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日本人はなぜミュシャが好き?/山田五郎オトナの教養講座⑤

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記事の要約
  1. なぜミュシャが人気?
    →ミュシャが日本が好きだった
  2. 日本美術との共通点
    →平面的、曲線的、装飾的
  3. 少女漫画との相性
    →憧れの部分が〇

 

この記事は
山田五郎さんのYoutubeチャンネルである
「山田五郎オトナの教養講座」より、
動画の内容を文字に起こして
解説していくものです。

第5回目のタイトルは
【日本人はなぜミュシャが好き?】

今回は日本でも馴染みのある
ミュシャについてです。

まだ動画をみてない方は
是非ご覧になって下さい。

 

 

文字の方が理解しやすい方は
ぜひ最後までお付き合いください。


日本人はなぜミュシャが好き?

 

Alphonse Mucha
アルフォンス・ミュシャ

日本でも人気のあるミュシャですが、
その理由について考えたことがありますか?

山田さんはその理由を
「ミュシャが日本を好きだったから」
と述べています。

ミュシャはチェコ出身の画家で、
当初はプラハの美術学校を
志望していましたが受からず、
ウィーンで舞台美術の仕事をしていました。

ところが劇場が火事で焼失。
失業したミュシャは25歳の時に
エゴン伯爵というパトロンに出会い
ミュンヘン美術院に入学・卒業後、
パリに出て本の挿絵の仕事を始めました。

挿絵の仕事はさほどお金にはならず、
画家としてなかなか芽が出ない状態が
続いていたミュシャ。

そうして1895年、
ミュシャが35歳の時に転機が訪れます。

それはあるポスター制作の依頼でした。

 

活動の軌跡

プラハ⇒ウィーン⇒ミュンヘン⇒パリ

サラ・ベルナールとの出会い

 

Sarah Bernhardt
サラ・ベルナール

ある日ミュシャはフランスの大女優
サラ・ベルナールから舞台宣伝の
ポスター制作を依頼されます。

 

Gismonda
ジスモンダ

↑の「ジスモンダ」はその時の作品です。

ベルナールはジスモンダを大変気に入り、
ミュシャに専属の画家として
働かないかと持ち掛けました。

ミュシャはこれを承諾し、
ベルナールと6年間の専属契約を結びます。

そしてこの6年間が
ミュシャの黄金時代となります。

JOBのポスター

 

JOB cigarettes
「JOB社の煙草」1896年

↑はミュシャが黄金時代に制作した
「JOB社の煙草」の宣伝ポスターです。

この作品にはミュシャの日本好きが
反映されています。

ミュシャがいた時代のウィーンやパリでは、
万国博覧会が開催され、
日本の美術が大ブームとなっていました。

そしてそんな日本美術から影響を受けた
ものにアール・ヌーヴォーがあります。

アール・ヌーヴォーとは19世紀末から
20世紀初頭にかけて起こったヨーロッパを
中心とした美術運動のことで、
以下の特徴があります。

  1. 平面的
  2. 曲線的
  3. 装飾的
  4. 動植物文様

これらの特徴は、
全て日本美術の特徴でもありました。

 

Yoshiwara clock Boar time
吉原時計 亥ノ刻

当時、パリで美術商を営んでいた
ジークフリート・ビングという
人物がいました。

 

Siegfried Bing
ジークフリート・ビング

彼は日本美術を扱う貿易商でもあり、
欧米諸国に日本美術を広めるため、
「芸術の日本」という雑誌を発行していました。

 

art japan
芸術の日本

実はミュシャもこれを購入しており、
ミュシャの作品には雑誌から影響を受けたと
思われるものが数多くあります。

これがミュシャの作品が
日本人の感覚にウケる大きな理由です。

ちなみにアール・ヌーヴォーは
ジークフリートが営んでいた
日本美術の店名が由来となっています。

 

ミュシャの影響を受けた作品

明治時代の日本では、
逆にミュシャの影響を受けた作品も
数多く生まれました。

アール・ヌーヴォーの終わり

 

アール・デコのポスター

そんなアール・ヌーヴォーでしたが、
第1次世界大戦後には徐々に
廃れていきます。

代わりに流行ったのが
大量生産の時代に合った直線的で、
機能的なデザインを特徴とする
アール・デコと呼ばれるスタイルです。

アール・デコの流行と共に
ミュシャの黄金時代は終わりを告げ、
1910年にチェコへ帰国します。

帰国後のミュシャ

 

home slavs
故郷のスラヴ人

帰国後のミュシャは商業画家ではなく、
スラブ民族などを描く民族画家としての
活動を始めます。

それはミュシャが本心では
装飾的、商業的な絵ではなく
古典的な油絵を描きたかった
あらわれでした。

また、チェコの画家として
チェコの人民を救いたいという
気持ちのあらわれでもありました。

 

Svantovit Festival on Ruyana Island
ルヤナ島のスヴァントヴィト祭
Apotheosis of Slavic history
スラヴの歴史の神格化

ところがミュシャは晩年、
民族的な作品が原因で
ナチス・ドイツに拘留され、
そのまま亡くなってしまいました。

ミュシャ、日本への影響

 

動画の終盤、
山田さんは1970年代の
アニメについて語り始めます。

実は日本で1970年代といえば
ベルサイユの薔薇など、
少女漫画の黄金時代でした。

そしてその作家さんたちも
ミュシャの影響を受けている
と山田さんはいいます。

それはミュシャの平面的で装飾的な特徴が
少女漫画とマッチしていたからでした。

またミュシャはチェコからパリへ出てきた
画家ということもあり、
彼の作品には「憧れのパリ」
反映されていました。

その「憧れ」の部分も少女漫画と相性が
よかった1つの要素だといいます。

ミュシャが流行るのは景気の悪いとき?

 

続けて山田さんは、
ミュシャが流行るのは
景気の悪いときだといいます。

景気の良いときというのは
我慢すれば報われる時代でもあるので、
巨人の星などの熱血漫画系が流行り、
景気の悪いときというのは
我慢しても報われない時代なので、
憧れや優しさが伴う少女漫画や、
ミュシャのような作品が流行るそうです。

 

ミュシャを日本人が好きな理由

日本美術の要素を持つ作品だから

まとめ

 

JOB cigarettes
まとめ

✓ミュシャは日本が好きだった

✓アール・ヌーヴォーの特徴は
平面的、曲線的、装飾的、動植物文様

✓ミュシャの作品は1970年代の
少女漫画とも相性が良かった

今回はミュシャと
アール・ヌーヴォーのお話でした。

後半は日本の漫画との関連性も語られ、
非常に興味深い内容でした。

次回はレンブラントの作品についてです。

 

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