1914年に第一次世界大戦が始まると
それまでの人間の秩序や常識に疑問を抱き、
破壊しようとする芸術運動が起こります。
ダダの特徴は否定、攻撃、破壊といった思想を
もっていることです。
また、ダダから離脱した芸術家によって
始まったシュルレアリスムの特徴は
無意識の探求・表出です。
まずはこの時代の代表作の
画像を確認していきましょう。
✓キュビスム
⇒1907~
✓未来派
⇒1909~1924年頃
✓抽象美術
⇒1910年頃~
ダダとは?
第一次世界大戦勃発により、
人々を豊かにするためのテクノロジーが、
人々を悲惨な目にあわせることを目的に
使われました。
当時はじめて実戦に機関銃や戦車、毒ガス
などが本格投入されたといいます。
このことはヨーロッパの人々が築き上げた
文明やそれを支える人間の「理性」が
はたして正しいものだったのか。
疑念を抱かせました。
その疑問を芸術運動に変えて訴えかけたのが
ダダイズムもしくはダダです。
ダダは「芸術作品とはこういうものだ」という
考え方、既成概念としての芸術を徹底的に
否定します。
人間の文明や理性への信頼が
大きく損なわれた時、ダダはその副産物である
芸術も信じるに値しないものと考えたのです。
反芸術
大戦中の1916年、スイスにやってきた
ドイツ出身のフーゴ・バル(1886~1927)は
キャバレー・ヴォルテールという小さな店を
開きました。
バルはそこで奇妙な格好をして
自身の造語による詩を朗読しました。
バルの店にはダダ結成に
重要な芸術家たちが集まり、
中でもトリスタン・ツァラ(1896~1963)は
既成概念としての芸術の破壊をもくろみ、
芸術に反対する芸術、反芸術をめざす芸術を
称してダダと名乗りました。
ダダの名前の由来は諸説ありますが、
ダダはツァラたちが辞書からランダムに
選んだ言葉で特に深い意味はありません。
1918年に出されたダダ宣言でもツァラは
「ダダはなにものをも意味しない」と
述べています。
レディ・メイドとは?
ダダの目指した既成概念としての芸術の
破壊を最も強力に実践したのがフランスの
マルセル・デュシャン(1887~1968)です。
彼は1913年に自転車の車輪を高椅子にのせ、
「自転車の車輪」というタイトルをつけて
自分の作品として発表しました。
翌年彼はこれをレディ・メイドと定義します。
デュシャンのレディ・メイドはその後も
次々に作られましたが、なかでも
最大の問題作が1917年に発表されます。
泉
横に倒した男性用小便器に
芸術家のサイン(デュシャンであることは
隠して、R.Muttと記した)をしたものが
「泉」です。
もはやこんなの芸術ではないと
思わせるほどの作品です。
しかしデュシャンの狙いは
「こんなものは芸術ではない」とする
観客たちに対して、
「ならば芸術作品とはなにか」という
問いを突きつけることにありました。
それまでの既成概念を再考するよう促すことを
目的としたこの「泉」は、そう促す限りに
おいて紛れもなく作品なのです。
シュルレアリスムとは?
第一次世界大戦が終わると、
ダダのメンバーから芸術の破壊や否定に
とどまらずに新しい芸術を創出しようと
する動きがでてきました。
フランスの詩人である
アンドレ・ブルトン(1896~1966)が
提唱した「シュルレアリスム」です。
シュルレアリスムの考え方の基礎に
あるのは精神分析にいう無意識の理論。
人間の本性は理性や意識ではなく
その向こうにある無意識にあると
考えます。
そこで考案されたのが
オートマティスムという方法でした。
オートマティスム
オートマティスムとは人がさまざまな
ものを自由に思い浮かべ、それを
次々と言葉にしていく作業をいいます。
このとき連想や記述の速度を上げていくと
理性や意識の介入がなくなっていき、
予測不可能な言葉やイメージの連鎖が
生まれます。
ブルトンはここに新しい、
そして自由な芸術の可能性を見出しました。
オートマティスムを美術作品に応用
する方法は大きく2種類あります。
1つ目はアンドレ・マッソン(1896~1987)
が「魚の戦い」で行った方法です。
マッソンは無意識の状態に近づけるために
素早く筆や鉛筆を動かしたりして、
無意識にできた線や形から魚が認識され、
色んな要素を描き加えました。
2つ目がオートマティスムで出てきた
言葉の連鎖を、視覚的なイメージに
置き換えて作品化する方法です。
ルネ・マグリット(1898~1967)や
サルバドール・ダリ(1904~1989)などの
絵画で多用されています。
時計など私たちのよく知るものを
意外な組み合わせや状況に置くこの方法は、
「人をなじみのない場所に連れていくこと」
を意味するデペイズマンと呼んでいます。
アヴァンギャルド
ダダもシュルレアリスムもあらゆる方法を
用いて芸術に対する反逆を試みました。
この2つの芸術運動はまさに戦争の
ようなものでした。
それは戦争が敵から新たに領土を
奪うことが目的だとすれば、
ダダもシュルレアリスムもそれまでの
古い芸術のあり方を破壊して、
そこに新しい芸術を打ち立てようと
したからです。
アヴァンギャルドには斬新な芸術という
意味がありますが、もとは前衛部隊を
意味する戦争用語でした。
20世紀前半の芸術をアヴァンギャルドと
呼ぶようになったのには、その背景にあった
第一次世界大戦の影響、そして
ダダとシュルレアリスムの芸術家たちによる
芸術領域における革命があったからでしょう。
まとめ
✓第一次世界大戦はヨーロッパの人々の文明や理性への信頼を大きく揺るがした
✓それを芸術運動に変えて訴えかけたのがダダ
✓デュシャンはレディ・メイドを用いて人々に「芸術とはなにか」を問いかけた
✓シュルレアリスムの考え方の基礎は無意識の理論
次回はアヴァンギャルド芸術を解説します。
✓既成概念による芸術の破壊
✓芸術とはなにかを問いかけた
✓シュルレアリスムは無意識を探求した