この記事は
山田五郎さんのYoutubeチャンネルである
「山田五郎オトナの教養講座」より、
動画の内容を文字に起こして
解説していくものです。
第7回目のタイトルは
【「日傘をさす女」消えた少年】
今回はモネの有名な作品に
ついてです。
まだ動画をみてない方は
是非ご覧になって下さい。
文字の方が理解しやすい方は
ぜひ最後までお付き合いください。
「日傘をさす女」消えた少年
![Walking, woman holding a parasol](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/580px-Claude_Monet_-_Woman_with_a_Parasol_-_Madame_Monet_and_Her_Son_-_Google_Art_Project-1-241x300.jpg)
「散歩、日傘をさす女性」は
印象派を代表する画家、
モネによって1875年に制作されました。
その11年後にモネは
同じような構図を用いて
2つの習作を描いています。
![outdoor figure study](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/473px-Claude_Monet_023-1-197x300.jpg)
![outdoor figure study](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/475px-Monet-woman-with-a-parasol-right-1-198x300.jpg)
ここで1つ気になる点があります。
それは最初の作品では
傘をさしている女性の近くに
男の子らしき人物がいるのに対し、
あとに制作されたものには
その姿がありません。
一体、男の子はどうして消えたのか?
それが今回のテーマです。
![Walking, woman holding a parasol](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/580px-Claude_Monet_-_Woman_with_a_Parasol_-_Madame_Monet_and_Her_Son_-_Google_Art_Project-1-241x300.jpg)
まず描かれている人物ですが、
日傘をさす女性はモネの妻である
カミーユで、男の子は息子のジャンです。
この作品は別名
「日傘の女性、モネ夫人と息子」
ともいわれています。
![Claude Monet](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/06/295px-Claude_Monet_1899_Nadar-1-184x300.jpg)
クロード・モネは1866年、
自身が26歳の時にカミーユと同棲し
翌年に子供を授かっています。
ところがモネの父親は
2人の結婚に反対でした。
当時のモネは売れない貧乏画家で
親から仕送りをもらっていましたが、
結婚反対を機に仕送りを止められてしまいます。
子供を授かったものの
更に貧困に苦しむことになったモネは、
1868年に自殺未遂までしてしまいます。
その後、家族を連れてパリの北の外れにある
アルジャントゥイユに引っ越したモネは
貧しいながらも懸命に活動を続けました。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/640px-Henri_Fantin-Latour_-_A_Studio_at_Les_Batignolles_-_Google_Art_Project-1-300x222.jpg)
そして1874年には
後の「印象派展」とよばれる
画家たち自ら主催した
グループ展を開催しました。
今回のテーマである
「散歩、日傘をさす女性」も
アルジャン時代の作品です。
![woman in green](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/camille4-1-1-190x300.jpg)
風景画のイメージが強いモネですが、
アルジャン時代には人物画も多く
手掛けています。
![La Japonaise](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/06/292px-Claude_Monet-Madame_Monet_en_costume_japonais-1-182x300.jpg)
ジャポニズムとよばれる
日本ブームがあった時期の印象派展には、
カミーユにコスプレをさせた作品を
出品しています。
レンブラントの回で話していた
夫婦ラブラブの証です。
![Walking, woman holding a parasol](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/580px-Claude_Monet_-_Woman_with_a_Parasol_-_Madame_Monet_and_Her_Son_-_Google_Art_Project-1-241x300.jpg)
今回の作品も第2回印象派展に
出品されたものです。
ところがこの3年後、
借金が更に増えて
家賃も払えなくなったモネは
アルジャンよりもさらに北の
ヴェトゥイユという地に移ります。
そしてこの頃からカミーユは
病気がちになっていきます。
モネの人生の激変
![Vetheuil on the Seine](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/640px-Claude_Monet_Vetheuil_sur_Seine_1880-1-300x172.jpg)
モネの人生はここから
大きく変わっていくことになります。
まずは貧困で住む家も変わり、
妻も病気がちなこの大変な時期に
7人の大家族が転がり込んできたことです。
![Impression/sunrise](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/06/619px-Monet_-_Impression_Sunrise-1-300x233.jpg)
ことの発端は第1回印象派展で
印象派とよばれる原因ともなった作品、
「印象・日の出」を購入した
パトロンであるオシュデが破産してしまい、
国外逃亡したことから始まります。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/20151205_2.jpg)
彼には妻と6人の子供がいたのですが、
残されてしまった7人はモネを頼って
