この記事は
山田五郎さんのYoutubeチャンネルである
「山田五郎オトナの教養講座」より、
動画の内容を文字に起こして
解説していくものです。
第13回目のタイトルは
【セザンヌのリンゴはなぜ落ちない?】
今回はセザンヌについてです。
まだ動画をみてない方は
是非ご覧になって下さい。
文字の方が理解しやすい方は
ぜひ最後までお付き合いください。
セザンヌのリンゴはなぜ落ちない?
![キューピッドの石膏像のある静物](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/image0-thumb-autox409-750-1-241x300.jpeg)
今回はポスト印象派の画家、
ポール・セザンヌの作品についてです。
早速ですがあなたは上の作品で
なにか気になるところはありませんか?
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/image0-thumb-autox409-750-1-1-241x300.jpeg)
ここのリンゴ…なんか不自然というか
落ちてしまいそうに感じませんか?
名のある画家が
なぜこんな描き方をしたのか?
もしくはここにも
なにかメッセージ性があるのか?
それが今回のテーマです。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/image0-thumb-autox409-750-2.jpeg)
そして今回、山田さんは
最初に結論を言っています。
なぜこのリンゴが落ちないのか…
それは「絵」だからです。
これは決してふざけているのではなく、
ここに重要な意味が込められています。
![ポール・セザンヌ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/06/220px-Paul_Cezanne-204x300.jpg)
セザンヌは現代絵画の父とも呼ばれる
非常に有名な画家の1人です。
そしてなぜセザンヌがそのように
呼ばれるようになったかというと、
「絵と現実は違う」というメッセージを
作品に込めたからです。
![石割人夫](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/06/640px-Gustave_Courbet_018-1-300x183.jpg)
それまでの西洋絵画は
写実的に描くことが常識でした。
ダヴィンチで有名なルネサンス時代に
発見された遠近法もいわば
「リアルに描くための技法」です。
![ホラティウス兄弟の誓い](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2021/07/623px-Jacques-Louis_David_Le_Serment_des_Horaces-1-300x231.jpg)
それまでの画家はそれらを用いて
聖書や神話など、実際に目にしていない
テーマさえもとにかくリアルに描きました。
![散歩、日傘をさす女性](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/580px-Claude_Monet_-_Woman_with_a_Parasol_-_Madame_Monet_and_Her_Son_-_Google_Art_Project-1-241x300.jpg)
セザンヌと同時期にいた印象派の画家も
タッチや表現方法は変わりましたが、
彼らなりに現実っぽく描いています。
![キューピッドの石膏像のある静物](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/image0-thumb-autox409-750-1-241x300.jpeg)
ところがセザンヌは違いました。
セザンヌが作品に対して考えたことは
「絵はべつに絵として完成されれば良い」
ということでした。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/thumb_studies_02_01_r.jpg)
セザンヌの思想の背景には
カメラの誕生があります。
19世紀に入り少しずつカメラの技術が
発展していくと、それまでの
リアルに描く技術の価値がぐんと
落ちてしまったのです。
ですので19世紀以降はまさに
アートの価値を再発見する時代に
突入したともいえるでしょう。
![ポール・セザンヌ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/Paul_cezanne_1861-1-206x300.jpg)
セザンヌの場合は
リアルに描く伝統からの脱却。
もっというと
絵は絵として成り立てばいい。
その思いを作品に込めたのです。
なぜそっくりに描くのをやめた?
