この記事は
山田五郎さんのYoutubeチャンネルである
「山田五郎オトナの教養講座」より、
動画の内容を文字に起こして
解説していくものです。
第14回目のタイトルは
【謎だらけ!ゴッホ耳切り事件の真相を追え!】
今回はゴッホの耳切り事件についてです。
まだ動画をみてない方は
是非ご覧になって下さい。
文字の方が理解しやすい方は
ぜひ最後までお付き合いください。
ゴッホ耳切り事件の謎を追え!
今回は1枚の作品ではなく、
ゴッホの耳切り事件について
語られる内容です。
前回の話を見ていない方は
そちらからご覧ください。
南フランスのアルルに住み始めたゴッホは
ほぼ毎日のように友人や弟のテオに
手紙を書きました。
その内容も「今日は〇〇をした」みたいな
日記のようなものが多く、私生活を包み隠さず
報告していたといいます。
ところが、そんなゴッホでも
決して語らなかった話題が
2つだけあったそうです。
それが
- 耳切り事件について
- 自殺の真相
の2つです。
ですのでこれらについては未だに
分かっていないことが多いのだとか。
分かっていること
ここからはゴッホの出した手紙などに
よって明らかになっていることを
整理していきます。
まずはゴッホが1888年の2月に
アルルに到着しているということ。
そして5月には黄色い家を借りて
芸術家による共同生活を夢みます。
そして10月23日、
ゴーギャンがアルルに到着。
ゴッホにとって待望の共同生活が
始まりますが、すぐに2人の関係は
ギクシャクしていきます。
この時期にゴーギャンがテオに向けて
送った手紙も残っており、
関係が悪くなった原因がいくつか
綴られているようです。
その理由の1つ目が
部屋が汚いということ。
2つ目に
料理が不味いということ。
そして3つ目が
金使いが荒いということでした。
ゴーギャンといえば
元海軍軍人で株式仲買人の仕事も
行っていた人物です。
ですので料理はできるし、
お金の管理もしっかりしていました。
その辺の生活観・価値観のズレが
ゴーギャンにとってはすごくストレス
でした。
そしてなにより、ゴッホは興奮すると
議論し続けて止まらない性格でも
あったようです。
そんな人物と2人きりの生活は
さすがに辛そうですね。
そしてある日、
ゴーギャンが気分転換に行きつけの
売春宿(娼館)に行こうとしたとき、
なにか後ろから付いてこられている
気がしたといいます。
そして後ろを振り返ると…
そこには家を出ていかないか心配した
ゴッホがいました。
ゴッホはその際、
「(家を出て)行くのか?」と
ゴーギャンに質問しました。
ゴーギャンは
「(娼館に)行くさ」と
答えるとゴッホは新聞の切り抜きを
渡したそうです。
そこには「連続殺人犯捕まる」という
ニュースが載っていました。
そのあとゴッホはそのまま
帰っていったそうです。
(かなりの不穏状態…)
そしてその次の日、
馴染みのある娼婦のもとに
ゴッホの耳が届けられた
通称「耳切り事件」が勃発。
届けられた耳には
「僕のことを忘れるな」という
メッセージも添えてあったとか。
耳を切って血だらけのゴッホは
たまたま家に来たルーランに発見され、
病院に送られました。
なぜ耳を切った?
ではなぜゴッホは
耳を切ったのでしょうか?
その謎を解くヒントに
なるかもしれないのがコチラの絵です。
これはゴーギャンが
ゴッホをモデルに描いた絵です。
ゴッホはこの絵を見てすごく怒ったそうで、
その理由の1つが耳が変だったから。
「こんな耳はしていない!」と
言った説もあるようです。
そしてこのエピソードが
ゴーギャンが思うゴッホの特徴ある耳を
送った理由でないかと考えられています。
また、実際は娼婦に向けて送ったのではなく
そこに居ると思われたゴーギャンに
送ったのではないかとも考えられています。
そう考えると、
「僕のことを忘れるな」という言葉の
意味も理解できます。
ちなみにこの時ゴッホが描いていた
ひまわりが現在SOMPOジャパン美術館に
所蔵してあるものです。
耳をどのくらい切った?
次にゴッホはどのくらい耳を
切ったのかについてです。
前までは「耳たぶしか切っていない」と
する説もありましたが、
2016年に結構バッサリ切ったことが
確認されました。
それを裏付けるのが、
ゴッホが入院したアルルの病院で
クリスマスイブの日に勤務していた
研修医の記録です。
名はフェリックス・レイ。
このレイが耳を切ったゴッホを
担当した医者になります。
そして1930年にレイがゴッホについて
取材された際の返答が残っています。
ここにはゴッホの耳がどのくらい
切られていたかが書かれています。
どうやら耳は点線部分で切られており、
耳たぶしか残っていなかったことが
確認できます。
ですので真相は
耳たぶしか切っていなかったのではなく、
耳たぶしか残っていなかったのです。
ゴーギャンが切った説
今回の耳切り事件にはもう1つ、
興味深い説があります。
それがゴーギャンが切った説です。
この説が浮上した理由が、
アルルにゴーシャンがフェンシングの
道具を持ってきていたことです。
理由は不明ですが、
持ってきたことは記録に残っています。
そして耳切り事件のあと、
ゴッホはゴーギャンの荷物をパリに
送った記録があるのですが、
その荷物の中にフェンシングの剣が
入っていないのです。
剣はどこに消えたのか。
そこを皮切りにアルルの警察の調書など
さまざまな資料を調べて、
ゴーギャンが耳を切って剣をどこかに捨てた
とする説が浮き上がったそうです。
この説はアムステルダムにある
ファン・ゴッホ美術館が正式に否定
していますが、現在でもこの説を
主張する人がいるそうです。
まとめ
✓ゴーギャンの描いた耳が気に入らなかった
✓ゴーギャンがいると思われる娼館にゴーギャン宛に耳を送った
✓家を出たいと思うゴーギャンに「俺のことを忘れるな」というメッセージを込めた
✓ゴーギャンが切ったとする説もある
次回はゴッホの死の真相についてです。
✓描かれた耳が気に入らなかった
✓ゴーギャンに向けて耳を送った
✓ゴーギャンが切った説もある