イタリアのルネサンスは
フィレンツェから始まりました。
それまでの美術と大きく異なるのは、
絵画で遠近法が使われ始めたことや
中世で失われていた彫刻作品が復活
したことです。
まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。










✓プレ・ルネサンス
⇒13‐14世紀
✓初期ルネサンス
⇒15世紀
✓盛期ルネサンス
⇒1500~1530年
初期ルネサンス美術の特徴

ルネサンス発祥地のフィレンツェは
14世紀以降、近隣の都市国家を吸収して
一大領域国家の都市となります。
都市の支配は貴族から商人を
中心とする平民の手へと移り、
その中で市民の現実感覚に根ざした
都市文化が開花します。
この新世紀の美術を率いたのは
革新的な3人の芸術家でした。
- ドナテッロ(彫刻家)
- ブルネッレスキ(建築家)
- マザッチョ(画家)
順に確認していきます。
ドナテッロの彫刻

ドナテッロ(1386~1466)の作品
「聖ゲオルギウス」では
両脚に等しく重心を置きながら、
微妙なコントラポストにより
動きを感じる作品になっています。
さらに遠景の形象を薄く浮彫することで
遠近的な空間を演出しています。

ドナテッロはいち早く古代彫刻と
現実の人間を研究して、
写実的な新様式を発表しました。

ブルネッレスキとギベルティ

1401年、礼拝堂の東側門扉の制作者を
選ぶ公募が行われます。
古代以来初めて行われたコンクールの
最終選考に残ったのが
ブルネッレスキとギベルティでした。


「イサクの燔祭」を主題とする
試作品を作るよう命じられた二人は
各々の力作を披露します。
↓ブルネッレスキの作品↓

↓ギベルティの作品↓

この勝負の軍配は
ギベルティにあがりました。
しかし1418年に行われた
大聖堂のドーム設計のコンクールでは
ブルネッレスキがギベルティを破って
雪辱を晴らします。

大規模なドームの設計に携わったことで
ブルネッレスキはその名を
不滅のものとしました。
ブルネッレスキの貢献
ブルネッレスキのもうひとつの貢献は
視覚光学に基づいて、
遠近法を再発見したことです。
ルネサンスの芸術家にとって遠近法は
自然模倣の技でした。

画像の「聖三位一体」は2次元平面に
3次元空間を表現した
絵画史上画期的な作品です。
マザッチョ「貢の銭」

ブルネッレスキが再発見した
遠近法は多くの画家を引き付けました。
マザッチョ(1401~1428)も
その1人です。
「貢の銭」では画面中央の
キリストの頭部周辺に消失点を定め、
周囲の人物達の頭部を1直線に
並べることで統一感が生み出されています。
背後に広がる風景には
色彩遠近法が用いられ、
奥行きが演出されています。
暖色は手前、寒色は後方に配置させることで遠近的視覚効果を得る手法

フラ・アンジェリコ「受胎告知」

フラ・アンジェリコ(1390~1455)が
描いた「受胎告知」は静寂な雰囲気を
漂わせています。
作品の下部には
「永遠なる処女の像の前を
通り過ぎるときには必ず
アヴェ・マリアと唱えるように」
という銘文があり、
修道士たちが何度も通りすがりに
祈りをささげたと想像できます。
アンジェリコ自身も修道士であり、
瞑想のための絵画を描いたのかもしれません。

アンドレア・マンテーニャ

15世紀後半になると
イタリア各地の宮廷都市に
ルネサンス的動向が波及します。
北イタリアにあるパドヴァの
マンテーニャ(1431~1506)
の作品は遠近法を用いた厳格で
ゴツゴツした画面構成で、人物は彫刻的です。

マンテーニャの代表作
「死せるキリスト」は
十字架から降ろされたキリストが
短縮法を用いて描かれています。
対象を斜めや交差させて描く表現のこと
まとめ

✓市民階級がいち早く台頭したフィレンツェから芸術革新が起こった
✓彫刻ではドナテッロ、建築ではブルネッレスキ、絵画ではマザッチョが活躍した
✓遠近法が再発見され、平面な絵画に3次元的表現が可能になった
次回は盛期ルネサンスを解説します。
✓フィレンツェの時代
✓遠近法の発見
✓3次元的表現の発展