今回は北方ルネサンスその②、
ドイツでの美術的動向と宗教革命に
ついても解説します。
まずは作品の
画像を確認していきましょう。




15~16世紀のドイツ美術で
注目したいのは銅版画です。
デューラーなど才能あふれる芸術家も
生まれました。


✓15世紀(初期ネーデルラント派)
⇒ファン・エイク、パティニールetc…
✓15世紀(ドイツ)
⇒アルブレヒト・デューラーetc…
✓15世紀末~16世紀
⇒ボス、ブリューゲル(父)etc…
目次
ドイツ・ルネサンスの特徴

ドイツはイタリアのように
古代彫刻などの遺産に恵まれておらず、
造形性を学ぶ機会があまりありませんでした。
しかしその一方で銅版画が発明され、
独自の美術が発展します。
また神学者であったマルティン・ルターが
巻き起こした宗教革命も、
ドイツルネサンスに大きな影響を与えました。
コンラート・ヴィッツ

それまでの絵画の風景は
実際のものではなく、
理想化された風景を
描くことがほとんどでした。
ところがドイツの画家
コンラート・ヴィッツ(1400~1445)は
絵画に実際の風景を描いた最初期の
1人といわれています。
また、風景の広大ながらも
細密に描き込んでいる感じは
ネーデルラントの影響を感じさせます。
マルティン・ショーンガヴァー

ドイツ語圏の修道院では
14世紀の末頃から木版画が
多数作られていました。
1430~1440年に銅版画が発明されると、
テンペラや油彩による絵画に
匹敵する作品が登場し始めます。
マルティン・ショーンガヴァー
(1450~1491)は
銅版画家としての手腕を発揮し、
銅版画技法に大きく貢献しました。
木版画と銅版画の違い

ここで簡単に木版画と銅版画が
どのように違うのか確認します。
木版画は見出し画像のように
彫刻刀で木版を彫って、
凸の部分にインクをつけて印刷します。
↓版木の状態↓

↓印刷後↓

一方の銅版画は木版画と真逆で、
凹の部分にインクを盛って刷り上げます。

銅版画の方が木版画に比べ
精密な作品が仕上がることや、
複製技術に長けていました。
よって銅版画が発明されると
木版画は衰退していきました。
↓銅版画の作品例↓

アルブレヒト・デューラー

この時代のドイツで有名なのが
アルブレヒト・デューラー
(1471~1528)です。
彼はショーンガヴァーが作り上げた
銅版画技法を更に磨き、
陰影表現や細密描写を洗練させました。
神聖ローマの皇帝マクシミリアン一世も
銅版画を自らの宣伝広告にとして、
デューラーに制作を依頼しました。

また、デューラーはヴェネツィアに2度渡って
遠近法や人体比例論を研究すると共に、
イタリアでの芸術家の地位の高さに
驚いたそうです。
そこでドイツ帰国後は、
ドイツの芸術家の地位向上を唱えました。



ハンス・ホルバイン

ハンス・ホルバイン(子:1497~1543)
は肖像画で手腕を発揮した人物です。
宗教革命後、聖像破壊運動によって
宗教画の需要が減少します。
その影響もありホルバインは
肖像画の制作を多く手掛けました。
画像の大使たちは肖像画でもあり、
寓意画でもあるとされています。
この作品を右上から見ると、
2人の大使の足元にはドクロが現れます。
これは当時のメメント・モリという
戒めだと考えられています。

宗教革命とは?

ドイツで起きた宗教革命は
美術に大きな影響を与えました。
そこでここからは宗教革命について
確認していきます。
なぜ宗教革命は起きたのか?

宗教革命はドイツのマルティン・ルターが
ローマ教皇庁に対して異議を唱えたことで
始まりました。
異議のもとになったのが、
当時のローマ教皇がドイツで
贖宥状(しょくゆうじょう)を
販売したことです。
この贖宥状、簡単に言えば
お金を払えば罪は許される
といったもの。
キリスト教では人はみんな
原罪(生まれた時から罪を抱えている)
があり、その罪を悔い改めることで
来世は救われると考えられていました。
また、当時のドイツはペストなどの
感染症や飢餓などの死が隣り合わせで、
頼れるのは神様だけという
時代でもありました。
そんな不安定な情勢も相まって、
贖宥状はたくさん売れたそうです。
ルターが唱えた異議

ルターはもともと修道院で生活し、
神学を勉強していた人物でした。
そんなルターが唱えたのは
贖宥状のようなものは聖書に記述が
ないので、誤っている
ということでした。
ちなみに聖書には
「信仰の拠りどころは、
神の言葉を記した聖書だけ」と
いう記述があります。
つまりルターは聖書だけが
信じるべきものであり、
聖書に記されていない贖宥状は
間違っていると非難したのです。
宗教革命の結果
出典:ことくらべ
宗教革命後、
カトリック教会からプロテスタントと
呼ばれるキリスト教の一派が
分裂する形となりました。
プロテスタントは偶像の崇拝を
原則禁止としたので、プロテスタントが
多数派を占める国(ドイツやオランダ、
スウェーデンやイギリスなど)では
宗教画の需要が減少しました。
このことは
国別の美術の発展に
大きな影響を及ぼしました。
まとめ

✓ハンス・ホルバインなど肖像画を生業にする画家も登場した
✓ルターが宗教革命を起こした後、プロテスタントの国では宗教画の需要が減少した
次回はマニエリスムを解説します。
✓銅版画の登場
✓デューラーの活躍
✓宗教革命と宗教画