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アカデミー/アカデミックな美術とは?

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記事の要約
  1. 王立絵画彫刻アカデミーを設立
    →芸術家のイタリアへの流出を阻止
  2. アカデミックな教育とは?
    →デッサン+古典編重
  3. 画家の正規ルート?
    →アカデミー会員に気に入られること

 

西洋美術史ではアカデミー、
アカデミックな美術という言葉を
よく見かけます。

アカデミーは一般的にフランスの
王立絵画彫刻アカデミー
ことを指すのですが、
そこで指導される内容や作品は
一体どんなものだったのでしょうか?

この記事で詳しく解説します。

まずはアカデミックな作品画像を
確認していきましょう。

Messengers of Agamemnon who came to Achilles Birth of Venus Birth of Venus Wrath of Achilles Andromache's Lament


アカデミーとは?

 

Louis XIV
ルイ14世

フランスの王立絵画彫刻アカデミーは
1648年にルイ14世によって設立されました。

それまで、画家の正規ルートといえば
ほとんどが従弟制もしくはギルドと
呼ばれる画家・彫刻家組合に所属し、
下積みを経て独立するというものでした。

しかしこのギルドも16世紀中頃には
かなり規則が厳しくなっており、
「新参者は認めない」といった感じの
いわゆる閉鎖的な仕組みとなっていました。

 

Accademia delle Arti del Disegno
アカデミア・デル・ディセーニョ

一方、この頃のイタリアには既に
アカデミア・デル・ディセーニョなど
従弟制ではない、志願者が比較的自由に
芸術を学べる組織がありました。

となるとフランスの画家・彫刻家を目指す人は
「イタリアに行こう」となってしまうわけです。

 

Charles Leblanc
シャルル・ル・ブラン

この流れをまずいと感じたのが
ルイ14世の第一画家として活躍していた
シャルル・ル・ルブランです。

ルブランはイタリアに倣って、
フランスも芸術を学ぶ機関を作るべきだと
国務評定官のシャルモアに報告します。

これをキッカケにルイ14世が
王立絵画彫刻アカデミーを設立したのでした。

ちなみに旧来のギルドは
アカデミーに反発したそうですが、
さすがに相手が悪かったようで
王室御用達の画家は全てアカデミーに
所属する画家でなければならないなど、
アカデミーが絶対的有利な条件を
設けるなどして沈静化させたようです。

主なアカデミーの制度

 

Ecole des Beaux Arts
エコール・デ・ボザール(2010年)

アカデミー制度の中心は以下の3つです。

  1. エコール・デ・ボザール
  2. コンクール
  3. サロン

 

人物写生するエコールの学生たち

まずはエコール・デ・ボザール

フランス革命前は

  1. 絵画彫刻アカデミー
  2. 音楽アカデミー
  3. 建築アカデミー

の3つだったものが1819年に統合され、
国立美術学校エコール・デ・ボザールとなります。

ここで学生たちは徹底的に
アカデミックな教育を受けます。

アカデミックな教育については
後述します。

 

Messengers of Agamemnon who came to Achilles
ローマ賞受賞作品(アングル)1801年

2つ目がコンクール(ローマ賞)

学生のための美術コンペであり、
優勝者には奨学金やローマ留学の資格など
プロとしてのキャリアが約束されました。

 

salon
1880年のサロン風景

3つ目にサロン

1667年にアカデミーで行われた
作品展が始まりだとされ、
当初はアカデミー会員のみで行われました。

フランス革命後はアカデミー会員の審査のもと
会員以外の画家にも開かれました(公募展)。

このサロンに出品されるだけでも
画家としての実力を認められた証となり、
いわば画家の登竜門的存在となります。

アカデミックな教育とは?

 

では、アカデミーではどのような教育が
されていたのでしょか?

簡潔にすると以下のようになります↓

  1. とにかく模写
  2. 絵画のヒエラルキー
  3. 画家としての正規ルート

 

sculpture

アカデミーでは絵画技術の習得法が
明確に決められていました。

その1つにデッサンがあり、
まず学生たちは古典彫刻の模写
行い続けました。

古典彫刻の印刷物を見て模写

デッサン提出、合格したら次へ

古典彫刻の模型を見て模写

デッサン提出、合格したら次へ

ポーズをとったモデルを写生する

といった感じです。

ちなみにエコール・デ・ボザールでは
1863年になるまで絵の具を使った彩画は
教えられなかったそうです。

それだけ徹底して過去の芸術を模写し、
技術を吸収することが重要視されました。

 

Nicolas Poussin
ニコラ・プッサン

また、アカデミーで模範とすべき画家は
ニコラ・プッサンとされました。

上流階級出身であるプッサンの
豊かな知識と教養、品性から作り出される
絵画が会員たちの理想として映ったからでした。

加えて、シャルル・ル・ルブランが
彼の弟子だったことも影響しているでしょう。

 

