オンラインVTS無料体験会実施中 ▶

ドイツルネサンスとは?特徴や代表作を解説【西洋美術史⑮】

thumbnail

 

記事の要約
  1. ドイツルネサンス
    →銅版画の発明
  2. アルブレヒト・デューラー
    →2度ヴェネツィアへ
    →ドイツ美術に貢献
  3. 宗教革命
    →1517年にルターが起こした
    →プロテスタントが分裂
    →宗教画の需要が減少

 

ネーデルラント今のオランダやベルギーやフランス、
ドイツ語圏の国々で起こった
15~16世紀の芸術運動を
北方ルネサンスと呼んでいます。

この記事ではドイツでの動向や
宗教革命について解説します。

まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。

miracle fishing archangel michael Melancholia I Albrecht Dürer law and gospel Ambassadors

Martin Schongauer
マルティン・ショーンカヴァー
アルブレヒト・デューラー
Lucas Cranach
ルーカス・クラーナハ
Hans Holbein
ハンス・ホルバイン


美術史年表

北方ルネサンス⇒15~16世紀
・宗教革命⇒1517年~

マニエリスム⇒16世紀半ば~

ドイツルネサンスの特徴

 

Munich
ミュンヘン

ドイツはイタリアのように
古代彫刻などの遺産に恵まれておらず、
造形性を学ぶ機会がありませんでした。

しかし一方で銅版画技術が開発され、
グーテンベルグが活版印刷術を発明し、
出版業が発達するなどの進展もありました。

出版業の発達によって
それまで上流階級の利用に限られていた
書物が大衆化されるなどしました。

コンラート・ヴィッツ

 

miracle fishing
「奇跡の漁り」1444年

コンラート・ヴィッツ
絵画に実際の風景を描いた
最初期の1人といわれています。

それまでの絵画では
実際の風景を用いるのではなく、
理想化した風景を描くことが
ほとんどでした。

また、風景の広大ながらも
細密に描き込んでいる感じは
ネーデルラントの影響を感じさせます。

 

コンラート・ヴィッツ
  • 生きた年代
    →1400~1446年
  • 代表作
    →奇跡の漁りなど
  • なにをした人?
    →絵画の風景に実景を描きこんだ最初期の画家

マルティン・ショーンガヴァー

 

archangel michael
大天使ミカエル

ドイツ語圏の修道院では
14世紀末頃からキリストや聖人の
木版画が多数制作されていました。

1430~1440年頃に銅版画が発明され、
1470年頃になると
マルティン・ショーンガヴァーのような
銅版画家を兼ねる画家が現れます。

この頃から銅板を彫る技術は
ほぼ完成に近づいており、
テンペラや油彩画にも匹敵する
質を兼ね備えていました。

 

Martin Schongauer
マルティン・ショーンガヴァー
ショーンガヴァー
  • 生きた年代
    →1450~1491年
  • 代表作
    →大天使ミカエルなど
  • なにをした人?
    →画家と銅版画家を兼ねた人物。銅版を彫る技術はほぼ完成に近かった

木版画と銅版画の違い

 

木版画

木版画は↑のように木版を彫って、
凸の部分にインクをつけて印刷します。

 

↓版木の状態↓

woodblock print

↓印刷後↓

woodblock print

 

銅版画
銅版画

一方の銅版画は木版画と真逆で、
凹の部分にインクを盛って刷り上げます。

銅版画の方が木版画に比べ
精密な作品が仕上がることや、
複製技術に長けていました。

よって銅版画が発明されると
木版画は衰退していきました。

 

↓銅版画の作品例↓

1600年代の作家Ambrosius Hannemannの銅板
右が印刷後

アルブレヒト・デューラー

 

Melancholia I
「メランコリア I」1514年

アルブレヒト・デューラー
ドイツルネサンスを代表する1人であり、
ドイツ美術に多大な貢献をした画家です。

デューラーは銅版画家としても優れており、
当時のドイツ王であるマクシミリアン1世の
庇護を受けました。

 

Arch of Maximilian I
皇帝マクシミリアン1世の凱旋門

マクシミリアン1世は銅版画を
政治的なプロバガンダとして利用した1人で、
版画作品をデューラーに制作させています。

 

