美術に詳しい人もそうでない人も
ルネサンスという言葉は聞いたことが
あるのではないでしょうか?
ルネサンスとはフランス語で
再生を意味する言葉です。
しかし意味だけ聞いても
よくわからない人もいますよね。
また、ルネサンスには
北方ルネサンスなどの派生した
言葉もあります。
そこでこの記事では
ルネサンスとは一体なんだったのか
を解説します。
ルネサンスとは?
冒頭でルネサンスとは
再生を意味する言葉と説明しました。
ではなにを再生するのかというと、
ギリシャ・ローマ時代の文化です。
美術史を簡素化すると、
以下のようになります。
- ギリシャ時代(紀元前1000年~)
- 中世(476年~)
- ルネサンス(14世紀頃)
ルネサンス以前には中世と
呼ばれる時代が1000年程ありました。
この時代は一言でいうと
教会が権威を振るっていた時代です。
とにかく教会のいうことは絶対で、
逆らうことは許されません。
また、ペストや飢餓など
常に身近なところに死が
存在している時代でもありました。
そんな中世では、
現世ではどうせ幸せになれないから
慎ましく生きましょうという
厭世(えんせい)主義が
広まっていました。
教会に服従し、
現世ではなく来世で救われましょう
という今では考えられない思想です。
美術史ではよく
中世の時代を暗黒時代と
よんでいます。
中世以前の
ギリシャ・ローマ時代には
厭世主義はありませんでした。
それは言い換えると、
神様よりも人間や現世をもっと大切にしよう
という考え方が存在する時代です。
つまりルネサンスとは、
暗黒時代(中世)以前の
神よりも人間をもっと大切にする時代を
復活させようとした運動のことなのです。
なぜイタリアでルネサンスが起こった?
ルネサンスはイタリアのフィレンツェから
始まりますが、なぜイタリアで
始まったのでしょうか?
ルネサンスがイタリアで起こった理由は
大きくわけて4つあります。
- 教皇の権力の衰退
- 東ローマ文化が流入
- レヴァント貿易の中継地
- 強力なパトロンの出現
順番に解説していきます。
教皇の権力の衰退
まず、美術史でいうところの
ロマネスクといわれる時代(11世紀~)から
十字軍の遠征が行われました。
この遠征は、
キリスト教にとって聖地である
エルサレム(イスラエルの都市)を
イスラム教から奪還することを
目的とされました。
ことの発端は東ローマ帝国の一部が
イスラム王朝に占領されはじめ、
東ローマ帝国の皇帝(アレクシオス1世)が
ローマ教皇(ウルバヌス2世)に
援軍を要請したことでした。
東ローマ帝国の皇帝とローマ教皇は互いに
権力争いをしており、要請を受けた教皇に
とっては、自分の地位を知らしめる
絶好のチャンスでもありました。
そこでローマ教皇は
「聖地エルサレムを奪還するのだ」という
大義名分を打ち立てて十字軍編成を行います。
1096年に始まった第1回十字軍遠征は
見事十字軍が勝利を収め、エルサレムの
奪還に成功します。
しかしその後イスラム軍が聖地を奪い返すなど
遠征は200年の間に計7回行われ、
結果的にはそのほとんどが失敗に終わります。
十字軍の遠征は莫大な犠牲者や財政支出を
生んでおり、加えて失敗という結果でしたので
ローマ教皇や諸侯、騎士の力は失われ、
西ヨーロッパでは封建社会の崩壊に
繋がりました。
ここまでを簡潔にまとめると以下の
ようになります↓
- ローマ教皇が権力誇示のために十字軍遠征を実施
- 結果的に十字軍遠征は莫大な被害を生んだ
- それにより教皇の権力は衰退
- 教会が絶対的だった体制に亀裂が生まれる
東ローマ文化が流入
13世紀末、東ローマ帝国の東国境地帯に
オスマン1世が率いる多民族の武装小国家が
現れます。
オスマン帝国軍は急速に勢力を増し
