オンラインVTS無料体験会実施中 ▶

印象派の特徴や代表作、時代背景を解説【西洋美術史㉗】

thumbnail

 

記事の要約

マネが印象派世代の到来を準備した

グループ展を行った印象派

筆触分割という技法を使った

 

印象派とは19世紀の後半に
フランスで発した芸術運動、
もしくはその運動を推進した
グループのことをいいます。

印象派の特徴を簡潔に言うと
以下のものです。

  1. 近代都市パリの風俗画や風景画を描いた
  2. 屋外で絵を制作し、パレット上で混色しない筆触分割の技法を用いた
  3. 1874年から独自のグループ展を開催した

ここからは以上のことを踏まえながら
詳しく印象派をみていきたいと思います。

まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。

Impression/sunrise エトワール ラ・ジャポネーズ うちわを持つ少女

エドゥアール・マネ
エドゥアール・マネ
クロード・モネ
クロード・モネ
エドガー・ドガ
エドガー・ドガ


美術史年表

印象派
⇒1860年~
✓ポスト印象派
⇒1890年頃~

印象派の特徴

 

エトワール凱旋門界隈

19世紀の半ば、
セーヌ県知事のオスマン男爵は
道路網や上下水道、街頭の整備など
パリの大改造を行いました。

そしてパリは近代都市へと
生まれ変わります。

 

オペラ座
パリ・オペラ座

同時期、シャルル・ガルニエによって
建造されたオペラ座は当時のパリを
代表する建築物です。

この場所は社交界の重要な舞台と
なりました。

このように賑やかで活気に満ちた
パリは人々の「見る」欲望をかきたて、
19世紀後半には観光記念写真が盛んに
撮られたようです。

マネの絵画

 

草上の昼食
マネ「草上の昼食」1862‐1863年

そんな近代化が進むパリで、
それまでの伝統をくつがえす絵画を
エドゥアール・マネ(1832~1883)が
発表しました。

それが「草上の昼食」です。

マネは近代都市の人々の生活を描いた
最初の画家といわれています。

マネは他にも1865年のサロンに
「オランピア」という作品を出展しています。

 

オランピア
マネ「オランピア」1863年

こちらの作品はヴィーナス像の形式を
借りながら高級娼婦の姿を描いています。

どちらもマネの代表作ですが
斬新なテーマに加え、
筆触がわかるほど絵具の塗りの粗さを
残す手法が使われており、
当時のアカデミーの常識を大きく
逸脱するものでした。

当然サロンでは非難を浴びることに
なったマネですが、彼の新しい芸術家としての
あり方は後の印象派の世代を準備する
ことになるのでした。

「草上の昼食」この女性はなぜ1人だけ裸なの!?

2番目に個展を開催したマネ

サロンで非難を浴びたマネは、写実主義のクールベに続き、世界で2番目に個展を開催しました

 

エドゥアール・マネ
エドゥアール・マネ

印象派展

 

マネのスキャンダルから少し経った
1874年、サロンへの挑戦を続けるも
なかなか認められない画家達がいました。

それがモネやドガ、ルノワールらを
中心とした画家達です。

彼らもまたアカデミーの推奨する歴史画や
神話画を描くよりも、近代パリの風景などを
独自の技法で描き続けていました。

そこで彼らは1874年に自分たちで
会場を借りて独自のグループ展を開催します。

 

Impression/sunrise
モネ「印象・日の出」1872年

クロード・モネ(1840~1926)の
「印象・日の出」はグループ展の第1回に
出展された作品です。

この作品には大胆な色彩と平面的な筆致による
筆触分割が顕著にみられます。

筆触分割

色を混ぜ合わせるのではなく、一つ一つの筆触が隣り合うように配置する、印象派の画家達が用いた技法

この作品をみた当時の評論家は
「風景ではなく印象しか描かれていない」
と軽蔑の念と悪意をこめて評し、
グループ展のことを「印象主義の展覧会」
と呼びました。

そしてこの命名が後に定着し、
「印象派」という言葉が生まれたのでした。

「日傘をさす女」消えた少年

 

クロード・モネ
クロード・モネ

エドガー・ドガの絵画

 

エトワール
ドガ「エトワール」1878年

モネと同時代の画家で、
歌手や舞台裏の踊り子を好んで
描いた画家もいました。

エドガー・ドガ(1834~1917)です。

銀行家の裕福な家庭に生まれ、
オペラ座の定期会員であったドガは、
楽屋や稽古場に自由に立ち入ることが
許されていました。

 

バレエのレッスン
ドガ「バレエのレッスン」1874年

印象派の他の画家達が
屋外の自然の光の下で制作を
行っていたのに対し、
ドガの関心は常に都市生活と
その中の人々にありました。

エトワールは元祖NTR(寝取られ)絵画?!

あふれるキモさの訳とは!?14歳の踊り子

 

エドガー・ドガ
エドガー・ドガ

ジャポニズム

 

万国博覧会
「パリ万国博覧会」1900年

1851年にロンドンで始まった
万国博覧会は、その後半世紀の間に
5回にわたってパリでも開催されました。

そこでは日本美術も出展され、
ヨーロッパ美術に多大な影響を
もたらしました。

なかでも遠近法にとらわれない
浮世絵などは、画家達にとって
大きな発見を与えたそうです。

印象派の画家達の作品にも、
日本の影響を受けた作品が数多く
存在しています。

 

ラ・ジャポネーズ
モネ「ラ・ジャポネーズ」1876年
うちわを持つ少女
ルノワール「うちわを持つ少女」1881年

このような19世紀の後半からヨーロッパで
流行した日本趣味のことをジャポニズム
よんでいます。

まとめ

 

Impression/sunrise
まとめ

マネの作品や活動は印象派の画家達に影響を与えた

✓印象派の特徴は筆触分割という技法に加え、グループ展を行ったこと

✓モネらが行ったグループ展の酷評がもとで「印象派」という言葉が生まれた

✓万国博覧会を機に日本の美術がヨーロッパでブームとなった

次回はポスト印象派を解説します。

 

thumbnail