ここまでの俺の人生について

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どうも、MOTOです。

この記事では俺のこれまでの人生を振り返り、俺がなにを感じ、なにを学び、それをどう自分自身に落とし込んでいるのかを、綴りながら考えていきたいと思います。

自己理解の大切さを発信してるのですから、まずは俺自身にもナラティブアプローチをかまして、俺が自己理解を深めていく過程を見せられたらなと思ってます。

 


ここまでの俺の人生について

語る前に

 

俺の人生を語る前に、伝えておきたいことがあります。それは対話型鑑賞についてです。

オフでもオンでもファシリテーターとして活動している人は多いのですが、「対話型鑑賞とは?」というWhatやHowについての発信はよく目にする一方で、それを行う「自分自身」についてはサラッとしか発信していないことも多いように感じます。

アート作品を前に、みんなで思ったことを対話する。これってものすごく不安だし、心理的ハードルは高い。

ファシリテーターは心理的安全性を保つことの重要性も学ぶのですが、それって「その場」に限ったことじゃなくて、「その場に入る前」から始まってますよね。

自己をたくさん開示することって(それも形式的な自己紹介ではなく)、ファシリテーター自身がどんな思考や感性を持っているのかを知ってもらうことにもなるし、非言語的な部分で「この人と繋がれそうか」を判断するうえでも、すごく重要だと思うんです。

この記事を書きながら、俺にもその意識が欠けてたなと感じました。ナラティブアプローチありがとう笑

幼少期~

 

俺は両親と兄2人の5人家族。兄とは6歳、4歳差があります。幼少期を振り返って最初に出てくるのは、劣等感

いい感じ?で兄たちと年齢が離れてるので、まぁ腕でも口でも喧嘩は負けるわ、馬鹿にされるわで。

加えて、2人の兄とは全くタイプが違うんですよ。

長男→イケメン、イケイケ系、運動できる、バンドマン、モテる。

次男→頭がよくてユーモアがある、生徒会長やってた、人望厚い、仕事できるタイプ。

まぁ、だから当時の俺にはキラキラして見えましたよ。俺はというと、多分「ど真面目」タイプで、知り合いからは「吊り橋を叩き過ぎて壊すタイプ」と揶揄されるくらい。

でも当然、幼少期はそんなこともわからず、タイプの違う兄たちに憧れ、真似て、上手くいかなくて、悩むってループだった気がします。

今思えば、幼少期から自分の思い(こうありたい、こうなりたいという願望)と自分のタイプにギャップを感じ、うまくそれを処理できるはずもなく、苦しんでいた気がします。

目に見えるものが全てじゃないという思考と、自己理解の大切さを体感するエピソードは、すでに幼少期から始まってたんですかね。

 

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高校生~

 

この頃、実はトラウマとなる経験があります。

俺はハンドボール部に所属し、3年生のときにはキャプテンに選ばれました。真面目さが評価されたのかな。俺がいた高校のハンド部はそれなりに強くて、インターハイ出場経験もあったし、練習にも力を入れてました(基本、週7で練習があった)。

そんなハンド部のキャプテンという重圧は結構あってね。加えて真面目君だから、「キャプテンだから頑張らないと」という思いが、自分を苦しめる方向に作用することも多くて。

具体的には「キャプテンだから弱音を吐いてはいけない」という根性論的思考。色々悩んでも、顧問はおろか同学年の奴にも相談できずに苦しんでた。今思えば、部活を楽しんだ経験はあまりなくて、部活という苦行に耐えていたという表現の方が近いかもしれない。

そして……パンクしちゃったんです。それも引退試合の3ヶ月くらい前に。あとたった3ヶ月で引退だったのに。綺麗に終われたのに。でも、その頃の俺のメンタルにはあと3ヶ月がめちゃくちゃ長くて。絶望に感じてしまったんです。

もう頑張れない。体調不良を理由に部活に顔を出さなくなっていき、そのままフェードアウト。副キャプテンがそのままキャプテンを務め、同学年は俺以外みんなで引退試合を迎えましたとさ。

……なんてので終わらないよ。キャプテンだったのに部活を辞めちゃいました、で終わればまだいいよ。でも本当に辛いのは、その後。

真面目な俺からすれば、退部はとにかく大きな挫折。周りにも迷惑をかけた。それに「辞めます」ときちんと宣言できたわけでもなく、少しずつフェードアウトしたもんだから、卒業までずっと、それまで仲間だった奴らとどう接していいのかわからない。