Shepherds of Arcadia
プッサンの歴史画

アカデミーでは絵画のヒエラルキー
が存在していました。

  1. 歴史画
  2. 肖像画
  3. 風俗画
  4. 風景画
  5. 静物画

といった具合です。

歴史画を頂点とするのは、
アカデミーが模範とするプッサンの

画家の題材は
高貴な事柄、たとえば合戦や
英雄的行為や宗教的テーマを
扱っていなくてはならない

とする信念やエリート思考が
影響しているといえます。

実際、プッサンが残した名作の
ほとんどが歴史画でした。

 

そして最後に重要なのが
画家としての正規ルートの教えです。

これに関しては直接的ではなく、
間接的、暗黙の教えといった感じです。

まず、ここまでのアカデミーの情報を
整理したいと思います。

  1. アカデミーでは古典作品や歴史画
    が至高のものとして教えられる
  2. ローマ大賞受賞やサロン展示は
    画家として認められた証
  3. コンペやサロンを審査するのは
    アカデミー会員
  4. 王室御用達の画家はアカデミー会員
    かつ実力のある者でなければならない

つまり、
画家として成功したいなら
アカデミー会員になって
歴史画とか描きなさいよってことです。

王立のもとで定められたルールは
画家としての正規ルートを作り上げ、
それ以外は認めないという
これまた保守的なものになったのです。

アカデミーへの批判

 

オルナンの埋葬
クールベ「オルナンの埋葬」1849年

歴史画を至高とし、保守的なアカデミーに
最初の批判を行ったのが、
クールベなどの写実主義の画家です。

彼らはアカデミーが牛耳るサロンの審査
だけでなく、観念的なものも批判しました。

  1. 歴史画への批判
    →現実との関係性が無視されている!
  2. 理想化されて描かれている
    →質感がなめらか過ぎる!
  3. ヒエラルキーへの批判
    →静物画や風景画がなんで下位なんだ!

写実主義の画家たちが目指したのは
目に見える世界を描くこと、
理想化せずに対象を描くことでした。

また、クールベは世界で最初に
個展を開いた画家として有名です。

このことは、後に誕生する印象派への
大きな架け橋ともなりました。

写実主義やバルビゾン派の特徴を解説

 

Napoleon III
ナポレオン3世

また、ナポレオン3世は独自の芸術政策で
アカデミーと対立しました。

1863年のサロンは例年よりも審査が厳しく、
落選者が多かったことを背景に、
ナポレオン3世は落選者らの作品を集めて
「落選展」という展示を開催するよう
指示しました。

 

lunch on the grass
マネ「草上の昼食」1862‐1863年

ちなみにこの落選展で発表された中に、
マネの有名な「草上の昼食」があります。

 

「草上の昼食」この女性はなぜ1人だけ裸なの!?

色彩論争

 

しばしばアカデミー内でも
論争が巻き起こることがありました。

それが色彩論争です。

最初のものは1671年で、
アカデミーの理想とする画家は
プッサンかルーベンスかという論争です。

 

poet's inspiration
プッサン「詩人の霊感」

プッサンの作品は素描、
いわゆる知的に描かれた線を
重視しているのに対し、

 

Saint George and the Dragon
ルーベンス「聖ゲオルギウスと竜」

ルーベンスは感情に訴えかけるような
色彩を重視していました。

そこでアカデミー内でも
素描派のプッサン
色彩派のルーベンスという
対立が生まれ、論争はしばらく続きます。

 

ホメロス礼賛
アングル「ホメロス礼賛」(新古典主義)

次に起こるのが19世紀初頭の
新古典主義ロマン主義の論争です。

ここでも論点となったのが
新古典主義が描く線を重視するか、
ロマン主義が描く色彩を重視するか
というものでした。

 

民衆を導く自由の女神
ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」(ロマン主義)

この論争は
両者を折衷する形で終結します。

このように線か色彩かの論争は
アカデミー、西洋美術史で
よく出てくるトピックとなっています。

 

ロマン主義の特徴や代表作を解説

まとめ

 

Birth of Venus
まとめ

イタリアに倣って、ルイ14世が王立絵画彫刻アカデミーを設立した

デッサンを重視し、歴史画を至高のジャンルとした

アカデミーで認められることが画家としての成功でもあった

時代に伴い、アカデミー以外で活躍する画家が出てきた

色彩論争はアカデミー、西洋美術史で頻出のトピック

いかがでしたでしょうか?

日本ではやや人気の低い
アカデミック絵画ですが、
実は印象派よりも長い歴史があります。

個人的に、権限が強くなると
保守的になったりするのは
現代でも起こる現象の1つかなとも
考えたりします。

最後まで読んで頂き、
ありがとうございました。