ラス・メニーナスを解説【作品解説①】

 

記事の要約

女官たちという意味

近親婚を繰り返していた

ハプスブルク家の衰退

 

このシリーズでは1つの作品に
隠された時代背景や解釈、
メッセージ性を読み解いていきます。

第1回目はベラスケスの
「ラス・メニーナス」です。

絵画を通して得た知見が
あなたの心のビタミンになれば
幸いです。



ラス・メニーナスを解説

 

ラス・メニーナス
作品概要

題名
ラス・メニーナス
制作者
ディエゴ・ベラスケス
制作年
1656年
美術史では
バロック時代のスペイン
寸法
318 cm×276 cm
種類
油彩
所蔵
プラド美術館

この作品はバロック時代に
宮廷画家として名を馳せた
ベラスケスによって描かれました。

ラス・メニーナスとは
スペイン語で女官たちの意味で、
マドリード宮殿の一室アトリエが舞台と
なっています。

 

中央のマルガリータ王女を
取り囲むように女官たちがいて、
背後に絵を描いているベラスケス、
鏡越しに王と王妃がいます。

登場人物の何人かは
こちらを見つめているように
描かれていて、
鑑賞者も舞台の中にいるような
複雑な構成になっています。

 

さて、個人的にですが
この絵には少し違和感があります。

繰り返しますが
舞台はマドリード宮殿の一室アトリエ
モデルは王族と女官たちです。

なのに華やかさがないというか、
少し暗くないですか?

中央のマルガリータに
スポットが当たるのはいいとして、
高い天井部分は薄暗く、
その空間の広さからかどこか
湿っぽさにも似た空気を感じます。

近親婚の果て

 

青いドレスのマルガリータ王女

今作品はスペイン・ハプスブルク家
統治していた時代に描かれたものです。

ハプスブルク家は近親婚
繰り返しており、
その理由には以下のものがありました。

  1. 厳格なカトリック政策
    →プロテスタントや正教会の王侯と結婚できない
  2. 家格の低い諸侯と結婚できない
    →ヨーロッパ屈指の名門の誇り。純血主義

簡単に言えば
王家としてのプライド、風潮のせいで
縁組できる人が凄く少なかったわけです。

ですのでハプスブルク家は
血のつながりが濃い近親婚を
繰り返すしかありませんでした。

マルガリータの父である
フェリペ4世の子供たちも
ほとんどが早くに亡くなり、
ラス・メニーナス制作中は
跡継ぎの男児がいない時期でも
ありました。

つまり、このまま男児が
生まれなければマルガリータが
スペイン王国に君臨する予定でした。

 

繰り返された近親婚による
高い幼児の死亡率と、
まだ5歳の女王候補。

抗うことのできない純血主義と
従うしかない女官たち。

ラス・メニーナスにどこか
華やかさがないのはそんな背景が
影響しているのかもしれませんね。

 

ちなみに

スペイン・ハプスブルク家内の乳児死亡率は、当時の農村部の乳児死亡率より高かった

制作後の話

 

カルロス2世
カルロス2世

ラス・メニーナスが描かれた翌年、
待望の男児であるカルロス2世が誕生。

結局マルガリータが王女となることは
ありませんでした。

その後マルガリータは
レオポルド1世のもとに嫁ぎますが、
出産した4人の子供のうち3人は
乳児のうちに亡くなっています。

(レオポルド1世も父の従妹で、
母の叔父でもあった)

マルガリータ自身も次女出産後に
21歳の若さで死去。

マルガリータの子供の中で
唯一成長したマリア・アントニアも
3人の子供を出産しますがいずれも早去。
アントニア自身も23歳で死去します。

 

カルロス2世はスペイン王となりますが、
下顎前突症が著しかったようで
咀嚼に問題があり、
常によだれを垂らしていたそうです。

加えて癇癪や知的障害もあったとか。

近親婚による影響で虚弱体質であり、
数回結婚しますが子供を持つことは
なかったそうです。

メッセージ性

 

ラス・メニーナス

ここでもう一度
ラス・メニーナスを見てみましょう。

ベラスケスはハプスブルク家の
跡継ぎに対する不安や焦燥感、
どうすることもできない無力感を
この絵に表現したのかもしれません。

一方でそんなことは全く意図してない
可能性も大いにあります。

どのように見えるかは
あなただけのものです。

また、その後のエピソードをも踏まえて
あなたが感じるメッセージ性には
どんなものがありますでしょうか?

栄光と失墜?

肩書きに翻弄された被害者?

高すぎるプライドは身を滅ぼす?

日常は決して永遠ではない?

 

是非、あなたなりのメッセージを
受け取ってください。

まとめ

 

ディエゴ・ベラスケス
ディエゴ・ベラスケス
まとめ

✓ラス・メニーナスは女官たちという意味

✓ハプスブルク家は近親婚を繰り返していた

✓子供たちはみな虚弱で、幼児期に亡くなっていた

最後に画家のベラスケスについて。

17世紀のスペインでは
画家が高い地位を得ることは
めったにありませんでした。

絵画はあくまで工芸であって
詩や音楽のような芸術とは
見なされなかったのです。

ところがベラスケスは
フェリペ4世の宮廷で侍従長に任命され、
非常に高い地位と収入を得ました。

その一方で仕事にかなりの時間を
取られていたそうです。

最後まで読んで頂き、
ありがとうございました。