ゴッホは自殺か他殺かそれとも…?/山田五郎オトナの教養講座⑮

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記事の要約
  1. 精神科に入院したゴッホ
    →作中の歪みが特徴的
  2. 一時はブレイクの兆しが
  3. 悪ガキ一味に撃たれた?
    →カウボーイが流行っていた

 

この記事はYoutubeチャンネル
「山田五郎オトナの教養講座」より、
内容を文字にして解説していくものです。

第15回目のタイトルは
【ゴッホは自殺か他殺かそれとも…?

今回はゴッホの死の真相についてです。

まだ動画をみてない方は
是非ご覧になって下さい。

 

 

文字の方が理解しやすい方は
ぜひ最後までお付き合いください。




ゴッホは自殺か他殺かそれとも…?

 

vincent van gogh

今回はゴッホの死の真相のお話です。

前回までの話を見ていない方は
そちらからご覧ください。

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Arles hospital courtyard
「アルルの病院の中庭」

耳切り事件の後、
フェリックス・レイ医師の世話になり
退院したゴッホでしたが、
弟テオの結婚やルーラン夫妻の転勤、
近隣住民の署名活動などにより
遂に精神病院へ入院することを決めます。

1889年5月のことでした。

そしてこの頃から
ゴッホの絵はどんどん歪んでいく
ことになります。

 

「星月夜」1889年

↑は有名な星月夜という作品。
現代の私たちからすれば違和感もなく、
「わざとこういう描き方をしたんだな」と
感じる人も多いでしょう。

しかしゴッホはこれを
「見たまんま」描いています。
つまりゴッホには風景が
本当に絵のように見えていたのです。
(精神疾患由来の視覚異常です)

 

two cypress trees
「二本の糸杉」1889年

ゴッホはこの時期に
糸杉をテーマにした絵を
いくつか描いていますが、
その糸杉の形も歪んでいます。

これらの表現は本人は無自覚ですが、
後のフォーヴィズムの画家たちに
影響を与えることになります。

ゴッホにブレイクの兆し?

 

ゴッホが精神病院に入院してから
半年くらい経ったころ、
実はゴッホにブレイクの兆しが
みえてきます。

 

タンギー爺さん

きっかけは画材屋を営んでいた
タンギーさんのもとに
アルベール・オーリエと呼ばれる
新進気鋭の美術評論家が来店。

そこでゴッホの絵を見た
オーリエはゴッホの絵を絶賛し、
メルキュール・ド・フランスという
文芸誌に彼のことを載せたのです。

 

red vineyard
「赤い葡畑」1888年

そして「赤い葡萄畑」という作品が
初めて売れたのでした。

 

Blossoming almond tree branch
「花咲くアーモンドの木の枝」1890年

↑の作品はテオに子供が生まれ、
その出産祝いに描いた作品です。
描いた対象があまり歪んでいません。

自分を評価する人が出てきたこの時期は、
彼の精神も落ち着いていたようです。

そして1890年の5月に退院したゴッホは
テオのいるパリに行きました。
ところがその4日後に
すぐパリを出てしまうのです。

パリを出たゴッホ

 

パリを出たゴッホは
オーヴェルという地に向かいます。

ゴッホがパリを出た理由は
定かではありませんが、
山田さんによるとゴッホが親友と
思っていたゴーギャンベルナール
来てくれなかったのが原因ではないかと
考えられているそうです。

 

Gauguin
ゴーギャン
Blossoming almond tree branch
エミール・ベルナール

そしてオーヴェルという地で
精神科医のガシェに出会います。

 

Portrait of Doctor Gachet
「医師ガシェの肖像」1890年

ガシェは美術が好きな人物で
ゴッホを認めてくれる1人でした。

しかしガシェもクセのある人物だったのか、
「俺よりあいつの方が病気だ」と書かれた
ゴッホの手紙が残っているそうです。

 