14世紀初めには東ローマ帝国に侵攻、
1453年には首都コンスタンティノープルを
陥落させ、東ローマ帝国を滅亡させます。
これによりギリシャにいた学者たちは
難民となり、その多くがイタリアに
渡りました。
イタリアに渡ると
貿易で富を得たパトロン(後述)に
支援してもらいながらローマやギリシャの
古典文化を広めることに力を注ぎます。
加えてイタリアにはローマ時代の遺跡が
数多く存在していました。
このことは学者たちの活動を更に後押しし、
懐古主義的なムーブメントを起こしました。
過去を想い、「昔はよかった」と懐かしむこと。
まさにルネサンスに対する考え方の
基盤を築くキッカケとなったのです。
レヴァント貿易の中継地
イタリアがレヴァント貿易の
中継点だったこともルネサンス発端の
大きな要因です。
十字軍の遠征などで東方とのパイプが
できたヨーロッパは北イタリアを中継点に、
貿易が盛んになります。
イタリアからは主に銀や毛織物を、
東方は主に香辛料を出荷しました。
その結果イタリアの商人たちは
他ヨーロッパの国に対し香辛料を
独占販売するようになり、巨万の富を得ます。
その富を背景に、政治的にも力をもった
フィレンツェのメディチ家のような
一族が台頭するようになります。
強力なパトロンの出現
ルネサンスにおいて最も偉大なパトロンで
知られているのがメディチ家です。
メディチ家は銀行業で大きな成功を収め、
ローマやヴェネツィアなど各地に支店網を
広げました。
そして莫大な財力を背景に政治家としても
台頭し、フィレンツェの実質的な支配者として
数々の芸術家達を支援しました。
この偉大なパトロンの存在も
ルネサンス発端の大きな要因の1つです。
イタリアから始まった理由まとめ
ではここでイタリア、フィレンツェで
ルネサンスが始まった理由を
まとめてもう1度確認しておきましょう。
- 教皇の権力の衰退
⇒全7回に渡る十字軍遠征
⇒甚大な被害が出た
⇒ローマ教皇の権力衰退 - 東ローマ文化が流入
⇒東ローマ帝国の滅亡
⇒ギリシャの学者がイタリアへ
⇒イタリアには遺跡も豊富だった
⇒懐古主義的なムーブメント - レヴァント貿易の中継地
⇒十字軍遠征により東方と交流
⇒イタリアを中継点に貿易が盛んに
⇒香辛料を中心に商人が富を得る - 強力なパトロンの出現
⇒銀行業で莫大な富を得たメディチ家
⇒実質的なフィレンツェの支配者に
⇒数々の芸術家を支援した
ルネサンスで美術はどう変わった?
次に、ルネサンスによって美術は
具体的にどう変化したかについてです。
まずはルネサンス以前、
つまり教会が権威を振るっていた
時代の絵はどのようなもの
だったのでしょうか?
暗黒時代の頃の絵
これらはルネサンス以前に描かれた
キリスト教をテーマにした絵です。
というのもルネサンス以前は
絵画といえばキリスト教に関連するもの、
つまり宗教画ばかりでした。
描き方に関しては厳格なルールが設けられ、
画家の個性などは必要とされない
時代でもありました。
ではそのルールはなにかというと↓
- 平面的でなければいけない
- 真顔でなければいけない
- 背景は神の世界を表現
だいたいこのような感じです。
しかしなぜこんなルールが
あったのでしょうか?
それは偶像崇拝の禁止で
説明することができます。
偶像崇拝の禁止とは?
偶像崇拝とは
神を模倣して作ったものを拝む
行為のことをさします。
ではなぜ禁止されているかというと、
キリスト教が母体としている
ユダヤ教で偶像崇拝が禁止
されているからです。
キリスト教ではこの世界・人間は
神によって作られました。
神は絶対的なものであると同時に
目に見えない存在です。
では目に見えない神を人間ごときが
目に見える形にしていいのか?
