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パトロンで振り返る西洋美術史

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記事の要約

パトロンがいるから美術は制作される

時代によってパトロンは異なる

美術と経済は大きな関わりがある

 

パトロンとは後援者や支援者という
意味があり、ここでは特に
芸術家にお金を払う人をさします。

いつの時代も芸術家の傍には
必ずパトロンの存在がありました。

そこでこの記事では
時代と共に変わるパトロンの存在
流れについてみていきます。


パトロンで振り返る西洋美術史

 

市場

人々が趣味で絵を描くように
なったのは近代になってからです。

それまでの芸術には必ず
受容と供給があり、
芸術を買う人がいるから
制作するのが普通でした。

芸術を買う人=パトロンは
時代によって異なっています。

  • ギリシャ時代⇒市民
  • ローマ時代⇒君主
  • 中世⇒君主、教会
  • ルネサンス⇒君主、教会、ギルド
  • バロック⇒君主、教会、貴族、商人
  • 産業革命、フランス革命以降⇒富裕層
  • 現代⇒市民、企業

ここからは時代ごとに
詳しくパトロンをみていきましょう。

ギリシャ時代⇒市民

 

パルテノン神殿
パルテノン神殿

ギリシャ時代のパトロンは市民です。

守護神アテナを祀るパルテノン神殿は、
王でも権力者でもなく市民によって
建てられました。

世界初の民主主義が行われたという
アテネでは重要なことは直接選挙に
よって決定し、市民全員で
国家を動かしました。

パルテノン神殿も市民全員の決議によって
建設が決められたので、市民がパトロンで
あったといえます。

ローマ時代⇒君主

 

プリマ・ポルタのアウグストゥス
プリマ・ポルタのアウグストゥス

ローマ時代のパトロンは君主です。

ギリシャに次いで地中海周辺を支配した
ローマは、最初はギリシャ美術の
コピーを作っていました。

次第に支配領土を広げたローマは、
ローマ帝国として1人の皇帝を頂点とする
中央集権国家となります。

すると君主が自らの皇帝像などを
作らせるようになり、主なパトロンは
市民ではなく君主となっていきました。

 

コロッセウム

有名な円形闘技場(コロッセウム)
などの巨大建築も皇帝自らの栄光を
示すために建設されました。

中世⇒君主、教会

 

ビザンティン

中世のパトロンは君主と教会です。

ローマ帝国は395年に東西に分裂し、
西ローマは476年にゲルマン民族により
滅ぼされます。

その後ゲルマン系諸部族は各地に国を
作り、それらは全てキリスト教を国教と
したのでキリスト教一色になりました。

その時代を中世と呼びます。

各々の国は君主制となって
君主と教会が大きな力をもち、
制作される美術のほとんどは
キリスト教美術でした。

ルネサンス⇒君主、教会、ギルド

 

ヴィーナスの誕生

ルネサンス時代のパトロンは
君主と教会、そしてギルドです。

ギルドとは職業ごとの組合のようなものです。

この時代、毛織業や両替商、鍛冶職人などの
職種にはギルドが設けられ、
ギルドが認めた者だけに
親方(マイスター)の資格が与えられ、
事業に新規参入できるという
ルールがありました。

そうすることで同業者の増加を抑え、
一店あたりの売上が落ちることを
防いだのです。

特にイタリアのフィレンツェなどでは
繊維業や金融業が大成功を収めていたので、
ギルドで自分たちの利益を守ったのでしょう。

 

ギルドが注文した彫刻

 

St George
ドナテッロ「聖ゲオルギウス像」

↑は彫刻家ドナテッロの作品
「聖ゲオルギウス像」です。

この作品は武具馬具組合の注文
制作されました。

2mを超す大型の大理石像で、
当時有名だったドナテッロに
制作を依頼しているので、
ギルドの持つ力の大きさがわかります。

 

コジモとロレンツォ

 

Cosimo de' Medici
コジモ・デ・メディチ

フィレンツェで最大のパトロンだったのは、
銀行業で巨万の富と名声を築いた
メディチ家です。

コジモ・デ・メディチはブルネッレスキや
ドナテッロ、フラ・アンジェリコや
フィリッポ・リッピなどの芸術家を庇護
しました。

 

ロレンツォ・デ・メディチ
ロレンツォ・デ・メディチ

コジモの孫にあたる
ロレンツォ・デ・メディチ
盛期ルネサンスのダヴィンチや
ミケランジェロ、ボッティチェリや
ブラマンテなどを庇護しました。

まさにメディチ家によって
初期・盛期ルネサンスが花開いたと
いっても過言ではないですね。

バロック⇒君主、教会、貴族、商人

 

蚤をとる少年
ムリーリョ「蚤をとる少年」

バロック時代のヨーロッパ(オランダ以外)の
パトロンは君主教会貴族です。

画像の「蚤をとる少年」はスペインの画家、
ムリーリョが描いたものです。

この時代は宗教革命によって、
キリスト教はカトリックとプロテスタント
に分裂しました。

カトリックの国では
「善い行いをすれば神も喜び、天国に行ける」
と信仰され、富裕層などは
町にいる貧しい孤児たちへの
寄付や慈善行為を行ったといいます。

ムリーリョが「蚤をとる少年」を描いたのも、
富裕層によって注文されたからで、
注文主はこのような作品を家に飾り、
自らの行いを神や周囲にアピールしました。

 

オランダでのパトロンは商人

 

ハールレムの聖ゲオルギウス市民隊幹部の宴会
「ハールレムの聖ゲオルギウス市民隊幹部の宴会」

バロック時代のオランダの
パトロンは商人です。

オランダはプロテスタントの国であり、
偶像崇拝を禁止していたので
宗教画などはあまり描かれませんでした。

またプロテスタントは、
「善行ではなく信仰によってのみ救われる」
というカトリックとは異なる考え方なので、
ムリーリョのような慈善的な絵を
注文されることもありませんでした。

 

夜警
「夜警」

そんなオランダでは貿易によって富を得た
市民たちがパトロンとして台頭します。

ギルドの1人1人がお金を出し合って
注文された「集団肖像画」は、
自分たちの活動拠点の建物などに
飾られたそうです。

まとめ

 

パトロン
まとめ

時代によってパトロンは変わる

✓産業革命までは君主教会がパトロンであることがほとんど

✓時代が進むにつれて商人や市民が台頭してくる

時代と共に変わるパトロンの存在。

なぜその作品がその時代にその国で
制作されたのかなど、
作品の背景を知るともっと鑑賞が
楽しくなりますね。

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