

 

firenze

豪華王と呼ばれた
ロレンツォ・デ・メディチ
1469年に当主となり、
学芸庇護を展開させました。

彼は市民からも絶大な人気を博し、
フィレンツェの黄金時代を築きました。

しかし1492年に死去し、
黄金時代は幕を閉じます。

 

Lorenzo de' Medici
ロレンツォ・デ・メディチ
ロレンツォ・デ・メディチ
  • 生きた年代
    →1449~1492年
  • なにをした人?
    →学問や芸術のパトロンとしてフィレンツェ黄金時代を築いた。政治や外交能力にも優れていた人物

イタリア戦争勃発

 

1494年にフランス王シャルル8世が
ミラノに侵攻、イタリア戦争が勃発します。

この戦争はフランス王が
イタリア半島の掌握を目的に
軍事侵攻したものでした。

これらの出来事から芸術の中心は
フィレンツェからローマへと
移っていきました。

盛期ルネサンスの特徴

 

rome

盛期ルネサンスでは
ローマ教皇をパトロンとして、
多くの芸術家たちが活躍しました。

絵画においては
ミケランジェロやラファエロが
ヴァチカンに描いたものが
頂点とされています。

ここからは
フィレンツェ黄金時代も含めた、
盛期ルネサンスの画家を解説します。

 

ミケランジェロの作品は別の記事で)

サンドロ・ボッティチェリ

 

Primavera
「春(プリマヴェーラ)」1482年

サンドロ・ボッティチェリ
古代以来途絶えていた大型の神話画を
復興した画家です。

↑の「春」は中央のヴィーナスが
花々の咲き乱れる春の世界を
支配している場面です。

 

Birth of Venus
「ヴィーナスの誕生」1483年

↑の「ヴィーナスの誕生」はヴィーナスが
海の泡から生まれた場面を描いたもの。

春やヴィーナスの誕生はロレンツォの
又従妹の祝婚画として描かれたもので、
別荘の寝室に飾っていたとされています。

 

sandro_botticelli
ボッティチェリ
ボッティチェリ
  • 生きた年代
    →1445~1510年
  • 代表作
    →春
    →ヴィーナスの誕生など
  • なにをした人?
    →古代以来途絶えていた大型の神話画を再興した
  • その他の記事
    ヴィーナスの誕生を解説

レオナルド・ダ・ヴィンチ

 

Last Supper
「最後の晩餐」1495‐1498年

ダヴィンチは光学や解剖学、人体比例、
遠近法、明暗法など科学的手法を探求し、
超人的才能を発揮した人物です。

↑は代表作の1つの「最後の晩餐」。

遠近法の消失点を
キリストの右こめかみに設定し、
使徒たちを3人1組にまとめることで
多様な動揺を求心的な構図で仕上げています。

 

Mona Lisa
「モナ・リザ」1503‐1519年頃

世界で最も有名な美術作品と
いわれている「モナ・リザ」

個人を記念する肖像画は
ルネサンス期に再興されたジャンルですが、
そこには個人を特定できる特徴や私物を
描くのが一般的です。

しかしこの作品には
この女性が誰なのかを示す特徴が
見られません。

さらにダヴィンチはこの作品を
生涯手元に残したと言われています。

作品にはダヴィンチの手腕が光る
スフマート空気遠近法が用いられており、
今なお多くの鑑賞者を引き付ける作品です。

 

leonardo_da_vinci
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ダヴィンチ

ラファエロ・サンティ

 

Room of Raphael
ヴァチカン宮殿「署名の間」

盛期ルネサンスの精華ともいえるのが
ラファエロ・サンティ
ヴァチカン宮殿に描いたフレスコ画です。

署名の間と呼ばれる部屋でラファエロは、
8角形に分けられた天井と
側壁の4つの半円形区画に絵を描きました。

ラファエロは大規模な工房も経営しており、
短い生涯に多数の作品を制作しました。
そしてその多くの作品が
ヴァチカン宮殿に残されています。

 

St. Anne and the Virgin and Child
ダヴィンチ「聖アンナと聖母子(下書き)」

また、ラファエロはダヴィンチや
ミケランジェロといった他の芸術家から
技術を吸収する能力に長けていました。

 

Our Lady of the Belvedere
「ベルヴェデーレの聖母」1506年

↑の作品はダヴィンチの
「聖アンナと聖母子」から影響を
受けています。

才能溢れるラファエロの作品からは
安定した構図に加え、
雄大な人間性を感じられます。

そしてこの様式は17世紀~19世紀にかけて
古典主義の絶対的規範となりました。

 

raffaello_sanzio
ラファエロ・サンティ
ラファエロ・サンティ
  • 生きた年代
    →1483~1520年頃
  • 代表作
    →署名の間の装飾
    →キリストの変容など
  • なにをした人?
    →才能溢れる画家で、短い生涯でありながら多くの名作を残した

ドナト・ブラマンテ

 

テンピエット
「テンピエット」1508‐1512年頃

カトリック総本山の
サン・ピエトロ大聖堂の
初代建築主任だったドナト・ブラマンテ

彼を有名にしたのはローマにある
サン・ピエトロ・イン・モントリオ聖堂の
テンピエット小神殿です。

テンピエットには初代キリスト教時代に
殉教地や聖地のモニュメントとして
使われた集中式プランが採用されています。

聖ペテロの殉教地ローマを記念する建物に
円形の小神殿を選択したのは、
古代建築に関心を寄せていた
ブラマンテならではの発想でした。

 

donato_bramante
ドナト・ブラマンテ
ドナト・ブラマンテ
  • 生きた年代
    →1444~1514年頃
  • 代表作
    →テンピエットなど
  • なにをした人?
    →ローマで古代建築を復興させた人物

アンドレア・デル・サルト

 

Madonna delle Arpie
「アルピエの聖母」1517年

最後は芸術の中心がローマに移った後の
フィレンツェで活躍した画家です。

サヴォナローラの説教の影響を受けた
アンドレア・デル・サルト
穏健な古典主義芸術を展開しました。

↑の「アルピエの聖母」では
厳格な三角形構図とコントラポストで
彫像のような安定感を感じさせます。

色彩や表情も控えめです。

彼はマニエリスムの画家である
ヤコポ・ダ・ポントルモの
師でもあります。

 

Andrea Del Sarto
アンドレア・デル・サルト
デル・サルト
  • 生きた年代
    →1486~1517年頃
  • 代表作
    →アルピエの聖母など
  • なにをした人?
    →盛期ルネサンスのフィレンツェで厳格な古典絵画を描いた

まとめ

 

rome
まとめ

✓芸術の中心はローマへ

✓三大巨匠が活躍した

✓ラファエロは後世で
古典主義の絶対的規範となった

次回は盛期ルネサンスの後半、
ミケランジェロの作品を解説します。

 

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