初期キリスト教美術は
ローマ帝国が発展していく中で
密かに生まれました。
この頃の美術は残っている作品が
とても少ないことでも知られています。
原因は以下の通り↓
- 迫害を受けていたから
- 信者の大半が貧困層だったから
- 偶像崇拝思想が強かったから
ですが313年にキリスト教が
ローマ帝国で認められると
迫害されることが減って、
聖堂建築が盛んになり、
美術作例が増えていきました。
まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。
初期キリスト教美術の特徴
ローマ帝国は皇帝を崇拝する国家でした。
一方、帝国内で発生したキリスト教は
キリストこそが神であり、
皇帝を崇拝することができません。
加えて人種など関係なく
誰でも信者になれることから、
ローマ政府はキリスト教を
不安因子と見なします。
そうしてキリスト教は帝国から
迫害を受けることになりました。
そのため教徒達はカタコンベに
弾圧者たちの目をごまかすため、
間接的に絵を描きました。
↑の「善き羊飼い」は
カタコンベによく描かれたもので、
羊の信徒を導く羊飼いとしての
キリストと解釈されます。
↑の作品では羊=キリストとして
描かれています。
しかしなぜキリストを人の姿ではなく、
羊や羊飼いとして表現したかですが、
以下の理由があげられます。
- 直接的な表現は偶像崇拝にあたる
→偶像崇拝とは? - 「私は善き羊飼いである」という
キリストの記述が聖書内にある
他にもキリストを魚として
描くこともありました。
- イエス
- キリスト
- 神の
- 子
- 救世主
という5つの頭文字をとると
ギリシャ語でイクトゥス(魚)を
意味する言葉になることが理由です。
キリスト教公認
313年、皇帝コンスタンティヌス1世は
キリスト教を公認します。
信者たちを弾圧するより仲間にした方が、
国が強くなると考えたからでした。
当時最大の統治国家である
ローマで公認されたことは、
宗教をヨーロッパ全土に
布教できた大きな要因です。
ちなみにこの頃の肖像彫刻は、
威厳や偉大さを表現するために
デフォルメされているのが特徴です。
↑の頭像では勇敢さを表現するため、
目が大きくデフォルメされています。
公認後は迫害が減り、暗号化された絵も描かれなくなりました
聖堂建築
キリスト教が公認されると
聖堂建築が盛んになります。
最初期の聖堂建築は多くの信徒が
集まる典礼の場所として、
古代ローマの集会施設として用いられた
バシリカ式プランが採用されました。
バシリカ式プランとは↑のような
3廊で長堂式の建築様式を指します。
一方、皇族の墓廟や洗礼堂には
集中式プランが使われました。
集中式プランとは↑のような
円形や多角形を基本とする様式をさします。
アプシス
キリスト教聖堂で最も重要な主題が
描かれる場がアプシスです。
サンタ・プデンツィアーナ聖堂の
アプシスは現存する最古のアプシス装飾です。
中央で金色の衣を着たキリストが、
右手で祝福のポーズをとっています。
ドーム
↑はイタリアラヴェンナにある
集中式聖堂ドーム部分の装飾です。
キリストがヨハネから洗礼を受ける場面が
描かれています。
受洗者は頭上のキリストと同じように
水中に身体を沈めて俗世の生を捨て、
キリスト教徒となります。
まさに洗礼という再生と復活の
儀式に対応した装飾です。
まとめ
✓キリスト教は皇帝を崇拝できない
宗教だったため、迫害を受けていた
✓迫害を受けていた時期は、
羊や魚など間接的にキリストを描いた
✓キリスト教が公認されると
聖堂建築が盛んになった
次回はビザンティン美術を解説します。
→皇帝を認められないから
→羊や魚など間接的に絵を描いた
→聖堂建築が盛んに
→バシリカ式や集中式