今回はゴシックからルネサンスへ
移行する時代(13世紀後半~)の美術です。
平面的な作品から段々と
3次元的、人間性の増した作品が生まれます。
まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。






✓プレ・ルネサンス
⇒13‐14世紀
✓初期ルネサンス
⇒15世紀
✓盛期ルネサンス
⇒1500~1530年
目次
プレ・ルネサンス美術の特徴
イタリアでは11世紀頃から
各地で都市国家が独立し始めます。
トスカーナ地方でも
ピサ、フィレンツェ、シエナなどが
自治国家を宣言し、各地で
ルネサンスの芽生えを感じる作品達
が生まれます。

今回登場する芸術家達はそれぞれ↓
- ピサーノ父子→ピサで活躍
- カヴァッリーニ→ローマで活躍
- ジョット→フィレンツェで活躍
- ドゥッチョ→シエナで活躍
同じイタリアでも
地域的特色のある作品が生まれていきます。
ピサーノ父子の彫刻

11世紀から13世紀にかけて
貿易で栄えた海港都市ピサには、
ロマネスクの大聖堂などが建設されました。
13世紀にはピサーノ父子が登場して
フランス・ゴシック彫刻を手本とした
写実的な作品を作ります。
- 父:ニコラ・ピサーノ
(1215~1280?年) - 子:ジョヴァンニ・ピサーノ
(1245~1317以降)
画像のピサ大聖堂付属洗礼堂の説教壇は
ニコラ・ピサーノ初期の代表作です。
この作品には古代神話の神々や英雄たちの
古典的形態がキリスト教の図像に
転用されています。

彼の古典志向はジョヴァンニへ引き継がれ、
彼は1302年からピサ大聖堂の
新しい説教壇を作成しました。
カヴァッリーニ「最後の審判」

ローマでは1300年の聖年祭を前に、
初期キリスト教時代にさかのぼる
聖堂の再整備が進められました。
この事業で古いモザイクや壁画の修復に
あたったのがピエトロ・カヴァッリーニです。
カヴァッリーニは初期キリスト美術から
古代ローマの伝統を学び、立体感ある
人物や自然なドレイパリー、空間表現など
写実的な画風を追求しました。
彼の作品は同時期の
ジョット・ディ・ボンドーネに継承されます。
ジョット「ユダの接吻」

神と教会を中心とする中世の時代には
自然や人間性は重視されませんでした。
しかしルネサンスに先駆けて芸術の分野で
人間性を追求したのがフィレンツェ出身の
ジョット(1267~1337)です。

聖なる世界を象徴的に
描いた中世の伝統に対し、
ジョットは人間の姿や感覚、
3次元的な空間を捉えようとしました。
スクロヴェーニ礼拝堂

ジョットのフレスコ画は
北イタリアパドヴァにある
スクロヴェーニ礼拝堂にあります。

ユダの接吻もそうですが、
彼が手掛けた礼拝堂壁面の一連の絵画は
どれも立体的で、
人間味溢れる表現が特徴となっています。
中世の作品と比較
ここで中世(ビザンティン)の作品
をみてみましょう。

偶像崇拝を避けるために
平面的で動きを感じさせない表現が
特徴的でした。

こちらはスクロヴェーニ礼拝堂にある
ジョットの作品です。
空間表現や人間の表情、
動きを感じることができると思います。
彼の活動はフィレンツェ美術の基盤となり、
イタリア各地に伝播していきます。
ドゥッチョ「マエスタ」
都市国家の発展に伴って各都市は
競合しながら独自の文化を築いていきます。
商業と金融業で発展したシエナは、
経済面や文化でフィレンツェと競いました。
シエナの美術の特徴は
優美な彩色や装飾性、そして聖母の存在です。

聖母の都市シエナ

ドゥッチョのマエスタ(荘厳の聖母)は
シエスタの守護的象徴とされています。
それは1260年にフィレンツェとの間で
起こったモンタペルティの戦いにおいて、
当時大聖堂に設置されていた聖母子の絵に
都市の城門の鍵を奉献したところ、
奇跡的にシエナが戦いに勝利したことが由縁と
なっています。
ドゥッチョ(1260~1319)は
ジョットと共にルネサンスへの
橋渡しをした人物として高い評価を
得ています。
ジョットの鐘楼

12世紀以降にゴシックの波が
フィレンツェにも訪れ、
大聖堂や市庁舎など宗教や政治を
象徴する建築物が多く建設されました。
ジョットの鐘楼は
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の
脇に建設されたゴシック様式の鐘楼です。
ジョットが構想したものですが
彼は完成する前に死去しており、
死から50年後に完成しています。
まとめ

✓都市国家の独立後、各地で空間表現や人間性の増した作品が作られるようになる
✓ローマ出身のカヴァッリーニはジョットに影響を与えた
✓フィレンツェではジョット、シエナではドゥッチョが活躍
✓シエナ派の作品はフィレンツェに比べて装飾的で聖母の存在が大きい
次回は初期ルネサンスを解説します。
✓ゴシックからルネサンスへの橋渡し
✓ジョットの活躍
✓人間性の増した作品