目に見えない神を見える形にするという
神学上の矛盾が偶像崇拝の禁止
の大きな理由なわけです。
布教するために必要だった
しかし現代と違って
文字を読める人が少ない時代に
キリスト教のこと(聖書の内容)を
人々に伝えるには絵が必要でした。
必要なんだけど、禁止されている。
そんな状況だったからこそ
ルールを設けたわけです。
もう一度先程のルールを
確認しましょう↓
- 平面的でなければいけない
- 真顔でなければいけない
- 背景は神の世界を表現
これらは言い換えると、
リアルに(人間っぽく)描いては
ダメだよってことです。
リアルに描くってことは
神を人間に近づける行為(背神行為)
になるからですね。
では、暗黒時代の絵のルールを
踏まえたところでルネサンスの絵を
見ていきましょう。
草創期ルネサンス時代の絵
こちらはイタリアの画家、ジョットが
描いた宗教画です。
フィレンツェで本格的にルネサンスが
始まる少し手前の頃の作品なんですが、
暗黒時代に比べて少し作風が
変わってきているのがわかりますか?
こちらもジョットによる宗教画。
これらの絵が暗黒時代のものと
違う点をいくつか挙げてみました↓
- 絵に登場する人物の感情を表現
- 人物たちに動きがある
- 遠近感を感じさせる
そうです。
教会の権威が衰退すると共に
宗教画に課せられていたルールも
緩くなっていったわけです。
初期ルネサンス時代の絵
そしてついにフィレンツェの時代が
到来します。
美術史的には15世紀に入ったあたりを
初期ルネサンスとよんでおり、
1500~1530年を盛期ルネサンス(後述)と
よんでいます。
先述したメディチ家が台頭し、
数々の芸術家たちを支援することで
美術は飛躍的な進化を遂げます。
こちらは初期ルネサンスの画家、
マザッチョの作品です。
初期ルネサンスにおいて発見・研究され、
後世に多大なる影響を与えたものに
遠近法があります。
遠近法の発見により絵画は
よりリアルな表現が可能となりました。
こちらはアンドレア・マンテーニャという
画家の作品です。
遠近法だけでなく、解剖学の発展により
人体の表現や表情もより写実的に
なっています。
理想的な比率と彫刻
さて、ここで一度
暗黒時代よりも前のギリシャ時代の
話も詳しくしておきます。
ギリシャ時代にはキリスト教のような
偶像崇拝の禁止などはなく、
むしろ神様は人間と同じ姿で同じ感情を
もっているとする神人同形説という
考え方がありました。
そんなギリシャではより理想的で、
よりリアルな人体表現をすることが
神を称えることに繋がるとされます。
そこでギリシャ人はこぞって
理想的なプロポーションをもつ
彫刻をいくつも手掛け、
躍動感も兼ね備えた作品を作りだしました。
当然ルネサンスではその部分の
再興も行われました。
つまり理想的なプロポーションを再現し、
彫刻作品をも復活させたのです。
暗黒時代には彫刻作品は偶像崇拝にあたるので、ご法度でした
絵画においても
理想的なプロポーション+遠近法により
更に高度な表現が可能となりました。
上図では短縮法という視点が
やや斜めになっている表現法が
用いられています。
盛期ルネサンス
16世紀に入るとルネサンスの
中心地はフィレンツェではなく、
ローマに移りました。
理由としてそれまで偉大な
パトロンであったメディチ家当主、
ロレンツォ・デ・メディチが死去した
ことに加え、ドメニコ会修道士の
サヴォナローラがメディチ家が
保護していた異教徒的・快楽的な
風俗や政治を痛烈に批判したからでした。
ルネサンスでメディチ家の次に
芸術家たちのパトロンとなったのは
ローマ教皇のユリウス2世です。
彼もまた多くの芸術家たちを支援し、
フィレンツェに次いでローマを
芸術の中心地にした人物です。
盛期ルネサンスでは3大巨匠と
言われる、ダヴィンチ、ラファエロ、
ミケランジェロが活躍します。
上画像はダヴィンチの作品で有名な
モナ・リザです。
こちらはラファエロの作品。
ミケランジェロは主に彫刻の分野で
優れた作品を多く残しています。
この時代、彼らの卓越した技術により
ルネサンス芸術は頂点に達したと
いわれています。
また、暗黒時代の画家というのは
(ルールに従って)注文された絵を描く
職人のような立場でしたが、
この頃には画家自身の技術と個性が
光るようになり、芸術家としての地位を
確立しました。
ルネサンスで美術はどう変わったかまとめ
それではここで
ルネサンスで変わった美術について
まとめておきましょう。
- 暗黒時代の絵
⇒宗教画には厳格なルールがあった
⇒その理由は偶像崇拝の禁止
⇒平面的・真顔・背景は神の世界 - 草創期ルネサンス
⇒ジョットはルネサンスの先駆的存在
⇒人間味が増した作品を描いた - 初期ルネサンス
⇒遠近法や解剖学の発展
⇒絵画はよりリアルになった
⇒理想的なプロポーションを再現
⇒彫刻作品も復活 - 盛期ルネサンス
⇒芸術の中心はローマへ
⇒3大巨匠の時代
⇒画家は芸術家の地位を確立
北方ルネサンスとは?
