フランス・バロック美術の特徴は
厳格な古典主義です。
フランスはカトリック国ですが、
王政の中で厳格な古典主義が
推し進められたので、
イタリアやスペインとは
異なった傾向を示しました。
まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。
・初期バロック⇒1590年代~1620年代
⇩
・盛期バロック⇒1620~1670年代
・スペイン・バロック
・フランス・バロック
・フランドル/オランダ・バロック
フランス・バロックの特徴
フランスでは1562~1598年まで、
カトリックとプロテスタントの間で
宗教戦争が勃発しました。
その内戦により国土は疲弊し、
17世紀初頭まで絵画の需要は減少します。
それに伴いフランスの若い画家たちは
より自由な活動を求めローマへと出向き、
当時盛んだったカラヴァッジョ様式の
影響を受けました。
そして17世紀後半、
ルイ14世の親政時代には
古典主義美術が完成します。
その特徴は以下の通りです
- 安定したバランス感覚
- 理性的かつ合理的
フランスはカトリック国でしたが
他国より中央集権政策を推し進めたので、
イタリアやスペインの美術とは
異なる傾向を示しました。
またパリでは宮廷的雰囲気が強かったので、
フランスではカラヴァッジョの様式も
地方に波及するに限られました。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは
フランスのロレーヌ地方で
活躍した画家です。
ラ・トゥールがローマに出向いた
確実な資料は残っていないものの、
彼の作品からはカラヴァッジョの様式を
感じることができます。
ただしラ・トゥールが
カラヴァッジョと違うのは、
明暗法を劇的な演出に使うのではなく、
内省的かつ禁欲的な精神を
表現するのに用いたことです。
- 生きた年代
→1593~1652年 - 代表作
→聖ヨセフなど - なにをした人?
→カラヴァッジョが生み出した明暗法をフランスで用いた画家。夜の画家とも呼ばれている
シモン・ヴーエ
宗教戦争の疲弊から回復し始めた
17世紀前半のパリでは
シモン・ヴーエが活躍しました。
ヴーエはヴェネツィア経由でローマへ行き、
カラヴァッジョやカラッチの作品から
イタリア・バロック美術を学びました。
そして1627年に帰国すると、
ルイ13世の首席画家として活躍、
王宮の装飾を担当するなどしました。
↑は代表作の「富の寓意」。
曲線の多用や対角線構図には
イタリア・バロック様式を感じますが、
感情や力の表現は抑制的です。
フランス特有の厳かな感じとバロックが
折衷した感じはフランス風バロックと
評されました。
- 生きた年代
→1590~1649年 - 代表作
→富の寓意など - なにをした人?
→イタリア・バロック様式をフランスへ伝えた画家。ルイ13世の首席画家としても活躍した
ニコラ・プッサン
ニコラ・プッサンは生涯にわたって
聖書や神話画などを描いた画家です。
フランス出身ですが、
活動の大半をローマで行いました。
ルネサンスの巨匠たちを模範として、
美術理論にも通じていたプッサンは
フランスの古典主義美術に
大きく貢献しました。
プッサンの一時帰国
プッサンは1624年から亡くなるまで
ローマで活躍しましたが、
1640~1642年の間だけルイ13世に
招聘されてパリへ戻り、↑の作品や
ルーヴル宮の装飾などに携わりました。
イタリアで培われた正確な素描や色彩、
深い学識に裏打ちされた古典的理想美は
17世紀半ばに成立する
王立絵画彫刻アカデミーの規範となりました。
プッサンの風景画
プッサンは後半生になると
風景画も多く手掛けました。
プッサンの風景画は
自然をそのまま描いたものではなく、
理想的に構成されたものです。
これは初期バロックのカラッチが確立した
理想的風景画に連なるものです。
- 生きた年代
→1594~1665年 - 代表作
→アルカディアの牧人たちなど - なにをした人?
→フランス・バロックを代表する画家だが、その活動の大半はローマだった。王立絵画彫刻アカデミーの規範となった人物 - その他の記事
→アカデミー/アカデミックな美術とは?
クロード・ロラン
クロード・ロランはプッサン同様
ローマで活躍した画家で、
生涯にわたり風景画を描き続けました。
ロランの風景画はプッサンのよりも
光や大気の移り変わりに対する
繊細な感受性が示されています。
ロランもプッサンの風景画と同じく
カラッチの理想的風景画に連なっており、
後のウィリアム・ターナーなどに
影響を与えました。
- 生きた年代
→1600年代~1682年 - 代表作
→シバの女王の船出のある港の風景など - なにをした人?
→プッサン同様、ローマで活躍したフランス人画家。理想風景を追求する画風で知られている
シャルル・ルブラン
フランスでは1648年に
王立絵画彫刻アカデミーが開校します。
そしてそのアカデミーの設立や運営の
中心となったのがシャルル・ルブランです。
1664年に国立首席画家となったルブランは、
17世紀後半のフランス美術を牽引しました。
アカデミーでは古代美術やラファエロ、
プッサンが理想とされました。
また、絵画は知的で
精神に働きかけるものとして
体系的な教育が行われ、
物語画を頂点とする
絵画のヒエラルキーが生まれました。
- 生きた年代
→1619~1690年 - 代表作
→アレクサンドロス大王とポロス王など - なにをした人?
→アカデミーの設立・運営の中心となった画家。17世紀後半のフランス美術を牽引した - その他の記事
→アカデミー/アカデミックな美術とは?
まとめ
✓絶対王政下のフランスでは
厳格な古典主義が求められた
✓ニコラ・プッサンは
アカデミーの規範とされた
✓シャルル・ルブランはアカデミー
設立・運営の中心となった
次回はフランドル/オランダ・バロックを解説します。
→王政の中での古典主義
→カラヴァッジョの様式は限定的
→ニコラ・プッサン
→クロード・ロラン
→シャルル・ルブランが中心
→プッサンが規範