とにかく居心地が悪い。苦しいって感じが続いたんです。周りもそんな俺の態度を見て、感じて、距離を置くという悪循環。

後輩からは「なんかよくわかんないけど、急に辞めやがったキャプテン」みたいな感じで毛嫌いされる始末。

18歳の俺に襲いかかる、大きな挫折感と孤独感。

辛かったー。

誰かに助けて欲しかったー。

心の声を聞いて欲しかったー。

手を差し伸べて欲しかったー……。

この記事を書いてる俺は36歳。実はまだたまに「高校生の自分がハンドボールをしている夢」を見ます。あまりいい夢じゃないです。苦しい感情を伴ってます。そのくらいトラウマです。

でも、そのトラウマがあったからこそ、心の声に耳を傾けることだったり、思いを口に出すことの大切さを学んだし、今も自分の中でそれらのプライオリティが高いのかもしれません。

大学生〜

 

大学からは他県に移り、一人暮らしを開始。高校時代のトラウマを抱えながら、高校の知り合いが1人もいない環境に身を移しました。

大学生で一人暮らしって、まさに人生の夏休み。若気の至り全開だった気がします。ただ、この頃もまだアイデンティティは確立してなくて、憧れの兄を真似ながら苦しむというループを繰り返していたように思います。

自分の長所や短所みたいなのも曖昧で、なんともいえない違和感をずっと抱えていた感じ。幼少期から続く心身(脳心?)のズレは、年齢を重ねるほど強く感じていたように思います。

あと、この頃の印象的な出来事として、このまま理学療法士になってもよいのかという迷いが出てきたことがあります。国家試験の日が近づくにつれ、勉強もせず無駄に徹夜したりして、挙句の果てには試験の前日にオールして当日を迎えるなどしてました。

モラトリアムなのかもしれないし、幼少期からの違和感が顕在化したのかもしれない。おかげで合格点に1点足らず、不合格になりました笑(翌年合格しました)。

手に職という社会通念を受け入れて、好きかどうかもまだわからない理学療法士という仕事に就いていいのか。社会のレールに乗ることへの猜疑心と反骨心。ただ、反発しても別に他にやりたいことはないんです。

「自分の心に蓋をする」というのが本当に苦手な俺だし、「自分の心に蓋をして頑張り続けている人」を羨ましくも感じてません。これは今現在も続いているように思います。

 

アートとの出会いは大学時代

 

ちなみに大学時代のとある日の深夜テレビで、中野京子さんの「怖い絵」の特番がやっていました。なんとなしにそれを見たのがアートの楽しさとの出会いです。それまでは美術の成績も平均以下だったし、「アートなんてよくわからん」と考えていた人間でした。

 

「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」

番組で取り上げられていたのがベアトリーチェ・チェンチの肖像。イタリアの貴族の女性を描いたものですが、実は画中の女性は処刑される直前です(ギロチンに髪の毛が絡まないように髪をたくしあげている)。

見ただけではわからないエピソード。そしてそれを知った後に鑑賞したときの見え方の違い。感情の違い。

目に見えるものが全てじゃないという感性に呼応するかのように、この絵をきっかけにアートの世界にのめり込んでいきました。

一度ここでまとめる

 

この後、俺は社会人となるのですが、その前に社会人になるまでの過程をまとめてみたいと思います。

  • 幼少期〜

まずは劣等感があがってくる。タイプの違う兄たちに憧れ、自分との違いに違和感を覚えている。その違和感は10年以上も続くことになる。

  • 高校時代〜

大きな挫折と孤独のトラウマ。誰にも相談できず、退部という事実だけが周囲に伝わり、不本意な受け取られ方をした。心の声に耳を傾ける大切さや、それを表に出すことの大切さを痛感した。

  • 大学時代〜

モラトリアムや、それまで抱えていた違和感の顕在化。自分の心に蓋をすることができない人間なんだな、と改めて実感。一方で、「本当の自分はなにをやりたいのか」というのも曖昧なまま。

 

パート2に続きます。

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アートと対話、アートで対話

対話でアート鑑賞はもっと面白く。アートに詳しくなくても、美術館に行ったことがなくても構いません。アート鑑賞を通して日常に新たな視点を。

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