ヴェトゥイユの家にやってくるのです。
モネにとっては大迷惑な話ですが、
なぜかモネはその7人を受け入れました。
そしてカミーユは次男を出産後、
32歳で亡くなります。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/640px-Giverny_-_maison_Claude_Monet01-1-300x200.jpg)
オシュデの家族である7人は
カミーユが死去した後も
モネの家に居座り続け、
モネは広い家を求めて今度は
パリから更に遠いジヴェルニーに
引っ越します。
その後オシュデが亡くなると、
モネはオシュデの妻であったアリスと
1892年に再婚しました。
![outdoor figure study](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/473px-Claude_Monet_023-1-197x300.jpg)
![outdoor figure study](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/475px-Monet-woman-with-a-parasol-right-1-198x300.jpg)
最初の作品から11年後に描かれた2枚は
アリスの連れ子のシュザンヌという娘を
モデルにしたといわれています。
つまり最初の作品とモデルが違うわけです。
最初の作品と違うところ
![Walking, woman holding a parasol](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/580px-Claude_Monet_-_Woman_with_a_Parasol_-_Madame_Monet_and_Her_Son_-_Google_Art_Project-1-241x300.jpg)
最初の作品で描かれていた息子のジャンは
シュザンヌをモデルにした作品を
描いた頃には20歳近くになっています。
それが理由で後の作品には描かれていない
ことが考えられますが、山田さんは
それより気になることがあると語ります。
それは女性の顔についてです。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/869px-Claude_Monet_-_Woman_with_a_Parasol_-_Madame_Monet_and_Her_Son_-_Google_Art_Project-1.jpg)
カミーユをモデルにした作品では
女性の顔がわかるように描かれています。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/Monet-woman-with-a-parasol-right-1.jpg)
ところがシュザンヌを
モデルにした2枚は顔がわかりません。
山田さんはこのことの方が
少年がいないことより重要じゃないか
というのです。
女の顔を描かなかった秘密
ここからは山田さんの
個人的に考えた話です。
![Walking, woman holding a parasol](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/580px-Claude_Monet_-_Woman_with_a_Parasol_-_Madame_Monet_and_Her_Son_-_Google_Art_Project-1-241x300.jpg)
シュザンヌをモデルにした作品を
描いていた頃というのは、
カミーユが亡くなり、アリスとその子供との
同棲が始まって7年程が経ったときです。
新たな生活にも慣れ、モネも
「俺にはもうこの生き方しかない」と
悟ったのではないかと山田さんはいいます。
そんな時にかつての貧しいながらも幸せだった
「散歩、日傘をさす女性」と同じ構図を使って
2枚を描こうと思った背景には
幸せの上書きがあったのではないかと。
つまりはモネの心の上書きです。
これからはアリスやその子供たちと
新たな幸せの形を築いていこうとする決意を
制作をとおして行おうとしたのです。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/Monet-woman-with-a-parasol-right-1.jpg)
ところがいざ、
制作を始めるとカミーユの面影が
浮かんでしまい顔が描けなかった。
しかもモネはこの作品を最後に
人物画を描かなくなったそうです。
![haystacks, end of summer](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/640px-Claude_Monet_-_Haystacks_end_of_Summer_-_Google_Art_Project-1-300x176.jpg)
![haystacks, end of summer](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/640px-Wheatstacks_End_of_Summer_1890-91_190_Kb_Oil_on_canvas_60_x_100_cm_23_5-8_x_39_3-8_in_The_Art_Institute_of_Chicago-1-300x178.jpg)
それからのモネは連作として
知られている季節や時間を変えた
風景画を手掛けるようになります。
最も有名なのは「睡蓮」でしょうか。
![Giverny Japanese Bridge and Water Lily Pond](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/504px-Claude_Monet_French_-_The_Japanese_Footbridge_and_the_Water_Lily_Pool_Giverny_-_Google_Art_Project-1-300x286.jpg)
![water lilies](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/539px-Claude_Monet_-_Nympheas_1905-1-300x267.jpg)
この睡蓮シリーズは
全部で200枚以上
あるとされています。
哀しきモネの内面
ここで山田さんは
これまで出てきた疑問を
1度整理しようと話されます。
ここまでで疑問が残るのは以下の点です。
- アリスと6人の子供たちは
なぜモネを頼ったのか? - なぜモネはカミーユの死後、もう1度「日傘をさす女性」を描いたのか?