ここで山田さんは
なぜセザンヌはリアルに描くことを
やめたのかという話をします。
その理由は…
下手だったからです(泣)
現代絵画の父とも呼べる人物に
まさかの言葉が飛び出してきました。
しかしどうもこれは事実のようです。
![エクサンプロヴァンス](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/640px-Fontaine_de_la_Rotonde_-_Aix-en-Provence-1-300x225.jpg)
セザンヌは南フランスのプロヴァンス
という土地に生まれました。
父が銀行業を営んでいて裕福だった
セザンヌは名門中学に通い、
そこで後に小説家として有名になる
エミール・ゾラと知り合いになります。
![エミール・ゾラ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/520px-Emile_Zola_1902-1-217x300.jpg)
セザンヌは中学の
デッサンコンクールで1等を獲り、
ゾラに画家になるよう勧められました。
それを真に受けたセザンヌは父親に
掛け合いますが反対され、
父の希望だった法学部に通い始めます。
![エトワール凱旋門界隈](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/06/640px-Paris_Arc_de_Triomphe_3b40740-1-300x204.jpg)
そのころゾラは芸術の都パリに出ていて、
セザンヌへよく「パリに来い」と
手紙を出していたそうです。
セザンヌもパリヘ出て画家になりたい
想いが募っていきました。
そしてセザンヌは父親に
自身の絵の才能を認めてもらおうと
別荘の壁に絵を描きました。
![春・夏・冬・秋の壁画](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/名称未設定のデザイン-1-300x218.png)
それが上の作品です。
セザンヌが21歳の頃に描いたものですが、
当時の(今でも?)感覚でいうと下手です。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/Cezanne_LEte-1-107x300.jpg)
そして興味深いのが、
セザンヌは絵の右下にアングルと
サインをしてます。
![ドミニク・アングル](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2021/07/386px-Ingres_Self-portrait-1-241x300.jpg)
アングルはセザンヌよりも前の
新古典主義と呼ばれる時代の画家です。
![グランド・オダリスク](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/640px-Jean_Auguste_Dominique_Ingres_La_Grande_Odalisque_1814-1-300x167.jpg)
彼は古典的な絵画を描いており、
国立美術学校の院長にも就任するほど
フランス美術界のトップにいた人物です。
そんな人物のサインを描いたのには
「俺はアングルと同レベルの画家だ」と
主張するセザンヌの気持ちがあったと
山田さんは考えています。
そしてここにセザンヌの特徴が
いくつか込められているそうです。
![春・夏・冬・秋の壁画](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/名称未設定のデザイン-1-300x218.png)
その1つ目が
遠近法を描けない。
次に
物の質感が描けない。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/386px-Cezanne_LEte-1.jpg)
そして3つ目に
根拠のない自己肯定感。
山田さんはこの3つが
生涯つきまとうセザンヌの特徴だと
いいます。
その後、父親の許しをもらった
セザンヌはパリへ行きます。
(結局親バカだった父…)
そこで国立美術学校を受けた
セザンヌでしたが当然落ちてしまいます。
自己肯定感の裏返しで凹みやすい性格でも
あったセザンヌはその後、父親のもとに
帰って銀行家として働くことにしました。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/09/640px-Henri_Fantin-Latour_-_A_Studio_at_Les_Batignolles_-_Google_Art_Project-1-300x222.jpg)
しかしゾラの励ましを受け
再度パリへ出向いたセザンヌは、
誰でも入ることができる絵描き塾に入り、
そこで印象派の画家たちと知り合います。
そして1874年には第1回印象派展の
立ち上げメンバーとして出品しました。
ところがセザンヌはそのメンバーの中でも
ずば抜けて下手くそでした。
他の印象派の画家たちは
当時としては風変わりな絵を描いて
いたものの、1度や2度はサロンで賞を
獲れるくらいの技術はもっていました。
![エドガー・ドガ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/06/Edgar_Degas_self_portrait_1855-1-238x300.jpeg)
特にエドガー・ドガなんかは何度も
サロンで賞を獲っています。
ところがセザンヌは生涯に1度も
サロンで賞を獲っていません。
このことはやはりセザンヌの絵が
下手だった裏付けといえるでしょう。
![第3回印象派展に出品した1つ「女性水浴図」](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/581px-Baigneuses_par_Paul_Cezanne_Metropolitan_Museum_of_Art-1-300x248.jpg)
そんなセザンヌは印象派の中でも
少し浮いた存在で、第3回印象派展を最後に
出品をやめてしまいます。
故郷に帰ったセザンヌはパリと故郷を
行き来しながら絵を描く生活を始め、
次第にパリへ行くことも減っていきました。
その後父親が亡くなり、
遺産を手に入れたセザンヌは
生活に困らないけど売れない画家を続けます。
![ポール・セザンヌ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/06/220px-Paul_Cezanne-204x300.jpg)
そんなある時、
セザンヌはあることを考えます。
それは、
「自分はどうやっても対象を
リアルに描くことができない。
ならば対象を自分が
描けるように変えてはどうか?」
というものでした。
自分を信じ続けた結果
セザンヌの有名な言葉に
このようなものがあります。
自然を球、円錐、円柱として捉えなさい
このことは、
自然を彼の技術でも描けるように
〇・△・□に単純化して
画面上で再構成することを指しています。
その思考を皮切りに
そもそもリアルに描かなくてもよいのでは?
