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フォーヴィスムやブリュッケ、青騎士の特徴を解説【西洋美術史㉚】

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記事の要約

色彩の解放を試みたフォーヴィスム

保守的な体制に反抗したブリュッケ

音を色で表現したカンディンスキー

 

印象派や象徴主義の時代を経て、
20世紀に入ると絵画は
芸術家の内面を押し出すような
表現主義の時代に突入します。

表現主義

感情を作品に反映させて表現する傾向のこと

また、一言に内面と言っても
国や芸術家グループによって
表現した内容は大きく異なりました。

まさに多様な表現主義の時代です。

まずフランスのパリでは、
フォーヴィスム
という
運動が巻き起こります。

運動としては
1905年からわずか数年という
短いものでしたが、
その衝撃は壮大なものでした。

フォーヴィスムの特徴は、
「形態」による支配から「色彩」を
解放しようとした点です。

まずはこの時代の代表作の
画像を確認していきましょう。

赤のハーモニー チャリング・クロス橋 街 最後の晩餐 印象Ⅲ(コンサート) 小さな青い馬 夕日

アンリ・マティス
アンリ・マティス
アンドレ・ドラン
アンドレ・ドラン
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー
エミール・ノルデ
ワシリー・カンディンスキー
ワシリー・カンディンスキー
フランツ・マルク
フランツ・マルク
ガブリエレ・ミュンター
ガブリエレ・ミュンター


美術史年表

フォーヴィスム
⇒1905~1910頃
ブリュッケ
⇒1905~1913年
✓青騎士
⇒1912~1914年



フォーヴィスムの特徴

 

帽子の女
マティス「帽子の女」(1905年)

それまでの絵画において色は、
立体感や空間の奥行を表現するため
色合いや明暗、強弱といった具合に、
形態になじむように決められるのが
普通でした。

もっと平たく言うと、
色彩よりも形態の方を優先するのが
普通でした。

しかしフォーヴィスムの画家たちは、
形態から色彩を解放し、
目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩
表現することを目指しました。

フォーヴィスムの発端は1905年、
パリの展覧会でアンリ・マティス
アンドレ・ドランらが出品した作品を
「あたかも野獣(フォーヴ)の檻の中に
いるようだ」と評されたことでした。

彼らは象徴主義の
ギュスターヴ・モローの教え子であり、
モローから「形式の枠組みの外で物事を考え、
その考えに従うこと」と教えられていました。

アンリ・マティス

 

赤のハーモニー
「赤のハーモニー」1908年

アンリ・マティス(1869~1954)は
フランスの画家で、フォーヴィスムの
リーダー的存在です。

フォーヴィスムの活動後も20世紀を
代表する芸術家の1人として活動しました。

自然をこよなく愛したマティスは
「色彩の魔術師」と謳われており、
絵画の他に、彫刻や版画も手掛けています。

マティス展を解説

 

緑の筋のあるマティス夫人の肖像
「緑の筋のあるマティス夫人の肖像 」1905年
ダンス
「ダンスⅠ」1909年
アンリ・マティス
アンリ・マティス

アンドレ・ドラン

 

チャリング・クロス橋
「チャリング・クロス橋」1906年

アンドレ・ドラン(1880~1954)は
マティスと同じフランスの画家です。

フォーヴィスムの運動後は
キュビスムやアフリカ彫刻に影響を受け、
平面的で色彩を抑えた作風になり、
最終的には古典的なものに回帰しました。

 

カーニュの風景
「カーニュの風景」1910年
死のゲームと静物
「死のゲームと静物」1928年
アンドレ・ドラン
アンドレ・ドラン

ブリュッケの美術

 

