どうも、MOTOです。
運営者自身の自己理解を深めるために始めたナラティブアプローチ。今回はその後編です。パート1を読んでない方は、そちらからどうぞ。
ここまでの俺の人生について(後編)
社会人1年目〜

自分でもよくわからない行動に出て、国家試験に落ちた俺でしたが、なんとなく上京することにしたんですね。資格はないので、無資格でも働けるデイサービスに就職し、社会人1年目を迎えます。
えーと、この頃は……なんだろう。やっぱ心は相当に辛かったですね。
社会通念みたいなものに反発するような行動に出たはいいものの、その先のビジョンはなんにもないんです。加えて社会人1年目は、「国家試験に落ちたから、この仕事をしてる」みたいな感覚も付き纏っていて、自分で蒔いた種が成長して雁字搦めになってるみたいな。
最初に就職したところは2ヶ月くらいで辞めたんですよ。その後、別のデイサービスに就職。そこで国家資格を取得するまで働いて、退職しました。
この1年はなにか大きな出来事があったわけではないんですけど、よくわからない自分の行動を猛省するとともに、自己肯定感は爆下がりの時期だったように思います。
ただ、ここで熱を込めて言いたいことがあります。
それは、意味のわからない行動とか、理に適ってない行動、社会からはなんにも評価されない行動をしたことがある人の気持ちは、痛いほどわかるということ。逆に順風満帆に、上等な社会のレールを歩んできた人とは、気持ちのいいコミュニケーションは取りにくいだろうなと思います。
いや、歩んできたか否かではないのか。社会から評価されることばかり気にしてる人とは、俺は通じ合いにくいのかもしれない。
俺の好きな漫画「ブルーピリオド」に、こんなシーンがあります。


医療や福祉、その他「支援者」に分類される人が、被支援者と似たようなナラティブを持ってるか否かって、かなり大きいと思うんですよね。
でも、そこに評価尺度は存在しない。だから場合によっては蔑ろにされてしまう。つくづく、大切なことは目に見えないと思いますよ。
社会人2年目〜

さて、ここから理学療法士(PT)として働き始めます。
最初は療養型の病院に勤めました。この病院は簡単に言えば寝たきり状態の患者さんが多く、死期の近い人も多く入院していました。
なぜPT1年目からそんな職場を選んだかについてですが、多分どこでもよかったんだと思います。人の伝手を使って、なんとなく流れ着いたのが療養型への就職でした。
この頃、印象に残っているのは、まず無力感。寝たきり状態の人のリハビリって、関節なんかが固くならないように動かしたり、ベッドの端や車椅子に座ってもらったりすることが多いです。
- 人の尊厳とはなにか
- まわりの家族の心境は
- 心のケアとは
色んなことを学びました。
今も在宅医療に携わっているので、寝たきりの方とはよく接しています。療養型での経験はすごく活きてます。
ただ、当時は無力感が強かった。リハビリをして「目に見えてなにかが良くなる」ことは、あまりない世界です。死期の近い人がそれらを跳ね除け、健康になるというのは、今の医学では難しい。
自分が介入する意味はあるのか。
という思いはありました。
加えて、もう1つ印象に残ってるのは、その職場にいた先輩PTの存在です。
その人は、簡単に言えばルーティンワークを好む先輩でした。毎日同じようなリハビリを繰り返す。感情の波もあまりない。当時の俺には、どこか無気力にも見えていました。
もちろん、その人が普段なにを感じ、なにを思い、なにを大切にしていたのかまではわかりません。
ただ当時の自分は、「これが仕事なのか?」「これが専門職なのか?」と、懐疑的な目で見ていました。
今思えば、俺は行き場のないエネルギーに溢れていたのかもしれません。行き場のないエネルギーは、ときに意味のわからない行動に繋がったりする。でも1つ言えるのは、当時の俺はエネルギーには溢れていた。だからこそ、自分とは対照的に見えるその先輩に、強い違和感を覚えたのかもしれません。
この頃好きな画家はカラヴァッジョ