絵として完成されていればよいのでは?
という考えに及びます。
![リンゴとオレンジのある静物](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/611px-Nature_morte_aux_pommes_et_aux_oranges_par_Paul_Cezanne-1-300x236.jpg)
絵の本質は構図と配色。
物の質感や遠近感は本質ではない。
それからセザンヌは対象を単純化し、
布や果物の質感などもほとんど同じように
描きました。
また遠近感に対しても、
普段わたしたちが見ている世界は
3次元的でしかも動いていることから、
色んな視点を画面上で再構成して
描くことを良しとしました。
山田さんはこれを
下手を逆手にとって物事を等価に描く
と表現しています。
![アンブロワーズ・ヴォラール](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/564px-Pierre-Auguste_Renoir_-_Ambroise_Vollard-1-235x300.jpg)
すると時代がセザンヌに追いついてきます。
パリの画商で印象派などの作品を扱っていた
ヴォラールがセザンヌに連絡をとり、
彼の作品をみると評価してくれたのです。
パリで活躍していた頃のセザンヌの絵は
まったく評価されませんでしたが、
それから20年経過すると彼の絵の評価が
変わり始めたのです。
そして1895年、セザンヌは56歳で
初めての個展を開催します。
そこには後のナビ派を結成する
モーリス・ドニなどがきたそうです。
19世紀末の若い前衛芸術家集団
物の質感を区別しない、
遠近法も使わない新しい表現は
そこでも一定の評価を得ました。
1898年には2回目の個展開催、
そして1900年にはパリ万博へ
出品します。
![セザンヌ礼賛](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/640px-Maurice_Denis_Homage_to_Cezanne_1900-1-300x222.jpg)
セザンヌは1906年に肺炎のため
亡くなりましたが、翌年には
セザンヌの大回顧展が開催されました。
そしてその回顧展に出席した
ピカソやブラックがセザンヌの絵に
影響を受け、キュビスムを試み始めるのです。
このことが現代絵画の父と呼ばれる由縁です。
最後に山田さんは
セザンヌから学ぶ教訓について語りました。
1つは
諦めずに続けていれば
時代が追いつくこともあるということ。
そして2つ目に
出来ない事より出来る事を伸ばそう
ということです。
まとめ
![キューピッドの石膏像のある静物](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/image0-thumb-autox409-750-1-241x300.jpeg)
✓セザンヌは絵が下手くそだった
✓遠近法や質感が表現できないからこそ、それらを表現しなくてもよい作品を追い求めた
✓ドニやピカソなど後世の画家に影響を与えて、現代絵画の父となった
いかがでしたでしょうか?
下手なりに試行錯誤した結果、
名声を得たセザンヌから学べることは
たくさんありそうですね。
次回はゴッホの耳切り事件についてです。
✓正直下手くそだった
✓下手だからこそ色々考えた
✓そして現代絵画の父になった