この記事は
山田五郎さんのYoutubeチャンネルである
「山田五郎オトナの教養講座」より、
動画の内容を文字に起こして
解説していくものです。
第5回目のタイトルは
【日本人はなぜミュシャが好き?】
今回は日本でも馴染みのある
ミュシャについてです。
まだ動画をみてない方は
是非ご覧になって下さい。
文字の方が理解しやすい方は
ぜひ最後までお付き合いください。
目次
日本人はなぜミュシャが好き?(0:32~)

日本でも人気のあるミュシャですが、
その理由について考えたことがありますか?
山田さんはその理由を
「ミュシャが日本を好きだったから」
と述べています。
アルフォンス・ミュシャはチェコ出身の
画家で、当初はプラハの美術学校を
志望していましたが受からず、
ウィーンで舞台美術の仕事をしていました。
ところが劇場が火事で焼失。
失業したミュシャは25歳の時に
エゴン伯爵というパトロンに出会い
ミュンヘン美術院に入学・卒業後、
パリに出て本の挿絵の仕事を始めました。
プラハ⇒ウィーン⇒ミュンヘン⇒パリ
挿絵の仕事はさほどお金にはならず、
画家としてなかなか芽が出ない状態が
続いていました。
ところが1895年、ミュシャが35歳の時に
大きな転機が訪れます。
それはあるポスター制作の依頼でした。
サラ・ベルナールとの出会い(2:03~)

ミュシャはある日フランスの大女優
サラ・ベルナールから舞台宣伝の
ポスター制作を依頼されます。

画像の「ジスモンダ」はその時に
作った作品です。
ベルナールはジスモンダを大変気に入り、
ミュシャに専属の画家として働かないかと
持ち掛けました。
ミュシャはこれを承諾し、
ベルナールと6年間の専属契約を
結びます。
この6年間がミュシャの黄金時代となります。
JOBのポスター(3:51~)

これはミュシャが黄金時代に制作した
「JOB社の煙草」の宣伝ポスターです。
この作品にはミュシャの日本好きが
反映されています。
ミュシャがいた時代のウィーンやパリでは、
万国博覧会が開催され、日本の美術が
大ブームとなっていました。
そしてそんな日本美術から影響を受けた
ものにアール・ヌーヴォーがあります。
アール・ヌーヴォーとは19世紀末から
20世紀初頭にかけて起こったヨーロッパを
中心とした美術運動のことで、
以下の特徴があります。
- 平面的
- 曲線的
- 装飾的
- 動植物文様
これらの特徴は、
全て日本美術の特徴でもありました。

当時、パリで美術商を営んでいた
ジークフリート・ビングという
人物がいました。

彼は日本美術を扱う貿易商でもあり、
欧米諸国に日本美術を広めるため、
「芸術の日本」という雑誌を発行していました。

実はミュシャもこれを購入しており、
ミュシャの作品には雑誌から影響を受けたと
思われるものが数多くあります。
これがミュシャの作品が
日本人の感覚にウケる大きな理由です。
ちなみにアール・ヌーヴォーは
ジークフリートが営んでいた
日本美術の店名が由来となっています。

明治時代の日本では、
反対にミュシャの影響を受けた作品も
数多く生まれました。
アール・ヌーヴォーの終わり(9:26~)

そんなアール・ヌーヴォーでしたが、
第一次世界大戦後には徐々に
廃れていきます。
代わりに流行ったのが
アール・デコと呼ばれるスタイルです。
大量生産の時代に合った直線的・機能的なデザイン
アール・デコの特徴は
直線的かつ立体的であり、
アール・ヌーヴォーとは対極的でした。
アール・デコの流行と共に
ミュシャの黄金時代は終わりを告げ、
1910年にチェコへ帰国します。
帰国後のミュシャ(9:50~)

帰国後のミュシャは商業画家ではなく、
スラブ民族などを描く民族画家としての
活動を始めます。
それはミュシャが本心では
装飾的、商業的な絵ではなく
古典的な油絵を描きたかった
あらわれでした。
また、チェコの画家として
チェコの人民を救いたいという
気持ちのあらわれでもありました。


ところがミュシャは晩年、
民族的な作品が原因で
ナチス・ドイツに拘留され、
そのまま亡くなってしまいました。
ミュシャ、日本への影響(11:16~)

動画の終盤、
山田さんは1970年代の
アニメについて語り始めます。
実は日本で1970年代といえば
ベルサイユの薔薇など、
少女漫画の黄金時代でした。
1970年代の少女漫画を革新し、新風を巻き起こした女性作家たち
そしてその作家さんたちも
ミュシャの影響を受けている
と山田さんはいいます。
それはミュシャの平面的で装飾的な特徴が
少女漫画とマッチしていたからでした。
またミュシャはチェコからパリへ出てきた
画家ということもあり、彼の作品には
「憧れのパリ」が反映されていました。
その「憧れ」の部分も少女漫画と相性が
よかった1つの要素だといいます。
ミュシャが流行るのは景気の悪いとき?(13:15~)
続けて山田さんは、
ミュシャが流行るのは
景気の悪いときだといいます。
景気の良いときというのは
我慢すれば報われる時代でもあるので、
巨人の星などの熱血漫画系が流行り、
景気の悪いときというのは
我慢しても報われない時代なので、
憧れや優しさが伴う少女漫画や、
ミュシャのような作品が流行るそうです。
日本美術の要素を持つ作品だから
まとめ

✓ミュシャは日本が好きだった
✓アール・ヌーヴォーの特徴は平面的、曲線的、装飾的、動植物文様
✓ミュシャの作品は1970年代の少女漫画とも相性が良かった
今回はミュシャとアール・ヌーヴォーの
お話でした。
後半は日本の漫画との関連性も語られ、
非常に興味深い内容でしたね。
次回はレンブラントの作品についてです。
✓日本が好きだったミュシャ
✓日本美術の特徴をもつ作品
✓少女漫画との相性も◎