この時代の作品は鑑賞用ではなくて、
用途が先にあって造形されたものが
多いのが特徴的です。
日常や特別な祭儀など、
どのように使用されて
どのような意味があったのか。
現在でも研究が進んでいます。
まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。
![Jomon pottery](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/09/726px-笹山遺跡出土_火焔型土器_深鉢形_国宝指定番号1-1-300x298.jpg)
![clay figurine](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/09/503px-青森県つがる市木造亀ヶ岡出土_遮光器土偶-2-1-210x300.jpg)
![pot-shaped earthenware](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/11/689px-東京都大田区久ヶ原出土_壺形土器-1-287x300.jpg)
![bronzeware](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/11/540px-DotakuBronzeBellLateYayoi3rdCenturyCE-1-225x300.jpg)
![ancient tomb](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/11/489px-NintokuTomb_Aerial_photograph_2007-1-300x294.jpg)
![Haniwa](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/11/HaniwaHorse-1-300x295.jpg)
・縄文時代⇒B.C.13000年頃~
⇩
・弥生時代⇒B.C.300年頃~
⇩
・古墳時代⇒300年頃~
⇩
・飛鳥時代⇒592年~
縄文時代の美術
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/09/cave-painting-6325559_640-1-1-300x200.jpg)
縄文文化はB.C.13000年頃~の
縄文時代に日本各地で発達した
新石器文化のことをさします。
この時代は磨製石器を用いた
狩猟・採集文化を特徴としており、
縄文土器は大きく6期に分けられます。
- 草創期(B.C.13000~)
- 早期(B.C.10000~)
- 前期(B.C.5000~)
- 中期(B.C.3500~)
- 後期(B.C.2500~)
- 晩期(B.C.1300~)
この中でも美術的な要素が豊富なのは
縄文中期の土器といわれています。
![Jomon pottery](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/09/726px-笹山遺跡出土_火焔型土器_深鉢形_国宝指定番号1-1-300x298.jpg)
↑のような土器は火焔型土器と呼ばれ、
表面を覆い尽くす文様がどこか不気味で
呪術的な印象を与えます。
また縄文土器は中期から後期にかけて、
制作技術が大きく発展したことを背景に
薄くシンプルな形態に変化しました。
西日本ではそこに朝鮮半島からの影響が
加わって弥生土器へと展開していきます。
土偶
![clay figurine](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/09/503px-青森県つがる市木造亀ヶ岡出土_遮光器土偶-2-1-210x300.jpg)
土偶とは人の形をした
土製品のことをさします。
その多くが意図的に壊された状態で
出土されており、呪術的な儀式に
使用されていたと考えられています。
![clay figurine](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/09/土偶-1-257x300.png)
長野県茅野市の棚畑遺跡からは
縄文のヴィーナスと呼ばれる、
妊婦状の女性の像が完全な形で
発見されています。
なんらかの祭祀の中心に据えられ、
小型土偶と一緒に廃棄されていました。
祭祀の実態は詳しくわかっていませんが、
精霊を宿すという重要な役割を
担っていたと考えられています。
弥生時代の美術
![pot-shaped earthenware](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/11/689px-東京都大田区久ヶ原出土_壺形土器-1-287x300.jpg)
弥生時代からは米作りが広がり、
農耕が中心となりました。
それに伴い土器もシンプルで
実用的なものに変化していきます。
![pot-shaped earthenware](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/11/640px-鉢形土器(弥生土器)-1-300x212.jpg)
![high cup](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/11/517px-高杯(弥生土器)船橋遺跡出土-1-300x279.jpg)
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/11/Forms_of_Pottery_by_Hasebe_Kotondo-1-300x196.png)
特に壺の形は豊富で、
均整のとれたものが多く
弥生土器を代表する器種といえます。
![bronzeware](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/11/540px-DotakuBronzeBellLateYayoi3rdCenturyCE-1-225x300.jpg)
また稲作は2500年前に
渡来人によって伝わったものですが、
同時に大陸からは青銅器や鉄器なども
もたらされました。
青銅器には銅鐸や銅鏡、銅剣などがあり、
豊作を祈る祭りの道具であった
とされています。
古墳時代の美術
![ancient tomb](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/11/489px-NintokuTomb_Aerial_photograph_2007-1-300x294.jpg)
3~8世紀にかけて
巨大な古墳が造られるようになり、
この時代を古墳時代といいます。
古墳はその地域の首長が
権力を民衆に示すために造られ、
遺体と共に人や動物、家、武具などの
形をした埴輪と一緒に納められました。
![Haniwa](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/11/474px-群馬県高崎市八幡原町出土_盛装男子埴輪-1-198x300.jpg)
![Haniwa](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/11/HaniwaHorse-1-300x295.jpg)
![Haniwa](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/11/458px-奈良県桜井市外山出土_埴輪_入母屋造家_J-9311-1-287x300.jpg)
家形埴輪は死者が帰る場所とも
考えられており、
人や動物の形をした埴輪も
葬送儀式においてなんらかの役割を
担っていたと考えられています。
まとめ
![Jomon pottery](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2023/09/726px-笹山遺跡出土_火焔型土器_深鉢形_国宝指定番号1-1-300x298.jpg)
✓縄文時代には火焔型土器のような
呪術的な印象の土器が造られた
✓弥生時代には実用的かつシンプルな
形の壺などが多く造られ、
大陸からは青銅器や鉄器が伝わった
✓古墳時代には巨大な古墳と、
人や家の形をした埴輪が造られた
次回は飛鳥時代の美術を解説します。
→火焔型土器
→表面を文様が覆う土器
→稲作が中心
→実用的かつシンプルな造形へ
→首長の権力を民衆へ示す
→人や家の形をした埴輪が造られる