このシリーズでは1つの作品に隠された時代背景や解釈、メッセージ性を読み解いていきます。第18回目は「我が子を食らうサトゥルヌス」です。
絵画を通して得た知見があなたの心のビタミンになれば幸いです。
我が子を食らうサトゥルヌスを解説

題名
我が子を食らうサトゥルヌス
制作者
フランシスコ・デ・ゴヤ
制作年
1820‐1823年
美術史では
象徴主義
寸法
143.5cm × 81.4cm
種類
壁面に描かれた混合技法
(後にカンヴァスへ移された)
所蔵
プラド美術館
今作は「我が子を喰らうサトゥルヌス」として知られていますが、プラド美術館では作品名をシンプルに「サトゥルヌス」としています。
そして、この絵。もともと美術館に飾るために描かれた作品ではありません。なんとゴヤは、自分の家の壁にこの絵を描いていました。
我が子を食べる神

サトゥルヌスは、ローマ神話に登場する神です。ギリシャ神話ではクロノスにあたります。神話ではサトゥルヌス(クロノス)は、「いつか自分の子どもに支配者の座を奪われる」という運命を恐れます。
せっかく手に入れた権力を失いたくない。そこで彼がとった行動が、とんでもない。生まれてきた自分の子どもたちを次々と飲み込んでしまいます。
しかし妻は末の子を隠し、代わりに石を布で包んでサトゥルヌスに渡しました。こうして生き残った子どもが、後の最高神ユピテル(ゼウス)。
そして予言通り、成長したユピテルによってサトゥルヌスはその地位を追われることになります。自分の地位を守るために、自分の子どもを食べる。それでも結局、最も恐れていた未来は訪れることになりました。
ゴヤが描いたサトゥルヌス

サトゥルヌスの神話自体は、ゴヤが考えたものではありません。しかしゴヤが描いたサトゥルヌスは神話に登場する「神」というより、理性を失った人間のように見えます。
大きく見開かれた眼。乱れた髪。細く、不自然な身体。そして何より印象的なのが、我が子の身体を掴む両手です。指が身体に食い込むほど強く握りしめています。
背景にはほとんど何も描かれていません。真っ暗な空間のなかに、サトゥルヌスと犠牲となった身体だけが浮かび上がっています。
神話画というと、神々の美しい肉体や壮大な物語が描かれることも多いもの。しかし、この作品にそんな優雅さはありません。そこにいるのは「神」というより、何かを失うことに怯えた怪物です。
黒い絵

この作品は、ゴヤ晩年の「黒い絵」と呼ばれる作品群のひとつです。
1819年、70歳を超えていたゴヤは、マドリード郊外に「聾者の家(キンタ・デル・ソルド)」と呼ばれる家を購入しました。
ちなみに聾者の家という名前は、ゴヤが耳が聞こえなかったからつけられたわけではありません。以前の所有者が聴覚障害者だったことに由来します。
ゴヤはこの家の壁に、14点の絵を描きました。

今作のほか、「魔女の夜宴」「棍棒での決闘」「砂に埋もれる犬」など。
暗い色彩と不穏な主題を持つことから、後にこれらは黒い絵と呼ばれるようになります。そして重要なのは、これらが注文を受けて描いた作品ではなかったことです。
ゴヤ自身が暮らす家の壁に描いた、極めて私的な作品でした。だからこそなのか、そこには他人に見せることを意識した美しさや整った構図とは違う、むき出しのような表現があります。
現在はカンヴァスに描かれているように見えますが、もともとは壁画です。1870年代、家を所有していた銀行家フレデリック・エミール・デルランジェ男爵によって壁からカンヴァスへ移されました。
この移し替えによって絵具の一部が失われたことも分かっています。つまり、私たちが現在見ているサトゥルヌスは、ゴヤが自宅で見ていた姿と完全に同じではありません。
ゴヤが見てきた「人間」

ゴヤは1746年、スペインに生まれました。やがて宮廷画家として成功し、国王や貴族たちの肖像画を数多く描くようになります。
一方で、その人生では戦争や政治的混乱も経験しました。
1808年にはナポレオン率いるフランス軍がスペインへ侵攻。その後のスペイン独立戦争では、多くの市民が犠牲になりました。

ゴヤはその惨状を戦争の惨禍などの作品に残しています。そこに描かれているのは、英雄的な戦争ではありません。
殺される人。吊るされる人。飢える人。そして人間が人間に対して行う暴力です。
若い頃には華やかな宮廷社会を描いていたゴヤは、長い人生のなかで、人間の美しさだけでなく愚かさや残酷さも見続けることになりました。
そんなゴヤが70代になって描いたのが「黒い絵」でした。
サトゥルヌスが恐れていたもの

この絵については、さまざまな解釈があります。
プラド美術館は、サトゥルヌスを「権力を失うことへの恐怖」という人間的な感情の象徴として見る可能性を紹介しています。
そう考えると、この怪物は少し違って見えてきます。サトゥルヌスが恐れているのは、我が子ではありません。「自分が持っているものを失うこと」です。
権力を失いたくない。地位を奪われたくない。
だから、自分を脅かす可能性のあるものを排除する。しかも相手は、自分の子どもです。
守ろうとすればするほど残酷になり、その行為によって結局、自分自身も破滅へ向かっていく。怪物の姿を借りながら、そこには妙に人間臭い恐怖が描かれています。
「怖い絵」で終わらない

今作は1度見たらなかなか忘れられない作品です。
血、死体、異様に見開かれた眼。確かに怖い。
でも、この絵の本当の恐ろしさは、残酷な場面そのものではないのかもしれません。自分の持っているものを失いたくない。未来が怖い。自分の立場を守りたい。
そうした感情そのものは、怪物だけが持つものではありません。サトゥルヌスは、恐怖から我が子を食べました。
自分を守るための行為が、最も大切なものを自分自身で壊す行為へと変わっていく。人間は恐怖に支配されたとき、どこまで残酷になれるのか。
ゴヤがこの作品に明確な答えを残したわけではありません。
それでも、200年以上経った今もこの怪物から目を離せないのは、その姿のどこかに、私たち人間とまったく無関係とは言い切れないものが描かれているからなのかもしれません。















→権力を失うことへの恐怖
→人間の愚かさや残酷さ