北方ルネサンスとは広義には
イタリア以外のヨーロッパ国での
ルネサンス、狭義にはネーデルラントや
ドイツで起こった芸術運動をさします。
ネーデルラントは
現在のベルギー・オランダあたりです。
北方ルネサンスはルネサンスという
名前がついていますが、イタリアの
ものとは全く異なります。
むしろルネサンスという言葉では
一括りにできないから北方ルネサンスという
別名を用いるようになりました。
北方ルネサンスの特徴は?
イタリアのルネサンスは
ギリシャ・ローマ文化の復興が
1つのテーマでした。
しかし北方ルネサンスにはそのような
思想はありません。
北方ルネサンスでは
大まかに以下の特徴があります↓
- 写実的
- 油彩画技法による細密描写
- パノラマ的な風景
- 銅版画の発展
油彩画技法による細密描写
油彩画技法はネーデルラントの画家、
ヤン・ファン・エイクによって発明され、
後にイタリアにも伝わりました。
ヤン・ファン・エイクの代表作では
彼の卓越した技術が集約されています。
また、油彩の特徴である艶や透明感、
厚塗りによる重厚感も表現されています。
パノラマ的な風景
こちらはベルギーの画家、
ヨアヒム・パティニールの作品です。
エジプトへの逃避とはキリスト絵画の
重要テーマの1つですが、
イタリアのそれとは大きく違う点が
あります。
それは風景を大きく描き、
聖母マリアなどの重要人物を
端に小さく描いていることです。
パティニールの作品にみられる
パノラマ的な風景は世界風景と呼ばれ、
宗教的主題をより身近に感じさせる効果
などがありました。
こちらは16世紀後半の
ピーテル・ブリューゲルの作品。
世界風景は北方ルネサンスの
1つの特徴として引き継がれました。
世界風景から段々と宗教的な要素が除かれ、純粋な風景画の誕生に関与したとの見方もあります
銅版画の発展
この時代のドイツでは、
それまでの木版画に変わる
銅版画が発展しました。
銅版画技法を磨き、有名になった人物に
アルブレヒト・デューラーがいます。
彼は2回ほどイタリアにも渡っており、
そこで遠近法や理想的なプロポーションを
学びました。
そんな彼の知識と経験から
作り出された銅版画はたちまち
評判となり、彼の地位を不動の
ものにしました。
北方ルネサンスのまとめ
それでは北方ルネサンスのまとめです。
- 北方ルネサンスとは?
⇒イタリアのものとは違う
⇒ネーデルラントやドイツ - 北方ルネサンスの特徴は?
⇒写実的
⇒油彩画技法の完成
⇒パノラマ的風景
⇒銅版画 - 油彩画技法
⇒ファン・エイクが完成させた
⇒艶や透明感があり、塗り重ねも可能
⇒後にイタリアにも伝わった - パノラマ的風景
⇒世界風景という
⇒重要人物を小さく描く
⇒宗教をより身近に感じさせる - 銅版画
⇒ドイツで発展
⇒デューラーが有名
まとめ
✓ルネサンスとはギリシャ・ローマの文化の再生を意味する
✓神中心であった暗黒時代から人間を解き放ち、人間性の回復を目指した
✓ルネサンスによって美術も大きく発展した
✓北方ルネサンスはイタリアのものとは特徴が大きく異なる
✓ルネサンスとは再生という意味
✓ギリシャ・ローマ美術の再興
✓国によって特徴は全く違う