この記事は
山田五郎さんのYoutubeチャンネルである
「山田五郎オトナの教養講座」より、
動画の内容を文字に起こして
解説していくものです。
第14回目のタイトルは
【謎だらけ!ゴッホ耳切り事件の真相を追え!】
今回はゴッホの耳切り事件についてです。
まだ動画をみてない方は
是非ご覧になって下さい。
文字の方が理解しやすい方は
ぜひ最後までお付き合いください。
ゴッホ耳切り事件の謎を追え!
![フィンセント・ファン・ゴッホ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/Vincent_Willem_van_Gogh_106-1-265x300.jpg)
今回は1枚の作品ではなく、
ゴッホの耳切り事件について
語られる内容です。
前回の話を見ていない方は
そちらからご覧ください。
![手紙](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/06/write-g458e79ec7_640-1-300x182.jpg)
南フランスのアルルに住み始めたゴッホは
ほぼ毎日のように友人や弟のテオに
手紙を書きました。
その内容も「今日は〇〇をした」みたいな
日記のようなものが多く、私生活を包み隠さず
報告していたといいます。
ところが、そんなゴッホでも
決して語らなかった話題が
2つだけあったそうです。
それが
- 耳切り事件について
- 自殺の真相
の2つです。
ですのでこれらについては未だに
分かっていないことが多いのだとか。
分かっていること
![黄色い家](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/06/609px-Van_Gogh_-_Das_gelbe_Haus_Vincents_Haus2-1-300x236.jpeg)
ここからはゴッホの出した手紙などに
よって明らかになっていることを
整理していきます。
まずはゴッホが1888年の2月に
アルルに到着しているということ。
そして5月には黄色い家を借りて
芸術家による共同生活を夢みます。
そして10月23日、
ゴーギャンがアルルに到着。
ゴッホにとって待望の共同生活が
始まりますが、すぐに2人の関係は
ギクシャクしていきます。
![ゴーギャン](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/Paul_Gauguin_-_Self_Portrait_1903_-_Kunstmuseum_Basel_1943-1-172x300.jpg)
この時期にゴーギャンがテオに向けて
送った手紙も残っており、
関係が悪くなった原因がいくつか
綴られているようです。
その理由の1つ目が
部屋が汚いということ。
2つ目に
料理が不味いということ。
そして3つ目が
金使いが荒いということでした。
![ゴーギャン](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/Paul_Gauguin_1891-1-235x300.png)
ゴーギャンといえば
元海軍軍人で株式仲買人の仕事も
行っていた人物です。
ですので料理はできるし、
お金の管理もしっかりしていました。
その辺の生活観・価値観のズレが
ゴーギャンにとってはすごくストレス
でした。
![ゴッホと考えられている肖像写真](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/Vincent_van_Gogh_photo-1-197x300.jpg)
そしてなにより、ゴッホは興奮すると
議論し続けて止まらない性格でも
あったようです。
そんな人物と2人きりの生活は
さすがに辛そうですね。
そしてある日、
ゴーギャンが気分転換に行きつけの
売春宿(娼館)に行こうとしたとき、
なにか後ろから付いてこられている
気がしたといいます。
そして後ろを振り返ると…
そこには家を出ていかないか心配した
ゴッホがいました。
![ゴッホ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/06/571px-VanGogh_1887_Selbstbildnis-1-238x300.jpg)
ゴッホはその際、
「(家を出て)行くのか?」と
ゴーギャンに質問しました。
ゴーギャンは
「(娼館に)行くさ」と
答えるとゴッホは新聞の切り抜きを
渡したそうです。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/dollar-g9902e4ee0_640-1-300x200.jpg)
そこには「連続殺人犯捕まる」という
ニュースが載っていました。
そのあとゴッホはそのまま
帰っていったそうです。
(かなりの不穏状態…)
そしてその次の日、
馴染みのある娼婦のもとに
ゴッホの耳が届けられた
通称「耳切り事件」が勃発。
届けられた耳には
「僕のことを忘れるな」という
メッセージも添えてあったとか。
![郵便配達人ジョゼフ・ルーラン](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/06/384px-Vincent_van_Gogh_-_Portret_van_de_postbode_Joseph_Roulin-1-240x300.jpg)
耳を切って血だらけのゴッホは
たまたま家に来たルーランに発見され、
病院に送られました。
なぜ耳を切った?
