印象派とは19世紀の後半に
フランスで起きた芸術運動、
もしくはその運動を推進した
グループのことをいいます。
まずはこの時代の作品を確認しましょう。




印象派の背景

19世紀の後半。
パリでは大規模な都市開発が行われ、
近代都市の基礎が作られました。
その背景には産業革命による
交通手段の飛躍的な進歩や、
街灯など照明手段の普及がありました。

この時代にシャルル・ガルニエによって
建造されたオペラ座は、
当時のパリを代表する建築物です。
オペラ座は社交界の重要な場となりました。
このように賑やかで活気に満ちたパリは
人々の「見る」欲望をかきたて、
観光記念写真ブームも起きたようです。
印象派の特徴

印象派の特徴を簡潔に述べると、
- 近代都市パリの風俗画や風景画を描いた
- 筆触分割の技法を用いた
- 1874年から独自のグループ展を開催
となります。
また印象派誕生までの
きっかけとなる重要な出来事を
並べると以下のようになります。
- マネの作品がサロンで物議を醸す
- マネに影響を受けた一団が
グループ展を開く - モネの作品を見た批評家が揶揄する
以上を踏まえ、
ここから重要なポイントを見ていきます。
エドゥアール・マネ

そんな近代化が進むパリで、
それまでの伝統をくつがえす絵画を
エドゥアール・マネ(1832~1883)が
発表しました。
それが「草上の昼食」です。
マネは近代都市の人々の生活を描いた
最初の画家といわれています。
マネは他にも1865年のサロンに
「オランピア」という作品を出展しています。

こちらの作品はヴィーナス像の形式を
借りながら高級娼婦の姿を描いています。
どちらもマネの代表作ですが
斬新なテーマに加え、
筆触がわかるほど絵具の塗りの粗さを
残す手法が使われており、
当時のアカデミーの常識を大きく
逸脱するものでした。
当然サロンでは非難を浴びることに
なったマネですが、彼の新しい芸術家としての
あり方は後の印象派の世代を準備する
ことになるのでした。
サロンで非難を浴びたマネは、写実主義のクールベに続き、世界で2番目に個展を開催しました

印象派展
マネのスキャンダルから少し経った
1874年、サロンへの挑戦を続けるも
なかなか認められない画家達がいました。
それがモネやドガ、ルノワールらを
中心とした画家達です。
彼らもまたアカデミーの推奨する歴史画や
神話画を描くよりも、近代パリの風景などを
独自の技法で描き続けていました。
そこで彼らは1874年に自分たちで
会場を借りて独自のグループ展を開催します。

クロード・モネ(1840~1926)の
「印象・日の出」はグループ展の第1回に
出展された作品です。
この作品には大胆な色彩と平面的な筆致による
筆触分割が顕著にみられます。
色を混ぜ合わせるのではなく、一つ一つの筆触が隣り合うように配置する、印象派の画家達が用いた技法
「風景ではなく印象しか描かれていない」
と軽蔑の念と悪意をこめて評し、
グループ展のことを「印象主義の展覧会」
と呼びました。
そしてこの命名が後に定着し、
「印象派」という言葉が生まれたのでした。

エドガー・ドガの絵画

モネと同時代の画家で、
歌手や舞台裏の踊り子を好んで
描いた画家もいました。
エドガー・ドガ(1834~1917)です。
銀行家の裕福な家庭に生まれ、
オペラ座の定期会員であったドガは、
楽屋や稽古場に自由に立ち入ることが
許されていました。

印象派の他の画家達が
屋外の自然の光の下で制作を
行っていたのに対し、
ドガの関心は常に都市生活と
その中の人々にありました。

ジャポニズム

1851年にロンドンで始まった
万国博覧会は、その後半世紀の間に
5回にわたってパリでも開催されました。
そこでは日本美術も出展され、
ヨーロッパ美術に多大な影響を
もたらしました。
なかでも遠近法にとらわれない
浮世絵などは、画家達にとって
大きな発見を与えたそうです。
印象派の画家達の作品にも、
日本の影響を受けた作品が数多く
存在しています。


このような19世紀の後半からヨーロッパで
流行した日本趣味のことをジャポニズムと
よんでいます。
まとめ

✓マネの作品や活動は印象派の画家達に影響を与えた
✓印象派の特徴は筆触分割という技法に加え、グループ展を行ったこと
✓モネらが行ったグループ展の酷評がもとで「印象派」という言葉が生まれた
✓万国博覧会を機に日本の美術がヨーロッパでブームとなった
次回はポスト印象派を解説します。















→戸外制作
→筆触分割
→グループ展の開催
→エドゥアール・マネ