草創期ルネサンスの特徴/ジョットやドゥッチョの作品を解説【西洋美術史⑨】

サムネイル11

 

記事の要約

☑ゴシックからルネサンスへの橋渡し

☑イタリアの地域的特色ある美術

☑人間性の増した作品


 

今回はゴシックからルネサンスへ
移行する時代(13世紀後半~)の美術です。
平面的な作品から段々と
3次元的、人間性の増した作品が生まれます。

まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。

説教壇 ピエトロ 最後の審判 ジョット ユダの接吻 マエスタ ジョットの鐘楼

イタリアでは11世紀頃から
封建領主から逃れて、都市国家が独立し始めます。

イタリア美術を主導していくトスカーナ地方でも
ピサ、フィレンツェ、シエナなどが
自治国家を宣言し、各地でルネサンスの芽生えを
感じる作品が生まれていきます。

ジョット・ディ・ボンドーネ
ジョット・ディ・ボンドーネ


その他のルネサンス解説記事はコチラ

ルネサンス年表
〇プレ・ルネサンス(13‐14世紀)
⇒ジョットetc…
〇初期ルネサンス(15世紀)
⇒ドナテッロ、マザッチョ、ブルネッレスキetc…
〇盛期ルネサンス(1500~1530年)
⇒ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロetc…



草創期ルネサンスの美術

 

イタリアでは11世紀頃から
各地で都市国家が独立し始めます。

トスカーナ地方でもピサ、フィレンツェ、
シエナなどが自治国家を宣言し、
各地でルネサンスの芽生えを感じる作品達
が生まれます。

↓今回登場する芸術家は↓

〇ピサーノ父子→ピサで活躍

〇カヴァッリーニ→ローマで活躍

〇ジョット→フィレンツェで活躍

〇ドゥッチョ→シエナで活躍

同じイタリアでも
地域的特色のある作品が生まれてきます。

トスカーナ地方
トスカーナ地方

ピサーノ父子の彫刻

 

説教壇
ピサ大聖堂付属洗礼堂の説教壇(1260年)

11世紀から13世紀にかけて
貿易で栄えた海港都市ピサには、
ロマネスクの大聖堂などが建設されました。

13世紀にはピサーノ父子が登場して
フランス・ゴシック彫刻を手本とした
写実的な作品を作りました。

ピサーノ父子
父:ニコラ・ピサーノ
(1215~1280?年)
子:ジョヴァンニ・ピサーノ
(1245~1317以降)

画像のピサ大聖堂付属洗礼堂の説教壇は
ニコラ・ピサーノ初期の代表作です。

画像では確認しにくいですが、
この作品には古代神話の神々や英雄たちの
古典的形態がキリスト教の図像に転用されています。

かつてギリシャ人が神も人間と同じように
感情を持つと考えたように、
この彫刻でも人間の尊厳や感情が再現されています。

彼の古典志向はジョヴァンニへ引き継がれ、
ジョヴァンニは1302年からピサ大聖堂の
新しい説教壇を作成しました。

ピサ大聖堂説教壇
「ピサ大聖堂説教壇」1302年

カヴァッリーニ「最後の審判」

 

ピエトロ 最後の審判
「最後の審判」(1293年)

ローマでは1300年の聖年祭を前に、
初期キリスト教時代にさかのぼる
聖堂の再整備が進められました。

この事業で古いモザイクや壁画の修復に
あたったのがピエトロ・カヴァッリーニです。

カヴァッリーニは初期キリスト美術から
古代ローマの伝統を学び
立体感ある人物や自然なドレイパリー、
空間の奥行きなど写実的な画風を追求しました。

彼の作品は同時期の
ジョット・ディ・ボンドーネに継承されます。

ジョット「ユダの接吻」

 

ジョット ユダの接吻
「ユダの接吻」1305年

神と教会を中心とする中世の時代には
自然の美しさや人間性は重要視されませんでした。

しかしルネサンスに先駆けて芸術の分野で
人間性を追求したのがフィレンツェ出身の
ジョット・ディ・ボンドーネ(1267~1337)
です。

ジョット・ディ・ボンドーネ
ジョット・ディ・ボンドーネ肖像

聖なる世界を象徴的に描いた中世の伝統に対し、
ジョットは人間の姿や感覚、
3次元的な空間をとらえようとしました。

スクロヴェーニ礼拝堂

 

スクロヴェーニ礼拝堂

ジョットのフレスコ画は
北イタリアパドヴァにある
スクロヴェーニ礼拝堂にあります。

スクロヴェーニ内部
スクロヴェーニ礼拝堂内部

ユダの接吻もそうですが、
彼が手掛けた礼拝堂壁面の一連の絵画は
どれも立体的で、
人間味溢れる表現が特徴となっています。

中世の作品と比較

 

ここで中世(ビザンティン)の作品
をもう一度みてみましょう。

偶像崇拝を避けるために
平面的で動きを感じさせない表現
特徴的でした。

ビザンティン
皇帝ユスティニアヌス一世と侍臣たち(547年頃)

こちらはスクロヴェーニ礼拝堂にある
ジョットの作品です。
空間表現や人間の表情、
動きを感じることが出来ると思います。

幼児虐殺
「幼児虐殺」(1304年)

彼の活動はフィレンツェ美術の基盤となり、
イタリア各地に伝播していきます。

ドゥッチョ「マエスタ」

 

マエスタ
「マエスタ」(1308~1311年)

都市国家の発展に伴って各都市は
競合しながら独自の文化・芸術を築いていきます。

商業と金融業で発展したシエナは、
経済面や文化でフィレンツェと競いました。

シエナの美術の特徴は
優美な彩色や装飾性、そして聖母の存在です。

聖母の都市シエナ

 

モンタペルティの戦い
モンタペルティの戦い

ドゥッチョのマエスタ(荘厳の聖母)は
シエスタの守護的象徴とされています。

それは1260年にフィレンツェとの間で起こった
モンタペルティの戦いにおいて、
当時大聖堂に設置されていた聖母子の絵に
都市の城門の鍵を奉献したところ、
奇跡的にシエナが戦いに勝利したことが由縁と
なっています。

モンタペルティの戦い
北イタリアで教皇派と皇帝派で分かれて争った戦い。シエナは皇帝派でフィレンツェは教皇派だった

ドゥッチョ(1260~1319)は
ジョットと共にルネサンスへの
橋渡しをした人物として高い評価を得ています。

ジョットの鐘楼

 

ジョットの鐘楼
ジョットの鐘楼(1387年)

12世紀以降にゴシックの波が
フィレンツェにも訪れ、
大聖堂や市庁舎など宗教や政治を
象徴する建築物が多く建設されました。

ジョットの鐘楼は
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
脇に建設されたゴシック様式の鐘楼です。

ジョットが構想したものですが
彼は完成する前に死去しており、
死から50年後に完成しています。

まとめ

 

ジョット ユダの接吻
☑都市国家の独立後、各地で空間表現や人間性の増した作品が作られるようになる

☑ローマ出身の画家カヴァッリーニはジョットに影響を与えた

☑フィレンツェではジョット、シエナではドゥッチョが活躍

☑シエナ派の作品はフィレンツェに比べて装飾的で聖母の存在が大きい

次回は初期ルネサンスを解説します。