395年にローマは東西に分かれて
分担統治が始まります。
それに伴って美術様式も
東西で異なって発展していきました。
476年に西ローマ帝国は
ゲルマン民族に滅ぼされます。
美術史では西ローマ帝国の滅亡から
ルネサンスまでの1000年間を
中間的な時代という意味で中世と呼びます。
初期中世美術の特徴は
各民族の美術とキリスト教が融合した点です。
また、豪華に装飾された福音書写本が
制作されたことでも有名です。
まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。
![Altar of Penmo](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/08/maiestas-domini-1024x627-1-1-300x184.jpg)
![Madonna and Child](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/08/297px-Santa_maria_in_trastevere_roma_madonna_theotokos_fine_vii_sec_circa-1-186x300.jpg)
![Book of Kells](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/07/526px-KellsFol034rChiRhoMonogram-1-220x300.jpg)
![Aachen Cathedral](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/08/IMG_5471-1-1-300x200.jpg)
![ivory carving](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/08/名称未設定のデザイン-300x185.png)
初期中世美術の特徴
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/08/hermannsdenkmal-g91f1be5d4_640-1-300x200.jpg)
ゲルマン民族とは
ヨーロッパ北西部に移住していた民族で、
居住地域を拡大していくなかで
ローマ帝国との戦いに発展しました。
そして476年に西ローマ帝国が滅亡。
西ローマ皇帝が不在となり、
ローマ教会は取り残される事態と
なりました。
- 西ローマ皇帝+民衆
→ローマ教会を守護 - 東ローマ皇帝+民衆
→コンスタンティノープル教会を守護
![rome map](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/07/628px-Western-Eastern-Roman-Empires-476AD-300x147.jpg)
ゲルマン諸部族の小国が乱立した
西ヨーロッパに残されたローマ教皇は、
当初ビザンティン帝国に庇護を求めます。
しかし8世紀に入ると、
教義上の不一致などが原因で
フランク王国のカロリング家に
西ローマ帝国の皇帝冠を授けて、
西ローマ帝国の復興を図りました。
ローマ教会目線でこの時代の
流れをまとめると以下のようになります
- 476年に西ローマ帝国滅亡
→ローマ教会の守護者が不在に - ビザンティン帝国に庇護を求める
→ビザンティン帝国の支配下に - 支配を逃れるため、
ゲルマン諸部族に布教を開始 - フランク王国カロリング家を味方に
→カロリング・ルネサンス
キリスト教美術をめぐる出来事
![Gregorius I](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/08/Pope_Gregory_I-1-211x300.jpg)
6世紀末から7世紀初頭に活躍した
ローマ教皇グレゴリウス1世は、
聖像を擁護しました。
ビザンティン帝国の支配から逃れるべく、
西方のゲルマン諸部族に布教するには
聖像が必要だと考えたからでした。
この出来事は東西での美術の展開を
決定的にわけることに繋がりました。
西ヨーロッパでも3次元的な彫刻は好まれませんでした
ペンモの祭壇
![Altar of Penmo](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/08/maiestas-domini-1024x627-1-1-300x184.jpg)
当初のゲルマン民族は武具や装身具に
綺麗な装飾をするのは得意でしたが、
人を表現する美術とは無縁でした。
そんな彼らがキリスト教図像を表すと、
↑のような極端に様式化され、
規則的な形の繰り返しによって覆い尽くす
装飾的な表現となりました。
![Madonna and Child](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/08/297px-Santa_maria_in_trastevere_roma_madonna_theotokos_fine_vii_sec_circa-1-186x300.jpg)
一方でビザンティン美術の影響を受けた
イコンのような作品も残っています。
民族の感性とビザンティンからの影響、
異なる2つが共存したのが
この時期の西ヨーロッパ美術の特徴です。
福音書写本
![Book of Kells](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/07/526px-KellsFol034rChiRhoMonogram-1-220x300.jpg)
アイルランドを中心とする
ブリテン諸島北部のケルト系修道院では
豪華に装飾された福音書写本が
数多く制作されました。
福音書とはキリストの生涯を記した本で、
布教活動に欠かせないものです。
組紐文様や渦巻文様など、
ケルト独特の装飾文様を主体とした写本は
この時代を代表する作品です。
カロリング・ルネサンス
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/08/640px-Franks_expansion-300x192.gif)
8世紀末までに西ヨーロッパの主要部分を
統一したフランク王国のカール大帝は、
西ローマ帝国の復興を図ります。
その一環として各地の修道院や教会に
諸国から高名な学者を招いて、
古典文化の研究・教育にあたらせました。
このときの古代復興運動のことを
カロリング・ルネサンスとよんでいます。
![Aachen Cathedral](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/08/IMG_5471-1-1-300x200.jpg)
800年に建設されたアーヘン大聖堂は、
カロリング・ルネサンスを代表する建築です。
古代の集中式プランを採用し、
カール大帝は円柱と大理石の大部分を
ラヴェンナとローマから運ばせたという
記録も残っています。
![象牙彫刻](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/08/名称未設定のデザイン.png)
もう1つの代表作が象牙彫刻です。
850年頃のフランスでは美しい写本の
象牙装丁板が数多く制作されました。
もともとゲルマン民族には
象牙彫刻の伝統はなかったので、
カール大帝の時代から本格的に
西ヨーロッパで象牙彫刻が復活しました。
まとめ
![ivory carving](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2020/08/名称未設定のデザイン-300x185.png)
✓初期中世美術の特徴は
各民族とキリスト教美術の融合
✓ケルト系修道院では豪華な
福音書写本が数多く制作された
✓カール大帝は西ローマ帝国の復興を
図った(カロリング・ルネサンス)
次回はロマネスク美術を解説します。
→ゲルマン諸部族+キリスト教美術
→豪華な装飾の福音書写本
→カロリング・ルネサンス
→アーヘン大聖堂や象牙彫刻