対話型鑑賞では、作品についての知識を一方的に教わるのではなく、「何が起きているように見える?」「どこからそう思った?」といった問いを通して、鑑賞者自身が作品を見て、考え、誰かと話していきます。
現在では美術館や学校だけでなく、医療やビジネスなどにも活用の場が広がっています。
では、この少し変わった鑑賞方法はどのように生まれたのでしょうか。
その歴史をたどっていくと、単に新しい美術鑑賞法が開発されたというだけではなく、「人はそもそも、どのように作品を見ているのか」という問いに行き着きます。
この記事では、VTS(Visual Thinking Strategies)が生まれ、日本へ伝わるまでの歴史を見ていきます。
対話型鑑賞の原点

VTSの成立を考えるうえで欠かせない人物が、認知心理学者・教育研究者のアビゲイル・ハウゼンです。
ハウゼンは1970年代から、人が美術作品をどのように見て、どのように意味をつくり出しているのかを研究していました。
そこで用いられたのが、「美的発達インタビュー(Aesthetic Development Interview)」と呼ばれる方法です。
鑑賞者に作品を見てもらい、思ったことや感じたことを自由に話してもらう。その言葉を記録・分析することで、鑑賞者が作品をどのように理解しているのかを研究していきました。
その研究から示されたのが、美的発達段階(Stages of Aesthetic Development)という考え方です。
美的発達段階とは?

ハウゼンは、鑑賞者の作品の見方には一定の発達的なパターンがあると考えました。
その特徴を5つの段階として整理しています。
ここで注意したいのは、この5段階を単純な美術を見る能力のランキングと考えないことです。
ハウゼンが研究していたのは、作品を見たときに「何を見るのか」「どのように意味をつくるのか」という鑑賞者の思考の特徴です。研究では、多くの鑑賞者がStage Ⅰ~Ⅱ付近に位置することも示されました。
この研究は、「美術の専門家が作品について詳しく説明すれば、誰もが作品を深く理解できる」という考え方を見直すきっかけにもなっていきます。
フィリップ・ヤノウィンとMoMA

もう一人の重要人物が、フィリップ・ヤノウィンです。
ヤノウィンは1983年から1993年まで、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の教育部門を率いていました。
美術館では作品について多くの情報を提供します。しかし、その情報を伝えることが、本当に鑑賞者自身の学びにつながっているのでしょうか。
ヤノウィンは、美術館教育のあり方そのものを見直していきます。そこで重要な存在となったのが、ハウゼンの研究でした。
作品について何を教えるかだけではなく、まず「鑑賞者がどのように作品を見ているのか」を理解する。
この発想が、その後のVTSにつながっていきます。
VTC(Visual Thinking Curriculum)の開発

1980年代後半から1990年代初頭にかけて、ヤノウィン、ハウゼンらは、ハウゼンの美的発達研究をもとにVisual Thinking Curriculum(VTC)を開発していきました。
VTCでは、教師や美術の専門家が作品の知識を一方的に説明するのではありません。作品を見ながら問いを投げかけ、子どもたち自身が観察し、考え、意見を話し合います。
つまり「作品について教える」ことから、「作品を使って、見る・考える・話す」ことへ。鑑賞教育の重心が大きく変わったのです。
VTCはニューヨーク市内の学校などで実践され、その後も研究と改良が続けられていきました。
VTCからVTSへ

ヤノウィンとハウゼンはMoMAを離れた後も研究と実践を続け、1995年には非営利組織Visual Understanding in Education(VUE)を共同設立しました。
そして、ハウゼンの研究を基盤とした鑑賞方法は、Visual Thinking Strategies(VTS)として体系化されていきます。
VTSという名称には、「美術について学ぶためのカリキュラム」という枠を超えて、作品を見ることを通して思考そのものを育てていこうとする方向性を見ることができます。
現在では、VTSは世界各地の学校や美術館などで実践されています。
対話型鑑賞が日本へ

VTC/VTSは1990年代初頭、日本にも紹介されるようになります。
その普及に大きく関わった人物の一人が、MoMAで教育プログラムに携わっていたアメリア・アレナスです。
日本では、逢坂恵理子、福のり子をはじめとする美術館・美術教育関係者によって、VTC/VTSを源流とする鑑賞教育が実践されていきました。
そして日本では、こうした鑑賞方法が「対話型鑑賞」と呼ばれながら独自の広がりを見せていきます。
2022年には東京国立博物館で「VTC/VTS 日本上陸30周年記念フォーラム」が開催されました。
現在では美術館や学校だけでなく、医療や企業研修など、さまざまな領域でアートを介した対話型の学びが実践されています。
「教える」から「問いかける」へ

VTSの歴史を振り返ってみると、僕が特に面白いと感じることがあります。
それは、この方法が単に「みんなで絵について話したら楽しそう」という発想から生まれたわけではないということです。
その根底には、「人は、どのように作品を見ているのか」「私たちが教えていることは、本当に鑑賞者の学びにつながっているのか」という問いがありました。
作品について豊富な知識を持つ人が、知らない人に正しい知識を与える。もちろん、それも美術鑑賞のひとつの形です。しかしVTSでは、鑑賞者自身の中にすでにある観察や疑問、想像から出発します。
だからファシリテーターに求められるのも、「答えを知っていること」だけではありません。相手の言葉を聴くこと。「なぜそう思ったのだろう?」と問いかけること。異なる意見をつなぐこと。そして、もう一度作品へと視線を戻していくこと。
VTSの歴史は、美術鑑賞における主役を「作品について知っている人」から「作品を見ている人」へと移していった歴史とも捉えられるのかもしれません。
まとめ

VTSの原点には、アビゲイル・ハウゼンによる「人はどのように美術作品を見るのか」という研究がありました。
そこにフィリップ・ヤノウィンらの美術館教育の実践が重なり、VTC、そしてVTSへと発展していきます。
その後、日本にも紹介され、「対話型鑑賞」として独自の実践が広がっていきました。
作品について何を知っているかだけではなく、「何が見える?」「なぜそう思った?」と問いかけてみる。
現在では当たり前に思えるこのシンプルな方法の背景には、長年にわたる「人はどのように作品を見るのか」という研究と実践の積み重ねがあります。
そして、その問いは今でも続いています。











作品の中に物語を見つけ、自分自身の経験や記憶、感覚などと結びつけながら鑑賞します。「この人は悲しんでいるのかもしれない」「これからどこかへ出かけるところなのかな」といったように、作品の中から物語をつくり出していきます。
自分の経験だけでなく、現実世界についての知識や社会的・道徳的な価値観などを使って作品を判断します。「本物のように描けている」「これは現実にはあり得ない」といった見方も、この段階の特徴として挙げられます。
作品を美術史的な文脈の中で捉えるようになります。作家、時代、様式、技法などの情報を使い、「これは○○時代の作品だから……」と作品を分析・分類しながら鑑賞します。
線や形、色など作品そのものを注意深く観察しながら、自分自身の感覚や直観、これまでに得た知識などを組み合わせて作品の意味を考えていきます。知識も単なる分類のためではなく、作品を新しく解釈するために使われるようになります。
長年にわたって作品を見る経験を重ねた鑑賞者にみられる段階です。作品の歴史や背景について理解しながら、それと個人的な経験や熟考を結びつけます。同じ作品であっても、何度も出会い直し、そのたびに新しい意味を見いだしていきます。