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ダダ/シュルレアリスムとは?意味や特徴を解説【西洋美術史㉝】

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記事の要約

✓既成概念による芸術の破壊

芸術とはなにかを問いかけた

✓シュルレアリスムは無意識を探求した

 

1914年に第一次世界大戦が始まると
それまでの人間の秩序や常識に疑問を抱き、
破壊しようとする芸術運動が起こります。

ダダの特徴は否定、攻撃、破壊といった思想
もっていることです。

また、ダダから離脱した芸術家によって
始まったシュルレアリスムの特徴は
無意識の探求・表出です。

まずはこの時代の代表作の
画像を確認していきましょう。

自転車の車輪 泉 自由の闇で 記憶の固執

トリスタン・ツァラ
トリスタン・ツァラ
マルセル・デュシャン
マルセル・デュシャン
アンドレ・ブルトン
アンドレ・ブルトン
ルネ・マグリット
ルネ・マグリット
サルバドール・ダリ
サルバドール・ダリ


美術史年表

キュビスム
⇒1907~
未来派
⇒1909~1924年頃
抽象美術
⇒1910年頃~



ダダとは?

 

第一次世界大戦勃発により、
人々を豊かにするためのテクノロジーが、
人々を悲惨な目にあわせることを目的に
使われました。

当時はじめて実戦に機関銃や戦車、毒ガス
などが本格投入されたといいます。

このことはヨーロッパの人々が築き上げた
文明やそれを支える人間の「理性」が
はたして正しいものだったのか。
疑念を抱かせました。

 

その疑問を芸術運動に変えて訴えかけたのが
ダダイズムもしくはダダです。

ダダは「芸術作品とはこういうものだ」という
考え方、既成概念としての芸術を徹底的に
否定します。

人間の文明や理性への信頼が
大きく損なわれた時、ダダはその副産物である
芸術も信じるに値しないものと考えたのです。

反芸術

 

フーゴ・バル
「フーゴ・バル」1916年

大戦中の1916年、スイスにやってきた
ドイツ出身のフーゴ・バル(1886~1927)は
キャバレー・ヴォルテールという小さな店を
開きました。

バルはそこで奇妙な格好をして
自身の造語による詩を朗読しました。

バルの店にはダダ結成に
重要な芸術家たちが集まり、
中でもトリスタン・ツァラ(1896~1963)は
既成概念としての芸術の破壊をもくろみ、
芸術に反対する芸術、反芸術をめざす芸術を
称してダダと名乗りました。

 

トリスタン・ツァラ
トリスタン・ツァラ

ダダの名前の由来は諸説ありますが、
ダダはツァラたちが辞書からランダムに
選んだ言葉で特に深い意味はありません。

1918年に出されたダダ宣言でもツァラは
「ダダはなにものをも意味しない」と
述べています。

レディ・メイドとは?

 

自転車の車輪
「自転車の車輪」1913年

ダダの目指した既成概念としての芸術の
破壊を最も強力に実践したのがフランスの
マルセル・デュシャン(1887~1968)です。

彼は1913年に自転車の車輪を高椅子にのせ、
「自転車の車輪」というタイトルをつけて
自分の作品として発表しました。

翌年彼はこれをレディ・メイドと定義します。

レディ・メイド
本来は既製品の意味。ここでは大量生産された既製品からその機能を剥奪し「オブジェ」として陳列したものをいう

デュシャンのレディ・メイドはその後も
次々に作られましたが、なかでも
最大の問題作が1917年に発表されます。

 

 

泉
「泉」1917年

横に倒した男性用小便器に
芸術家のサイン(デュシャンであることは
隠して、R.Muttと記した)をしたものが
「泉」です。

もはやこんなの芸術ではないと
思わせるほどの作品です。

しかしデュシャンの狙いは
「こんなものは芸術ではない」とする
観客たちに対して、
「ならば芸術作品とはなにか」という
問いを突きつけることにありました。

それまでの既成概念を再考するよう促すことを
目的としたこの「泉」は、そう促す限りに
おいて紛れもなく作品なのです。

 

マルセル・デュシャン
マルセル・デュシャン

シュルレアリスムとは?

 

『シュルレアリスム革命』誌第8号の表紙
『シュルレアリスム革命』誌第8号の表紙

第一次世界大戦が終わると、
ダダのメンバーから芸術の破壊や否定に
とどまらずに新しい芸術を創出しようと
する動きがでてきました。

フランスの詩人である
アンドレ・ブルトン(1896~1966)が
提唱した「シュルレアリスム」です。

シュルレアリスムの考え方の基礎に
あるのは精神分析にいう無意識の理論。

人間の本性は理性や意識ではなく
その向こうにある無意識にある
考えます。

そこで考案されたのが
オートマティスムという方法でした。

 

アンドレ・ブルトン
アンドレ・ブルトン

オートマティスム

 

オートマティスムとは人がさまざまな
ものを自由に思い浮かべ、それを
次々と言葉にしていく作業をいいます。

このとき連想や記述の速度を上げていくと
理性や意識の介入がなくなっていき、
予測不可能な言葉やイメージの連鎖が
生まれます。

ブルトンはここに新しい、
そして自由な芸術の可能性を見出しました。

 

魚の戦い
アンドレ・マッソン「魚の戦い」1927年

オートマティスムを美術作品に応用
する方法は大きく2種類あります。

1つ目はアンドレ・マッソン(1896~1987)
が「魚の戦い」で行った方法です。

マッソンは無意識の状態に近づけるために
素早く筆や鉛筆を動かしたりして、
無意識にできた線や形から魚が認識され、
色んな要素を描き加えました。

オートマティスム
一般的に「オートマティスム的」といわれるのはマッソンが行った方法です

 

自由の闇で
マグリット「自由の闇で」1930年

2つ目がオートマティスムで出てきた
言葉の連鎖を、視覚的なイメージに
置き換えて作品化する方法です。

ルネ・マグリット(1898~1967)や
サルバドール・ダリ(1904~1989)などの
絵画で多用されています。

 

記憶の固執
ダリ「記憶の固執」1931年

時計など私たちのよく知るものを
意外な組み合わせや状況に置くこの方法は、
「人をなじみのない場所に連れていくこと」
を意味するデペイズマンと呼んでいます。

 

ルネ・マグリット
ルネ・マグリット
サルバドール・ダリ
サルバドール・ダリ

アヴァンギャルド

 

前衛部隊

ダダもシュルレアリスムもあらゆる方法を
用いて芸術に対する反逆を試みました。

この2つの芸術運動はまさに戦争の
ようなものでした。

それは戦争が敵から新たに領土を
奪うことが目的だとすれば、
ダダもシュルレアリスムもそれまでの
古い芸術のあり方を破壊して、
そこに新しい芸術を打ち立てようと
したからです。

アヴァンギャルドには斬新な芸術という
意味がありますが、もとは前衛部隊を
意味する戦争用語でした。

20世紀前半の芸術をアヴァンギャルドと
呼ぶようになったのには、その背景にあった
第一次世界大戦の影響、そして
ダダとシュルレアリスムの芸術家たちによる
芸術領域における革命があったからでしょう。

まとめ

 

泉
まとめ

✓第一次世界大戦はヨーロッパの人々の文明や理性への信頼を大きく揺るがした

✓それを芸術運動に変えて訴えかけたのがダダ

✓デュシャンはレディ・メイドを用いて人々に「芸術とはなにか」を問いかけた

シュルレアリスムの考え方の基礎は無意識の理論

次回はアヴァンギャルド芸術を解説します。

 

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