あなたは、美術館で一枚の作品をどれくらいの時間見ていますか?
1分?30秒?それとも10秒くらいでしょうか。
美術館へ行くと、たくさんの作品を見ます。展示室を歩き、作品を見る。キャプションを読む。隣の作品へ移動する。
でも帰宅してから、「そういえば、どんな作品があったっけ?」と思うことがあります。
美術館には行っている。作品の前にも立っている。でも僕たちは、本当に作品を「見ている」のでしょうか。
今回は、美術館における鑑賞時間の研究を手がかりに、「作品を見る」ということについて考えてみます。
みんな美術館で作品をみていない
一枚の作品を見る時間は30秒にも満たない

美術館の来館者が、一枚の作品をどれくらい見ているのか。実際に調べた研究があります。
2001年、Jeffrey K. SmithとLisa F. Smithは、ニューヨークのメトロポリタン美術館で来館者の鑑賞行動を調査しました。
6作品を鑑賞する150人を観察したところ、一枚の作品を見る時間は平均27.2秒。中央値は17秒、最も多かった鑑賞時間は10秒でした。
つまり、多くの人はそれほど長い時間、ひとつの作品の前には立っていません。
さらに約15年後、今度はシカゴ美術館で同様の研究が行われました。結果は平均28.63秒。中央値21秒、最頻値10秒。
興味深いことに、結果はかなり似ていました。
もちろん、これは「人間は必ず30秒以内しか絵を見ない」という意味ではありません。作品によっても違いますし、展覧会の内容や来館者によっても変わります。
実際、別の展覧会を対象とした研究では、初回の鑑賞時間が平均33.9秒という結果も報告されています。
それでも、一枚の作品の前で何分間もじっくり考えている人ばかりではないことは確かです。
30秒では作品を「見ていない」のか

では、一枚の作品を30秒しか見ていなければ、その人は作品を見ていないのでしょうか。
ここは少し慎重に考えたいところです。鑑賞時間が短いからといって、その鑑賞に価値がないとは限りません。
一瞬見ただけで強烈に心を動かされる作品もあります。反対に、10分間作品の前に立っていても、ずっと別のことを考えているかもしれません。
つまり、長く見る=良い鑑賞と単純には言えません。
ただここで面白いと思うのは、「30秒間で、自分は作品の何を見ているのだろう?」ということです。
僕たちは「見たつもり」になっている

たとえば、1枚の人物画があったとします。
最初に目に入るのは人物かもしれません。「女性が描かれている」「暗い絵だな」「昔の絵かな」そんな第一印象を持つ。
そして作品名と作者名を確認して、隣の作品へ移動する。これでも、もちろん作品は見ています。
でも、もう少し立ち止まってみるとどうでしょう。人物はどこを見ている?手はどんな形をしている?なぜここだけ明るい?背景には何が描かれている?最初は「暗い」と感じたけれど、どの色がそう感じさせている?
こうして問いをひとつ持つだけで、作品の中から別のものが見えてきます。作品自体は何も変わっていません。
変わったのは、こちらの「見方」です。
「見る」と「考える」はつながっている

私たちは普段、「目を向けること」と「見ること」を、ほとんど同じ意味で使っています。
でも美術鑑賞をしていると、この2つは少し違うように感じます。作品に目を向ければ、人物や色、形などの情報は入ってきます。
しかし、「なぜ、この人物はここにいるんだろう」「どうして自分は不安を感じたんだろう」と考え始めると、もう一度作品を見ることになります。
そして、「人物の顔が見えないからかもしれない」「画面のほとんどが暗い色だからかな」と、根拠を探す。すると最初には見えていなかったものが見えてくる。
つまり美術鑑賞では、見る → 考える → また見るという往復が起こります。
ただ視線を長く作品に向けることより、この往復の方が重要なのかもしれません。
美的発達段階から考えてみる

ここで少し関連するのが、アビゲイル・ハウゼンの「美的発達段階」です。
ハウゼンは、人が美術作品をどのように見て、どのように意味をつくるのかを長年研究しました。その研究から、鑑賞者の見方にはいくつかの発達的なパターンがあると考えました。
美術作品を見る経験がまだ少ない段階では、作品に描かれているものから自分なりの物語をつくったり、自分の経験と結びつけたりします。そこから鑑賞経験を重ねることで、作品そのものを観察したり、知識を使ったり、自分なりに解釈したりと、見方が変化していきます。
重要なのは、「長時間見れば、自動的に深い鑑賞になる」という話ではないことです。
作品を見る経験を重ねながら、何を見るのか。そこから何を考えるのか。そして、なぜそう考えたのか。こうした思考そのものが変化していきます。
作品を長く見るために必要なのは「時間」ではない
では、美術館でもっと作品を見ようと思ったら、「一作品につき5分見ましょう」と時間を決めればいいのでしょうか。
それだけではあまり意味がないと思います。見るものがなければ、5分は長い。でも、「この絵の中で何が起きているんだろう?」とひとつ問いが生まれれば、作品を見る時間は自然と長くなります。
人物を見る。背景を見る。また人物へ戻る。別の場所が気になる。
そして、「なぜ自分はそこが気になったんだろう」と考える。
こうなると、作品の前にいる時間は「我慢して長く見る時間」ではなくなります。
対話型鑑賞がおもしろい理由

ここでつながってくるのが、対話型鑑賞です。
対話型鑑賞では、ファシリテーターから、「この作品の中で何が起きていますか?」「どこからそう思いましたか?」「もっと発見はありますか?」といった問いが投げかけられます。
この問いは、作品についての知識を確認するためのものではありません。
もう1度、作品を見るための問いです。「この人は悲しそう」と誰かが言う。「どこからそう思いましたか?」と聞かれる。
すると、「顔が下を向いているから」「周りが暗いから」と作品へ視線が戻ります。
さらに別の人が、「僕には悲しいというより、何かを考えているように見えます」と言う。すると、また作品を見る。
面白いのは、誰かの言葉によって、自分一人では見ていなかった場所を見るようになることです。作品は同じなのに、見えるものが増えていく。
対話型鑑賞では、こうして「見る→考える→話す→また見る」ということを繰り返していきます。
美術館で一枚だけ、ちゃんと見てみる

美術館に行くと、「せっかく来たんだから全部見よう」と思ってしまいます。
でも、100作品をそれぞれ数秒ずつ見ることと、1枚の作品の前で立ち止まって考えること。
どちらが正しいという話ではありません。美術館の楽しみ方は自由です。
ただ、ときには一枚だけ、「今日はこれをちゃんと見てみよう」という作品を決めてもいいのではないでしょうか。
作品名を調べる前に、少し見る。何が描かれているのか。どこが気になるのか。なぜ気になるのか。そして、もう一度見る。
すると、それまで「見えているつもりだったもの」の中に、自分が見ていなかったものがたくさんあることに気づきます。
まとめ

美術館における研究では、来館者が一枚の作品を見る時間は、おおむね数十秒程度だったことが報告されています。
ただし、短い鑑賞が悪く、長い鑑賞が良いという話ではありません。
大切なのは、「どれくらい長く見たか」だけではなく、「どのように見たか」なのだと思います。
見る。考える。もう一度見る。誰かと話せば、さらに違うものが見えてくる。
次に美術館へ行ったとき、すべての作品をじっくり見る必要はありません。
気になった作品を一枚だけ選んで、「自分は、この作品の何を見ているんだろう?」と考えてみてください。
いつもより少しだけ、作品の前にいる時間が長くなるかもしれません。










