オンラインVTS無料体験会実施中 ▶

初期中世美術とは?特徴や代表作を解説【西洋美術史⑥】

thumbnail

 

記事の要約
  1. 西ローマ帝国滅亡
    →ゲルマン諸部族+キリスト教美術
  2. ケルト系修道院
    →豪華な装飾の福音書写本
  3. カール大帝の古代復興運動
    →カロリング・ルネサンス
    →アーヘン大聖堂や象牙彫刻

 

395年にローマは東西に分かれて
分担統治が始まります。

それに伴って美術様式も
東西で異なって発展していきました。

476年に西ローマ帝国は
ゲルマン民族に滅ぼされます。

美術史では西ローマ帝国の滅亡から
ルネサンスまでの1000年間を
中間的な時代という意味で中世と呼びます。

初期中世美術の特徴は
各民族の美術とキリスト教が融合した点です。
また、豪華に装飾された福音書写本
制作されたことでも有名です。

まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。

Altar of Penmo Madonna and Child Book of Kells Aachen Cathedral ivory carving


美術史年表

初期キリスト美術⇒2世紀末~

・(東)ビザンティン美術5世紀末~
・(西)初期中世美術⇒5世紀末~

ロマネスク⇒10世紀末~

初期中世美術の特徴

 

ゲルマン民族とは
ヨーロッパ北西部に移住していた民族で、
居住地域を拡大していくなかで
ローマ帝国との戦いに発展しました。

そして476年に西ローマ帝国が滅亡。
西ローマ皇帝が不在となり、
ローマ教会は取り残される事態
なりました。

それまでの関係性
  • 西ローマ皇帝+民衆
    →ローマ教会を守護
  • 東ローマ皇帝+民衆
    →コンスタンティノープル教会を守護

 

rome map
476年頃の帝国 (赤:西ローマ,青:東ローマ)

ゲルマン諸部族の小国が乱立した
西ヨーロッパに残されたローマ教皇は、
当初ビザンティン帝国に庇護を求めます。

しかし8世紀に入ると、
教義上の不一致などが原因で
フランク王国のカロリング家
西ローマ帝国の皇帝冠を授けて、
西ローマ帝国の復興を図りました。

ローマ教会目線でこの時代の
流れをまとめると以下のようになります

  • 476年に西ローマ帝国滅亡
    →ローマ教会の守護者が不在に
  • ビザンティン帝国に庇護を求める
    →ビザンティン帝国の支配下に
  • 支配を逃れるため、
    ゲルマン諸部族に布教を開始
  • フランク王国カロリング家を味方に
    カロリング・ルネサンス

キリスト教美術をめぐる出来事

 

Gregorius I
グレゴリウス1世

6世紀末から7世紀初頭に活躍した
ローマ教皇グレゴリウス1世は、
聖像を擁護しました。

ビザンティン帝国の支配から逃れるべく、
西方のゲルマン諸部族に布教するには
聖像が必要だと考えたからでした。

この出来事は東西での美術の展開を
決定的にわけることに繋がりました。

 

ただし

西ヨーロッパでも3次元的な彫刻は好まれませんでした

ペンモの祭壇

 

Altar of Penmo
ペンモの祭壇(737~744年)

当初のゲルマン民族は武具や装身具に
綺麗な装飾をするのは得意でしたが、
人を表現する美術とは無縁でした。

そんな彼らがキリスト教図像を表すと、
↑のような極端に様式化され、
規則的な形の繰り返しによって覆い尽くす
装飾的な表現となりました。

 

Madonna and Child
聖母子(7世紀頃?)

一方でビザンティン美術の影響を受けた
イコンのような作品も残っています。

民族の感性とビザンティンからの影響、
異なる2つが共存したのが
この時期の西ヨーロッパ美術の特徴です。

福音書写本

 

Book of Kells
ケルズの書

アイルランドを中心とする
ブリテン諸島北部のケルト系修道院では
豪華に装飾された福音書写本
数多く制作されました。

福音書とはキリストの生涯を記した本で、
布教活動に欠かせないものです。

組紐くみひも文様や渦巻文様など、
ケルト独特の装飾文様を主体とした写本は
この時代を代表する作品です。

カロリング・ルネサンス

 

フランク王国の領域拡大図(843年から分裂します)

8世紀末までに西ヨーロッパの主要部分を
統一したフランク王国のカール大帝は、
西ローマ帝国の復興を図ります。

その一環として各地の修道院や教会に
諸国から高名な学者を招いて、
古典文化の研究・教育にあたらせました。

このときの古代復興運動のことを
カロリング・ルネサンスとよんでいます。

 

Aachen Cathedral
アーヘン大聖堂ドーム

800年に建設されたアーヘン大聖堂は、
カロリング・ルネサンスを代表する建築です。

古代の集中式プランを採用し、
カール大帝は円柱と大理石の大部分を
ラヴェンナとローマから運ばせたという
記録も残っています。

 

象牙彫刻
象牙彫刻

もう1つの代表作が象牙彫刻です。

850年頃のフランスでは美しい写本の
象牙装丁板が数多く制作されました。

もともとゲルマン民族には
象牙彫刻の伝統はなかったので、
カール大帝の時代から本格的に
西ヨーロッパで象牙彫刻が復活しました。

まとめ

 

ivory carving
まとめ

✓初期中世美術の特徴は
各民族とキリスト教美術の融合

✓ケルト系修道院では豪華な
福音書写本が
数多く制作された

✓カール大帝は西ローマ帝国の復興を
図った
(カロリング・ルネサンス)

次回はロマネスク美術を解説します。

 

thumbnail