Church of Auvers
「オーヴェルの教会」1890年

↑はこの時期に描いた作品です。
また少し、歪み始めています。

そしてオーヴェルにきて
2ヶ月経った7月27日。
滞在していた宿で昼食を食べた後、
画材をもって外出したゴッホ。

夜に宿に戻ってくると
手ぶらで腹から血を流した状態
だったそうです。

宿の主は心配しますが、
本人は「大丈夫」とだけ言い残し
部屋へと行ってしまいます。

しかし心配な宿の主は
たまたまオーヴェルで休暇を取っていた
産婦人科の医師とガシェを頼ります。

診察するとゴッホの腹は
銃で撃たれていることが発覚。

内臓はさほど損傷していませんでしたが、
弾が中に残ったままだといけないので
手術をした方がよいと判断されます。

ところが両医師とも専門外なので
とりあえず応急処置だけ済まし、
パリにいるテオに連絡を入れました。

 

theodorus van gogh
テオドルス・ファン・ゴッホ

翌日、すぐにテオが来ますが
その時のゴッホは元気だったようです。
テオはその日泊り、
夜通しゴッホと話をしていました。

ところが翌日の7月29日。
様態が悪化したゴッホは帰らぬ人になります。

ゴッホ自殺説?

 

wheat field with crows
「カラスのいる麦畑」1890年

ここで気になるのが、
誰がゴッホを撃ったのかです。
そして有力視されている
説の1つがゴッホ自殺説です。

ゴッホが自殺する少し前の7月6日。

テオのもとを訪ねたゴッホは
テオの妻であるヨハンナに色々
小言を言われたそうです。

 

Johanna van Gogh-Bonger
ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル

その内容はやはり金銭のこと。
子供も生まれ、お金が必要だった
ヨハンナにとって夫の兄にまで
資金を回す余裕はなかったのでしょう。

そのことにショックを受けたゴッホは
耳切り事件の時と同様、
いわゆる「かまってほしい」気持ちが
高ぶって自ら腹を撃ったのではないかと
するのが自殺説です。

 

ところがこの説には謎が残ります。
それは、
拳銃はどこからきてどこへ消えたのか
ということ。

絵具を買うお金さえないゴッホが
どうやって拳銃を手に入れたのか。
ゴッホが拳銃を所持していたという
記録もありません。

しかもこの事件のあともゴッホを
撃った拳銃は見つかっていません。

また、もし自殺だとすれば
ゴッホは至近距離でお腹を撃ったはず。
そうすれば弾は体を貫通するはずです。

ゴッホ他殺説

 

ゴッホ自殺説にはいくつかの
謎が残ってしまいます。
そこで新たに考えられている説が
ゴッホ他殺説です。

もっと詳しく言うと、
悪ガキに撃たれた説です。

 

このオーヴェルという地は
パリから避暑地として休暇をとる
人々が多い場所でした。
(産婦人科の医師もそうです)

その中に貧相な格好をした
ゴッホのことをからかっていた
悪ガキ一味がいたそうです。

 

そしてその悪ガキ一味の中で
流行っていたのがカウボーイでした。

当時、パリ万博で大西部劇場という
アメリカ西部をテーマにした展示が
行われたことがブームのきっかけです。

一味はカウボーイ姿でよく遊んでおり、
拳銃も持っていたことがわかっています。

しかもこの悪ガキたちは事件のあとに
すぐパリへ帰っていることも判明しており、
どうやらこのことがゴッホ他殺説を
有力視する理由のようです。

 

movie flyer
炎の人ゴッホ

悪ガキのリーダー格だった人物は
1956年に公開された映画
炎の人ゴッホを見た際に、
「告白したいことがある」
コメントしており、
「僕はゴッホの最後の日を知っている」
「あの拳銃は僕のものだ」
「その拳銃でゴッホが自分で撃った」
と話しているそうです。
(さすがに自分で撃ったとは言えなかった)

 

他殺説

悪ガキ一味が遊び半分で撃った

まとめ

 

wheat field with crows
まとめ

✓視覚異常で歪んだ絵を描いたゴッホ

✓退院後はオーヴェルで過ごしていた

✓悪ガキ一味に撃たれた

他殺説が本当だった場合、
ゴッホは子供たちを庇ったことに
なります。

ゴッホの性格を考えると、
その可能性は大いにあります。

そう考えると、
なんとも切ない最後ですね。

次回はマネの作品についてです。

 

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