盛期ルネサンス後半/ミケランジェロの代表作や特徴を解説【西洋美術史⑫】

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記事の要約

盛期ルネサンス後半

ミケランジェロ作品の特徴

ひねりと精神性

 

今回は盛期ルネサンスの後半、
ミケランジェロの作品を中心に解説します。
彼の活躍により、
ルネサンス芸術は頂点に達した
ともいわれています。

まずは作品の
画像を確認していきましょう。

ピエタ ダヴィデ システィーナ礼拝堂の天井装飾 勝利 最後の審判

ミケランジェロ
ミケランジェロ


美術史年表

プレ・ルネサンス
⇒13‐14世紀
✓初期ルネサンス
⇒15世紀
✓盛期ルネサンス
⇒1500~1530年

ミケランジェロの特徴

 

サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂

16世紀に入ると教皇ユリウス2世は、
ローマを復興・発展させる目的で
サン・ピエトロ大聖堂の改築や
システィーナ礼拝堂の天井装飾などを
ブラマンテやミケランジェロ、ラファエロに
依頼します。

1517年にはドイツでマルティン・ルター
ローマ教皇庁に対して贖宥状の
販売に抗議の声を上げ、
宗教革命が起きました。

ローマやカトリック教が大きく動いた時代に、
ミケランジェロは万能人と呼ばれる由縁となる
作品を多く残します。

ピエタ

 

ミケランジェロ

ミケランジェロは1475年に
フィレンツェ貴族の家系に生まれます。

当時フィレンツェには14・15世紀の美術
リードしたジョットマザッチョの名品が
多く残っていました。

 

ピエタ
「ピエタ」1498‐1500年

ミケランジェロは幼少期から
ルネサンス芸術の中核でもある
古典的な人体表現を学んでいき、
初期の頃の作品であるピエタにも
その影響を見ることが出来ます。

ダヴィデ

 

ダヴィデ
「ダヴィデ」1501‐1504年

1501年にミケランジェロは
フィレンツェでダヴィデ
彫る仕事につきます。

ドナテッロなどは旧約聖書の記述に従って
ダヴィデを少年の姿で表現しましたが、
ミケランジェロは伝統的な図像を避け、
たくましい青年の姿でダヴィデの
英雄的な性格を表現しました。

 

ダヴィデ
ドナテッロ「ダヴィデ」1440年

さらにドナテッロのダヴィデ像が、
戦いに勝利を収めた瞬間の作品なのに対し、
ミケランジェロは戦いを前にした
瞬間を表現しており、緊張感と勝利への意思を
感じさせます。

システィーナ礼拝堂の天井装飾

 

システィーナ礼拝堂の天井装飾
「システィーナ礼拝堂天井画」1508‐1512年

ミケランジェロ作品の特徴の1つに
ひねりがあります。

現実にはありえないひねりを
体に施すことによって緊張感を生み出し、
複雑で高度な精神性の表現を図りました。

 

アダムの創造
「アダムの創造」1511年

システィーナ礼拝堂天井画の1つである
アダムの創造にもひねりが施されています。

ちなみに人体の身振りによって
感情表現の可能性を探る
きっかけになったのは、
ニッコロ・デッラルカの作品であると
考えられています。

 

十字架降下
ニッコロ・デッラルカ「十字架降下」1485‐1490年
十字架降下
ニッコロ・デッラルカ「十字架降下」1485‐1490年

ミケランジェロはダ・ヴィンチより
23歳年下ですが、ダヴィンチが完成させた
線遠近法や空気遠近法などの
合理主義を乗り越えるために、
あえて主観的な人体表現を追求しました。

勝利

 

勝利
「勝利」1527‐1534年

この作品でもミケランジェロの
特徴であるひねりが見られます。

更にこの作品は10頭身以上に
身体を引き伸ばしてもいます。

規範を破るような彼の行為は
自由(リチェンツァ)と称賛され、
後のマニエリスムに影響を与えました。

最後の審判

 

最後の審判
「最後の審判」1535‐1541年

最後の審判はシスティーナ礼拝堂の
祭壇壁に制作されました。
ミケランジェロは伝統と違って、
キリストの姿を若々しく髭がない姿で
表現しました。

また、ミケランジェロの最後の審判は
左側の天国と右側の地獄が渦巻き状の
動きに沿って表現されています。

 

「最後の審判」皮を剥がれた男のナゾ

まとめ

 

ミケランジェロ
ミケランジェロの自画像
まとめ

✓ミケランジェロは幼い頃からジョットマザッチョの作品を見て、古典的な人体表現を学んだ

ダヴィンチの合理主義を乗り越えるために、あえて主観的な人体表現を追求した

✓作品の特徴の1つにひねりがある

次回はヴェネツィア美術を解説します。

 

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