ではなぜゴッホは
耳を切ったのでしょうか?
その謎を解くヒントに
なるかもしれないのがコチラの絵です。
![ひまわりを描くゴッホ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/Paul_Gauguin_-_Vincent_van_Gogh_painting_sunflowers_-_Google_Art_Project-1-1-300x239.jpg)
これはゴーギャンが
ゴッホをモデルに描いた絵です。
ゴッホはこの絵を見てすごく怒ったそうで、
その理由の1つが耳が変だったから。
「こんな耳はしていない!」と
言った説もあるようです。
そしてこのエピソードが
ゴーギャンが思うゴッホの特徴ある耳を
送った理由でないかと考えられています。
また、実際は娼婦に向けて送ったのではなく
そこに居ると思われたゴーギャンに
送ったのではないかとも考えられています。
そう考えると、
「僕のことを忘れるな」という言葉の
意味も理解できます。
![ひまわり](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/06/372px-Van_Gogh_Vase_with_Fifteen_Sunflowers-1-233x300.jpg)
ちなみにこの時ゴッホが描いていた
ひまわりが現在SOMPOジャパン美術館に
所蔵してあるものです。
耳をどのくらい切った?
![フィンセント・ファン・ゴッホ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/Vincent_Willem_van_Gogh_106-1-265x300.jpg)
次にゴッホはどのくらい耳を
切ったのかについてです。
前までは「耳たぶしか切っていない」と
する説もありましたが、
2016年に結構バッサリ切ったことが
確認されました。
![「アルルの病院の中庭」](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/605px-Van_Gogh_-_Garten_des_Hospitals_in_Arles1-1-300x238.jpeg)
それを裏付けるのが、
ゴッホが入院したアルルの病院で
クリスマスイブの日に勤務していた
研修医の記録です。
![フェリックス・レイ医師の肖像](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/1801722573-1-248x300.jpg)
名はフェリックス・レイ。
このレイが耳を切ったゴッホを
担当した医者になります。
そして1930年にレイがゴッホについて
取材された際の返答が残っています。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/537px-Drawing_of_the_mutilation_of_Vincent_van_Goghs_ear-1-224x300.jpg)
ここにはゴッホの耳がどのくらい
切られていたかが書かれています。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/537px-Drawing_of_the_mutilation_of_Vincent_van_Goghs_ear-1-1-300x222.jpg)
どうやら耳は点線部分で切られており、
耳たぶしか残っていなかったことが
確認できます。
ですので真相は
耳たぶしか切っていなかったのではなく、
耳たぶしか残っていなかったのです。
ゴーギャンが切った説
![ゴーギャン](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/Paul_Gauguin_-_Self_Portrait_1903_-_Kunstmuseum_Basel_1943-1-172x300.jpg)
今回の耳切り事件にはもう1つ、
興味深い説があります。
それがゴーギャンが切った説です。
この説が浮上した理由が、
アルルにゴーシャンがフェンシングの
道具を持ってきていたことです。
![](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/rapier-gc82c223be_640-1-300x300.jpg)
理由は不明ですが、
持ってきたことは記録に残っています。
そして耳切り事件のあと、
ゴッホはゴーギャンの荷物をパリに
送った記録があるのですが、
その荷物の中にフェンシングの剣が
入っていないのです。
剣はどこに消えたのか。
そこを皮切りにアルルの警察の調書など
さまざまな資料を調べて、
ゴーギャンが耳を切って剣をどこかに捨てた
とする説が浮き上がったそうです。
![ファン・ゴッホ美術館](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/640px-Van_Gogh_Museum-1-300x200.jpg)
この説はアムステルダムにある
ファン・ゴッホ美術館が正式に否定
していますが、現在でもこの説を
主張する人がいるそうです。
まとめ
![フィンセント・ファン・ゴッホ](https://arttayousei.online/wp-content/uploads/2022/11/Vincent_Willem_van_Gogh_106-1-265x300.jpg)
✓ゴーギャンの描いた耳が気に入らなかった
✓ゴーギャンがいると思われる娼館にゴーギャン宛に耳を送った
✓家を出たいと思うゴーギャンに「俺のことを忘れるな」というメッセージを込めた
✓ゴーギャンが切ったとする説もある
次回はゴッホの死の真相についてです。
✓描かれた耳が気に入らなかった
✓ゴーギャンに向けて耳を送った
✓ゴーギャンが切った説もある