古代ローマ美術の代表作や特徴を解説【西洋美術史③】

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記事の要約

ローマ人を魅了したギリシャ美術

✓より写実的な彫刻大型建築

皇帝の権力を象徴する美術

 

紀元前27年頃ローマ帝国が誕生し、
ローマ帝国内ではギリシャ美術が
高い人気を誇りました。

あまりの人気で供給がおいつかなくなると、
ローマ人はローマン・コピーと呼ばれる
コピー作品を作り出すようになります。

また、この時代は皇帝を称える肖像彫刻
歴史を記録する記念碑も作られました。

まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。

プリマ・ポルタのアウグストゥス コロッセウム 秘儀荘 パンテオン


美術史年表

ローマ帝国誕生
⇒紀元前27年
イエス=キリスト誕生
⇒紀元前4年
キリスト磔刑
⇒西暦30年
✓コロッセウム建築
⇒西暦70~90年
✓ヴェスヴィオ火山噴火
⇒西暦79年

ローマ美術の特徴

 

ローマ
イタリア地図

紀元前8世紀末頃からイタリア中部で
エトルリア人と呼ばれる民族が
独自の美術を育んでいました。

後に世界的な大帝国となる都市国家ローマは、
紀元前6世紀にこのエトルリア系の王を退けて
領土をどんどん拡大していきます。

そしてポエニ戦争の戦利品として
ギリシア美術が大量に入ってくると、
ローマの人々はその美しさに目を奪われ、
ギリシア風に生きることが流行しました。

ポエニ戦争

ローマが西地中海の強国であったカルタゴを撃破した戦争

ローマ人たちは競って
ギリシャ風の建物等を作り、
クラシックヘレニズム様式
作品が並びました。

プリマ・ポルタのアウグストゥス

 

プリマ・ポルタのアウグストゥス
「プリマ・ポルタのアウグストゥス」14-29年頃

アウグストゥスはローマ帝国最初の皇帝です。

秩序と安定を重視したアウグストゥスは
都市に水道を引いたり、娯楽施設として
公共浴場や劇場、闘技場、広場や神殿などを
建設したり、高度な都市計画を実行しました。

 

上画像は皇帝を称える彫刻で、
ギリシャ時代の作品を手本としています↓

 

槍を担ぐ人
槍を担ぐ人

ギリシャ彫刻と比べて少し違うのは、
ギリシャ彫刻では神を表現しようと
したのに対しローマ彫刻では皇帝、
つまり人間を表現しています。

表現がより写実的になり、
像の表面も凸凹しています。

コロッセウム

 

コロッセウム
「コロッセウム」70-90年頃

有名なコロッセウム(コロッセオ)は
ローマ時代に建設されました。

壁に掛かる重圧を分けるアーチ構造や、
強度と耐久性に優れた
ローマンコンクリートを使い、
古代ローマ人の建築技術を
結晶させた闘技場です。

このような建造物が建てられた背景には
皇帝の権力を誇示する目的もありました。

古代ローマ壁画

 

秘儀荘
「秘儀の間壁画 第2様式」紀元前70-50年頃

ナポリ近郊のポンペイ遺跡には
古代ローマ壁画の遺例があります。

壁画は鮮やかな赤色を下地に描かれていて、
その色をポンペイの赤と呼んでいます。

このポンペイは79年の
ヴェスヴィオ火山の噴火で埋没しますが、
1748年に始まる発掘調査で再発見され、
当時の美術に大きな影響を与えます。

パンテオン

 

パンテオン
「パンテオン」118-125年

ギリシャ語で万(よろず)の神々
意味するパンテオンは、
ローマすべての神々を祀ってある神殿です。

 

パンテオン内部
パンテオン内部

床と天井までの高さ・内径が共に43.3mで、
球体を内包する完璧に秩序だった空間です。

一角には巨匠ラファエロの墓所があります。

戦勝記念碑

 

「トラヤヌス記念柱」107-113年

ローマ帝国でも皇帝の素晴らしさを称える
戦勝記念碑などが作られました。
トラヤヌスはローマ14代目の皇帝です。
(アウグストゥスの時代から
100年足らずで皇帝が何度も変っています)

 

トラヤヌスの記念柱
トラヤヌスの記念柱(一部)

画像のトラヤヌス記念柱は
18個の大理石ブロックを重ねたもので、
ローマ帝国の勝利や皇帝の英雄伝を
図像で記録しています。

まとめ

 

コロッセウム
まとめ
✓ギリシャ美術がローマへ大量に持ち込まれると、ローマ人たちはギリシャ美術の虜になった

✓広大な領域を統治するために、皇帝を称える肖像彫刻や、モニュメンタルな建築戦勝記念碑などが作られた

次回は初期キリスト美術を解説します。



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