ちなみにこの頃に好きだった画家はカラヴァッジョでした。イタリア・バロック時代に活躍した画家です。明暗の強い劇的な作風が有名で、かなり気性の荒い性格(殺人も犯します)かつ、一匹狼のような人物でした。
破天荒さや高ぶるエネルギーに共鳴していたのかもしれません。カラヴァッジョの作品は以下のような感じです。特に日本で好まれるような絵ではないかもしれません。



リハ病院での仕事〜

療養型病院に3年ほど勤めた後、寝たきりじゃない人のリハビリをしたいと決心した俺は、リハビリ病院(回復期病院)に職場を変えました。
そこでスタンダードというか、The リハビリって感じの知識や経験を積むことができました。自分で言うのもなんですが、諸々の能力は高い方なので、わりと仕事はこなせるんです。(ただ、能力の高さが裏目に出ることも多々あるので、一概に自慢しているとは捉えないでほしいです)
リハビリ病院に就職して3年目(PTとしては6年目)の頃。中間職のようなポジションで、毎日業務に追われていた俺。疲労とストレスも溜まっていました。
そんな状況で、俺は考えてしまったんです。
- 俺は本当はなにをしたいんだろう
- 患者さんのために日々自己研鑽してるけど、患者さんのためだけに労力を費やしてないだろうか
- 俺はこれで幸せなんだろうか
一生懸命に仕事をしてきました。
他人にたくさん評価され、自分もたくさんの人を評価してきました。でも、ふと「俺は他人軸で生きているのではないか」という思考に取り憑かれました。
加えて、日々仕事のストレスは積もります。この頃に襲った感情は、孤独。そう、孤独です。
病院のリハスタッフは何十人もいます。でも、この類の悩みって相談できる人が全くいないんです。正確に言えば、「こんなことを話しても伝わらないだろう」と、俺自身が感じていたんだと思います。
実際、周囲と話していても、この類のことを考えている人にはなかなか出会えなかった。仮に話せたとしても、自分が求めているところまで共有できる気がしない。人が大勢いる職場なのに、孤独。
この頃から「自分はマイノリティ側なのかもしれない」という感覚を、強く持つようになった気がします。そして、この「自分はマイノリティである」という感覚は今もあります。
おそらく、これからも完全には消えないでしょう。ただ、ここまで書いてみて少し思います。俺は「マジョリティ側の人はそんなことを考えていない」と、勝手に決めつけていた部分もあるのかもしれない。
高校時代の俺だって、外から見れば「なんかよくわかんないけど急に辞めたキャプテン」だった。でも、内側では死ぬほど色んなことを考えていた。
そう考えると、俺が「なにも考えていない」と感じている人の内側にも、俺には見えていないナラティブがあるのかもしれません。それでもやっぱり、「俺とは世界の見え方が違うな」と感じる人が多いのも事実なんですけどね笑
リハ病院を退職〜

結局、僕はリハ病院を3年間勤務して退職します。退職時の心境としては、医療職以外を経験したいというものでした。
医療業界って、わりと思考が自由じゃないというか、個性を出すよりも均一化を図る力が強い気がします。それ自体は悪いことではないと思うのですが、(いや、悪い部分もある!)当時の僕には「一度離れてみたい世界」となりました。
……ですが、前と同様、なにか明確なビジョンがあるわけではありません。心に蓋をするのが苦手な俺です。本音が動き出したら、先のことなど考えてられません。
リハ部長と退職の旨を伝えるための個人面談の日程を決めるやりとりも、勢いで取り付けた記憶があります。
まとめ

- 社会人1年目〜
上京してデイサービスに就職。「国家試験に落ちたから、この仕事をしてる」という感覚があり、無鉄砲な行動を猛省。自己肯定感は爆下がり。
- 社会人2年目〜
療養型病院に就職。無力感を痛感。無気力に見えた先輩PTには懐疑的な視線を送っていた。この頃に好きだった画家はカラヴァッジョ。
- リハ病院への就職と退職〜
スタンダードなリハビリの経験を積んだ。3年務めた後、他人軸で生きているのではないかという思考に取りつかれる。孤独。相談できる相手がいない。再度、先のことなど考えずに退職することにする。医療業界以外を見てみたいという想い。
パート3に続きます。












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