- なぜ「睡蓮」ばかりを
描き続けたのか?
その3つの疑問の答えが
1枚の写真にあるそうです。
その写真がこちら。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/Monet_and_Hoschede_families_-_1880-1-300x221.jpg)
この写真にはモネとアリス、
そして子供たちも一緒に
写っています。
山田さんはこの中にいる2人の
子供に注目しています。
それがこの2人です↓
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/Monet_and_Hoschede_families_-_1880-300x221.jpg)
アリスの側にいる2人の男の子です。
アリスの下にいる子供は
カミーユとの間にできた次男のミシェル。
アリスの奥にいる子供は
アリスの連れ子のジャン=ピエール。
この2人の子供は本来、
血の繋がりがないはずです。
ところがなんだか似ているように見えます。
これは一体…
そうです。
モネはオシュデの妻のアリスと
不倫関係にあり、ジャンはアリス
との間にできた子供だったのです。
![Monet family in the garden](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/640px-Edouard_Manet_-The_Monet_Family_in_Their_Garden_at_Argenteuil-1-300x185.jpg)
モネは1876年の夏、
カミーユが病気がちだった頃に
オシュデの邸宅を飾る絵や室内装飾の
仕事を頼まれました。
それから2カ月の間、
オシュデの邸宅に寝泊まりしていた
モネはアリスと不倫関係になり、
ジャンを出産したといわれています。
そうすると
アリスがモネを頼ってきた理由も
わかる気がします。
(モネが断らなかった理由も)
加えてその後カミーユは次男を
出産して亡くなってしまうのですから、
モネには罪の意識があったのでしょう。
カミーユとの間にできた2人の子供に加え
アリスとの間にできたジャン、
そして他の連れ子と共に生きていくしかない、
幸せになるしかないと決意したモネは
幸せの上書きを行おうとしたのです。
![outdoor figure study](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/475px-Monet-woman-with-a-parasol-right-1-198x300.jpg)
それがこの作品を描いた
理由ではないかと山田さんは説明します。
睡蓮ってどんな花?
![water lilies](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/539px-Claude_Monet_-_Nympheas_1905-1-300x267.jpg)
人物画をやめた後に
モネが生涯描き続けた睡蓮の花。
東洋において睡蓮がどういう
意味をもつ花かご存知でしょうか?
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/462px-Buddha_meditating-1-193x300.jpg)
答えは極楽浄土。
仏教ではよく如来や観音像と共に
蓮の花をあしらっています。
ジャポニズムの影響を受けたモネも
当然そのことを知っていたのです。
![Giverny Japanese Bridge and Water Lily Pond](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/504px-Claude_Monet_French_-_The_Japanese_Footbridge_and_the_Water_Lily_Pool_Giverny_-_Google_Art_Project-1-300x286.jpg)
モネが睡蓮の絵を200枚以上も
描いた理由がここにあります。
亡き妻の鎮魂を祈り、
自らに課した写経のようなものでは
なかったのかと。
終盤に山田さんは
そのように語っていました。
妻への罪の意識が顔を描くことを拒んだ
まとめ
![Walking, woman holding a parasol](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/580px-Claude_Monet_-_Woman_with_a_Parasol_-_Madame_Monet_and_Her_Son_-_Google_Art_Project-1-241x300.jpg)
✓最初の絵から11年後に
描いた作品はモデルが違う
✓11年の間に不倫や同棲、
妻の死があった
✓睡蓮は亡き妻へ捧げる鎮魂の絵
今回はモネの作品についてでした。
有名な画家や作品なだけに
さまざまな背景を知ると絵の見え方が
全く変わってきますね。
次回はエドガー・ドガの作品についてです。
→最初は1875年制作のもの
→その他に2つの習作がある
→亡き妻の鎮魂を祈った