19世紀中頃から
目の前の現実のみを描くことに
注力した画家達が出てきます。
これを写実主義と呼び、
同時期のフランス郊外では
バルビゾン派とよばれる
同じく目の前の風景を描くことに
こだわった画家達がいました。
まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。
✓写実主義
⇒1830年頃~
✓バルビゾン派
⇒1830年頃~
✓ラファエル前派
⇒1850年頃~
写実主義の特徴
理性や合理性を重視する新古典主義の
反動として感性や自然、想像の世界を
重視したロマン主義が生まれました。
そして19世紀中頃になると、
現実をあるがままに描くことを重視した
写実主義の画家達が誕生します。
その背景には18世紀後半から
イギリスで始まった産業革命がありました。
機械化が進んだ街には工場が増え、
人々は仕事を求めて都市部へと
集まりました。
経営者と労働者の間には貧富の差が生まれ、
公害などの新しい問題が増えてきた時代です。
ギュスターヴ・クールベ
ギュスターヴ・クールベ(1819~1877)
はフランスのオルナンに生まれた画家です。
クールベは過去の画家達が描いた
理想や空想の世界にはとらわれず、
身近な現実を忠実に描き続け、
なかでも労働者や農民の生活に
強い関心を示しました。
クールベの作品「石割人夫」のモデルと
なったのは社会の底辺を生きる労働者です。
産業革命の裏で貧富の差が大きくなった時代、
クールベは労働者のリアルな姿を描くことで
社会的な抗議を唱えました。
こちらの「オルナンの埋葬」でも
質素な服を着た村の人々が描かれています。
世界初の個展
クールベはパリで行われた
万国博覧会に「オルナンの埋葬」と
「画家のアトリエ」という
大作を出品しようとしますが、
2つとも落選してしまいます。
そこでクールベは会場近くに小屋を建て、
「クールベ作品展。入場料1フラン」
という看板を立てて個展を開催しました。
当時、画家が自分の作品だけを並べた
個展を開催する習慣はなかったので、
クールベの開催した作品展は
世界初の個展となりました。
このことは後の
印象派に影響を与えます。
ジャン=フランソワ・ミレー
ジャン=フランソワ・ミレー
(1808~1879)も当時の
フランス国民の大半を占めた
農民たちの生活や姿を主題に
作品を描いた画家です。
ミレーが描いた農民の人々は、
みな信仰深く働き者でした。
バルビゾン派の特徴
1830年頃から数人の画家が
パリの郊外にあるフォンティーヌブローの
森のはずれにあるバルビゾンという村に
住みつきます。
そこで彼らは自然に基づく風景画を
たくさん描き、バルビゾン派と
呼ばれる新しい風景画を作りました。
フランスでは19世紀初めごろまで
実際の風景を描く風景画はあまりなく、
神話や物語の背景として理想化された
風景を描くことが大半でした。
テオドール・ルソー
バルビゾン派の中心となったのは
テオドール・ルソー(1812~1867)です。
それまでのフランスは依然として
アカデミー主催のサロンが画家の登竜門で、
サロンで評価されるには歴史画や肖像画を
描くことが必須の時代でした。
しかしルソーは純粋な風景画にこだわり、
サロンへの入選を拒まれた不遇な時代にも
彼は志を変えることはありませんでした。
そして1848年に
サロンの審査基準が変わると、
翌年のサロンで金メダルを獲得、
正統派の画家として復活を果たしたのでした。
印象派への橋渡し
写実主義のクールベやバルビゾン派のルソーに
共通するのは、アカデミーが推奨する
歴史画や空想の世界ではなく
目の前に映る人物や風景を描いたことです。
このことで画家達は
書物の知識や過去の美の研究から解き放たれ、
目の前の世界を自由に求めることが
できるようになりました。
よって19世紀後半に登場してくる、
印象派の画家達の先駆的存在といっても
過言ではないでしょう。
まとめ
✓産業革命を背景にクールベは労働者や農民の姿をリアルに描いた
✓バルビゾン派のルソーは純粋な風景画にこだわり続け、サロンで金メダルを獲った
✓目に映るものを描いた彼らは、印象派の先駆的存在となった
次回はラファエル前派の美術を解説します。
✓産業革命の時代
✓現実をあるがままに描くことを重視
✓印象派の先駆的存在