ヴェネツィア美術の特徴は
色彩豊かな表現です。
この記事では
ヴェネツィア美術を解説すると共に
フィレンツェ派との違いにも
触れていきたいと思います。
まずは作品の
画像を確認していきましょう。




海上都市国家であるヴェネツィアは
東方貿易で発展し、
内陸部にも領地を拡大していく中で
貴族たちが農園経営に乗り出しました。
15世紀後半にはネーデルラントから
伝えられた油彩画を発展させて
色彩表現を深めていきます。




✓プレ・ルネサンス
⇒13‐14世紀
✓初期ルネサンス
⇒15世紀
✓盛期ルネサンス
⇒1500~1530年
ヴェネツィア美術の特徴

15世紀後半の北イタリア美術(特に絵画)の
中心的役割を担ったのが、
ヴェネツィア近郊のパドヴァで
画家をしていた
アンドレア・マンテーニャです。

パドヴァには彫刻家ドナテッロの作った
先進的な彫刻が遺されていました。
加えて古代の遺跡が豊富で、
マンテーニャはそこから彫刻のような
人体表現を学んでいきました。

マンテーニャの他にヴェネツィア絵画に
大きく貢献した1人として、
アントネット・ダ・メッシーナ
(1430~1479)がいます。

ナポリでネーデルラント絵画を
学んだアントネットは1475~1476年に
ヴェネツィアを訪問して、
油彩画技法を用いた細密で
独特な北方の様式を伝えました。

ルネサンスを経て各地で美術が発展し、
偉人たちが遺した作品を
また次の世代が吸収していきました。
ジョルジョーネ「嵐」

ジョルジョーネ(1477~1510)は
ダヴィンチが考案したスフマート技法や
明暗法を取り入れ、感情の表現や
大気の奥深さを巧みに描きました。
「嵐」という作品では、
今まで背景に過ぎなかった風景を
画面全体に表現しています。
微妙な明暗により深い詩情のある風景は
風景画の先駆ともみられています。

ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
(1488~1576)はジョルジョーネが
描いた裸婦画を細かく修正して、
「ウルビーノのヴィーナス」を
生み出しました。
↓ジョルジョーネの裸婦画↓

油彩のやわらかな筆致を重ねて
女性の肌を描き、皮膚感を巧みに
表現しています。

フィレンツェ派との違い

ここでフィレンツェ派との
違いを確認しておきましょう。
フィレンツェ派の画家は素描(線)で
形を表現することを重要視しました。
専門用語でディセーニョ(線素描)
といいます。
一方ヴェネツィア派の画家は
色彩で対象の「質」を表現することを
重要視しました。
専門用語でコロリート(色彩)といいます。
要はデッサンか色彩かといったところです。
デッサンを重視するフィレンツェ派は
輪郭線などがはっきりと描かれており、
背景や人物が明瞭なのに対して、
色彩のヴェネツィア派は淡い感じで
人物の肌感に透明感や柔らかさがあります。
↓フィレンツェ派の作品↓



↓ヴェネツィア派の作品↓



このように、同時期のイタリアでも
地域によって作風は全く異なります。
ティツィアーノ「受胎告知」

最後は先程紹介したティツィアーノの
もう1つの代表作「受胎告知」に
ついてです。
ティツィアーノはそれまでの
受胎告知とは違い聖霊のハトを
劇的に描いたり、明確な輪郭線ではなく
複雑な筆致や絵具のこすれで表現しました。
ディセーニョが当時の美術の基盤と
されていましたが、ティツィアーノは
そういった理論から距離をとり、
筆触と厚塗りを駆使する技法を追求しました。
彼の作品は、
ルネサンス期の画家だけでなく、
後のバロック画家にも影響を与えました。
まとめ

✓ドナテッロらが遺した作品や北方ルネサンスの影響を受けて発展したヴェネツィア美術
✓フィレンツェ派とは異なり色彩を重視するのが特徴
✓ティツィアーノはそれまでの美術の基盤とは違う技法を追求した
次回は北方ルネサンスを解説します。
✓フィレンツェ派との違いを解説
✓色彩豊かな表現
✓ディセーニョとコロリート