俺がアートを好きな理由

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どうも、MOTOです。

今回は徒然なるままに俺がアートを好きな理由について綴っていきたいです。自分のことをもっとストレートに表出できるように、今回から一人称が「俺」に変わってますがご了承ください(笑)。


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俺がアートを好きな理由

 

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俺がアートを好きな理由。それは見えないものへの興味・関心があるからです。ちょっとこれだけでは意味が分からないと思います。そもそもアートは見るものですからね。

順を追って説明したいと思います。

見えてるものが全てじゃない

 

まず俺は見えるもの、見えてるものが全てではないと感じてきたタイプの人間です。

  • 幸せとは
    →お金だけじゃないだろ。お金があれば幸せなんて、俺にはそんな単純な話には思えない(欲求があることは至極健全だと思うが)
  • 人の外見
    →見た目だけが全てじゃないだろ。ルッキズムなんて承認欲求の塊であったり、自己の不安を他人を貶めることで解消してるだけだったりするんじゃないか(外見を気にするのは大切)
  • 24時間テレビの作られた感動話
    →視聴率をとるために意図的に歪められた編集、指示、演出。俺はああいう作られた感動にどうしても乗れない(口が悪い)
  • 自己理解
    →これに答えはないし、自己は変化していくものだから、わかりやすい答えはない。みえないものを考え続けることが必要

ほんの一例ですが、こんな感じ。

見えないものへの関心

 

ここでいう「見えないもの」は、物理的に見えないというより、目の前に直接現れてはいないもの、くらいの意味です。抽象的な発言にはなりますが、大切なものは見えないことが多いと思ってます。

でも見えないからこそ、怖いし、不安もある。大切なんだけど扱うことが難しい。そんなことを感じています。

例えるなら、友情とか愛情は目に見えないですよね。

だから「相手が本当はなにを考えているんだろう」と不安になったりする。そこで目に見える形として、行為(ハグやキス)だったり、物質(指輪やペアルック)だったり、言葉(手紙であったり)にして安心したりする。でも、やっぱりそれらが全てではない。平気で嘘をつける人もいるし、人の心は変わったりする。というのを経験的に理解してる人も多いはずです。

自己理解に関してもそうです。自分が本当はなにを欲しているのか、何に不安を感じているのか、抱えている問題はなにか。自分のことを理解しにくいのも、目に見えないからです。

でも、大切なことなんです。俺はそう確信しています。

見えてるものが変わる感覚

 

話をアートに戻します。

プロフィールにも書きましたが、俺のアートの入り口は美術史などの知識を得ることから始まりました。それらを得ることでまず、知ったから見え方が変わったという体験ができました。

知識(見えないもの)が見えてるもの(作品)の捉え方を変えたのです。これはかなり刺激的な体験でした。

 

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見えてないものを想像する

 

次にさっきの逆というか、知識(見えないもの)が見えてるもの(作品)の捉え方を変えるのなら、そもそも見えてるものが全てじゃないよなという思考になったわけです。

つまり見えてるもの(作品)から見えてないもの(ここでは知識とかいう話ではなく、画家の想いであったり感覚的なもの)を想像することの楽しさに繋がりました。

見えないものが見えるものに影響し、
見えるものから見えないものを想像する

うん。まさに色即是空。

俺はアートのこんな楽しみ方が好きなんです。

見えないものへの興味・関心

 

俺がアートを好きな理由。それは、見えないものへの興味・関心があるからです。

冒頭の言葉の意味は伝わったでしょうか。俺はファシリテーターとして活動してますが、考えてみれば、ファシリテーションも目に見えないものを扱っています。

対話型鑑賞もそうです。目の前にあるのは1枚の作品だけど、「この人にはどう見えているんだろう」「なぜそう感じたんだろう」という、その人の内側にあるものは直接見ることができない。作品を見ながら、そんな見えないものについて誰かと話していく。

だから俺は、対話型鑑賞も楽しいと感じてるんでしょうね。

また自己理解が進んだ気がします(笑)。

アートと対話、アートで対話

対話でアート鑑賞はもっと面白く。アートに詳しくなくても、美術館に行ったことがなくても構いません。アート鑑賞を通して日常に新たな視点を。

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