フランス・バロック美術の特徴を解説/バロック美術その④【西洋美術史⑳】

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記事の要約

✓王政の中での厳格な古典主義

プッサンの古典的絵画

クロード・ロランの風景画

 

フランス・バロック美術の特徴は
厳格な古典主義です。

フランスはカトリック国家ですが、
王政の中で厳格な古典主義が
推し進められたので、
イタリアでのバロック美術とは
異なった傾向を示しました。

まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。

「聖ヨセフ」 富の寓意 アルカディアの牧人たち ソロモンの審判

クロード・ロラン

シモン・ヴーエ
シモン・ヴーエ
ニコラ・プッサン
ニコラ・プッサン
クロード・ロラン
クロード・ロラン


美術史年表

マニエリスム
⇒16世紀半ば~
✓バロック
⇒16世紀末~18世紀初頭

フランス・バロックの特徴

 

ライン川渡河作戦でのルイ14世
「ライン川渡河作戦でのルイ14世」1672年

17世紀のフランスでは絶対王政が整備され、
そのなかで美術の国民的様式が生まれました。

カラヴァッジョなどの影響を受けた
作品もありますが、
宮廷的雰囲気が強かったので
その影響は地方に限られています。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール

 

「聖ヨセフ」
「聖ヨセフ」1642年または1645年

イタリアのカラヴァッジョのような
明暗対比で作品を描いたのが
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
(1593~1652)です。

しかしカラヴァッジョの明暗対比が
インパクトのあるものだったのに対し、
ラ・トゥールの明暗対比は静寂で
神秘的な雰囲気を醸し出しています。

 

悔い改めるマグダラのマリア
「悔い改めるマグダラのマリア」

ラ・トゥールは夜の画家とも呼ばれ、
内省的で禁欲的精神を描くために
明暗対比を用いられたとされています。

シモン・ヴーエ「富の寓意」

 

富の寓意
「富の寓意」1645年

17世紀前半のパリでは
シモン・ヴーエ(1590~1649)
が活躍しました。

ヴーエは1614年にローマへ行き、
カラヴァッジョやカラッチから
イタリア・バロック美術を学び帰国しました。

その後ヴーエはルイ13世の首席画家として
王宮の装飾や教会の作品を制作しました。

「富の寓意」は女性の寓意像「富」を
鮮やかな色彩で表現しています。

 

シモン・ヴーエ
シモン・ヴーエ

ニコラ・プッサン

 

アルカディアの牧人たち
「アルカディアの牧人たち」1638‐1640年

ニコラ・プッサン(1594~1665)は
イタリアの古典主義に貢献した画家ですが、
出身はフランスです。

プッサンは1624年から亡くなるまで
ローマで活躍しましたが、
1640~1642年の間だけパリへ戻り、
アルカディアの牧人たち」を制作します。

プッサンの一時帰国は
フランスの古典主義に大きな影響を与えました。

 

ニコラ・プッサン
ニコラ・プッサン自画像

「ソロモンの審判」

 

ソロモンの審判
「ソロモンの審判」1649年

プッサンは生涯にわたり聖書や神話画、
物語画を描きました。

古典美術やルネサンスの巨匠たちを規範とし、
構図とディセーニョ(線素描)
重視する制作を行いました。

「ソロモンの審判」では左右対称の構図に
正確な線描と明快な色彩表現を使い、
古典主義的理想美の世界を描き上げました。

プッサンの高い技術と
学識に裏打ちされた作品は、
後に登場する王立絵画彫刻アカデミー
規範とされました。

 

アカデミー/アカデミックな美術とは?

クロード・ロランの風景画

 

クロード・ロラン
「シバの女王の船出のある港の風景」1648年

クロード・ロラン(1600年代~1682年)は
プッサン同様、フランス出身のローマで
活躍した画家で、生涯にわたり
風景画を描き続けました。

 

クロード・ロラン
クロード・ロラン自画像

彼の風景画はカラッチ一族のような
理想的風景画を継承しており、
後のウィリアム・ターナーなど、
近代風景画に影響を与えました。

まとめ

 

アルカディアの牧人たち
まとめ

✓絶対王政下のフランスでは厳格な古典主義が求められた

✓フランス出身のニコラ・プッサンの作風はアカデミーの規範とされた

クロード・ロランは理想化された風景画を描き続けた

次回はフランドル・オランダでのバロック美術を解説します。

 

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