Venice

またデューラーは2回にわたって
ヴェネツィアを訪れており、
イタリア美術から造形性を学ぶと同時に
イタリアでの芸術家の地位に驚き、
ドイツでの芸術家地位向上を唱えました。

 

Albrecht Dürer
「自画像」1500年

デューラーのその自負心は、
自らをキリストに模して描いた
自画像にも表れています。

 

アルブレヒト・デューラー
デューラー
  • 生きた年代
    →1471~1528年
  • 代表作
    →メランコリア I
    →騎士と死と悪魔など
  • なにをした人?
    →ドイツルネサンス期の画家。ヴェネツィアに2度渡り、帰国後はドイツ美術や芸術家の地位向上に貢献した

ルーカス・クラーナハ

 

law and gospel
「律法と福音」1529年

ルーカス・クラーナハ
デューラーとも競いながら、
多くの祭壇画などを描いた画家です。

同名の息子もいることから、
ルーカス・クラーナハ(父)と
表記されることが多いです。

 

Martin Luther
ルターの肖像画

宗教革命を起こしたルターとも
個人的な親交があったクラーナハは、
彼の依頼で肖像画を多数描いています。

 

Lucas Cranach
ルーカス・クラーナハ
クラーナハ
  • 生きた年代
    →1472~1553年
  • 代表作
    →ヴィーナス
    →ルターの肖像画など
  • なにをした人?
    →ドイツルネサンス期の画家。ルターと個人的な親交があり、ルターの肖像画を多数描いた

ハンス・ホルバイン

 

Ambassadors
「大使たち」1533年

ハンス・ホルバインは宮廷画家として、
肖像画で手腕を発揮した人物です。

彼が肖像画で活躍した背景には、
宗教革命による宗教画の
需要減少が
あります。

↑の「大使たち」に描かれる
人物の足元にはアナモルフォーズという
方法で描かれた髑髏があります。

一説にはメメント・モリ、
「死を忘れることなかれ」という
寓意が込められていると考えられています。

 

Hans Holbein
ハンス・ホルバイン
ハンス・ホルバイン
  • 生きた年代
    →1497~1543年
  • 代表作
    →大使たちなど
  • なにをした人?
    →宮廷画家として活躍した
  • その他の記事
    大使たちを解説

宗教革命とは?

 

religious revolution

宗教革命はマルティン・ルター
ローマ教皇庁に対して
異議を唱えたことで始まりました。

その発端はローマ教皇がドイツで
贖宥状しょくゆうじょうを販売したことでした。

贖宥状とは簡単に言えば
買えば罪が軽減される証書です。

 

この贖宥状の販売は、
形骸化した教会に対する批判を強め、
ルターは1517年にカトリック教に対して
「95箇条の議題」を提出します。

それを機に教会糾弾の動きは
ドイツ全土へと広がり、
一部地域では聖像破壊運動イコノクラスム
引き起こされました。

ルターが唱えた異議

 

ルターはもともと修道院で生活し、
神学を勉強していた人物でした。

そんなルターが唱えたのは
贖宥状のようなものは
聖書に記述が
ないので誤っている
ということでした。

たしかに聖書には
「信仰の拠りどころは、
神の言葉を記した聖書だけ」
という記述があります。

つまりルターは聖書だけが
信じるべきものであり、
聖書に記されていない贖宥状は
間違っていると非難したのです。

 

Martin Luther
マルティン・ルター
マルティン・ルター

宗教革命の結果

 

出典:ことくらべ

宗教革命後、カトリック教から
プロテスタントと呼ばれる一派が
分裂する形となりました。

プロテスタントは
偶像の崇拝を原則禁止としたので、
プロテスタントが多数派を占める国では
宗教画の需要が減少しました。

このことは、国別の美術の発展に
大きな影響を及ぼしました。

 

カトリックとプロテスタントの美術を解説

まとめ

 

Ambassadors
まとめ

✓銅版画が発明されると、
デューラーなど多才な芸術家が
銅版画技術を磨いた

✓ハンス・ホルバインなど
肖像画を生業にする画家も登場した

✓ルターが宗教革命を起こした後、
プロテスタントの国では
宗教画の需要が減少した

次回はマニエリスムを解説します。

 

thumbnail