座る女
キルヒナー「座る女」1907年

フォーヴィスムの誕生と同じ年の
ドイツでも若い芸術家たちを中心に、
保守的な社会と芸術に対する反発が
起こりました。

グループの名を「ブリュッケ」といい、
未来の芸術への架け橋になってほしいと
いう願いを込めてつけられました。

ブリュッケの特徴は
不調和な色彩誇張された形態
用いたことです。

それは伝統的な芸術への反抗であり、
急速に近代化した社会に暮らす人々の
孤独や不安を表現する術でもありました。

主なメンバーは、
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー
エミール・ノルデらです。

エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー

 

街
「街」(1913年)

エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー
(1880~1938)はブリュッケの中心的
存在のドイツの画家です。

キルヒナーの描く人物はどこか生気がなく、
輪郭などが鋭角に表現されています。

近代化の進んだドイツでの不安や苦悩、
社会への反抗などを表現していると
いわれています。

 

街の5人の女
「街の5人の女」1913年
病人としての自画像
「病人としての自画像」1918年
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー

エミール・ノルデ

 

最後の晩餐
「最後の晩餐」1909年

エミール・ノルデ(1867~1956)は
ブリュッケに1年程在籍した
ドイツの画家です。

ノルデの作品は原色を多用した強烈な色彩と
単純化された形態が特色で、ゴッホなどの
影響を感じられます。

孤独を好む性格だったノルデは、
ブリュッケ脱退後、独自の道を歩みました。

 

踊り子
「踊り子」1913年
エミール・ノルデ

青騎士の美術

 

コンポジション?
カンディンスキー「コンポジション?」

ブリュッケの誕生に触発され、
1911年にドイツ南部のミュンヘンで
結成されたグループが「青騎士」です。

もともと青騎士とはグループ名ではなく、
メンバーであるカンディンスキーや
フランツ・マルクが創刊した
芸術年刊誌の名前でした。

決まった主義や様式があるわけではなく、
表現主義であること以外に共通点は
ありません。

主なメンバーに、

  • ワシリー・カンディンスキー
  • フランツ・マルク
  • ガブリエーレ・ミュンター

などがいます。

ワシリー・カンディンスキー

 

印象Ⅲ(コンサート)
「印象Ⅲ(コンサート)」1911年

ワシリー・カンディンスキー(1866~1944)
はロシアからドイツへ移ってきた画家です。

作曲家のシェーンベルクと交流があった彼は
音楽と色彩、神秘的なものと色彩の
関係性に興味を示しました。

「印象Ⅲ(コンサート)」は、
シェーンベルクによるピアノの演奏を聞き、
カンディンスキーが受けた衝撃を
黄色という色に置き換えて表現しています。

 

ワシリー・カンディンスキー
ワシリー・カンディンスキー

フランツ・マルク

 

小さな青い馬
「小さな青い馬」1911年

フランツ・マルク(1880~1916)は
動物を愛したドイツの画家です。

画家としての活動はわずか10年でしたが、
動物や森をテーマに色彩豊かな作品を
多く手掛けました。

晩年は第一次世界大戦が勃発し
マルクの描く動物たちは魂の塊と化して
形を失いました。

 

戦うフォルム
「戦うフォルム」1914年
フランツ・マルク
フランツ・マルク

ガブリエーレ・ミュンター

 

夕日
「夕日」1909年

ガブリエーレ・ミュンター(1877~1962)は
カンディンスキーのパートナーとしても
知られている女性画家です。

彼女はカンディンスキーのもとで
表現主義を学び、互いに影響を感じられる
作品を残しています。

 

メディテーション
「メディテーション」1917年

カンディンスキーの死後、彼の作品の
大部分を第二次世界大戦から守ったのも
ミュンターでした。

 

ガブリエレ・ミュンター
ガブリエレ・ミュンター

まとめ

 

赤のハーモニー
まとめ

✓20世紀初頭はヨーロッパ各地で多様な表現主義のグループが誕生した

フォーヴィスムの画家たちは色彩を形態から解放させることを目指した

ブリュッケのキルヒナーは近代化するドイツの不安や苦悩を表現した

青騎士のカンディンスキーは音と色の関係性を表現した

次回はキュビスムを解説します。

 

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