マニエリスムの語源は
手法や様式を意味するイタリア語の
マニエラからきています。
盛期ルネサンスで活躍した
ダヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロ
を模倣しながらも、
多様なバリエーションを
追求したのが特徴的です。
まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。
目次
マニエリスムの背景
ヨーロッパでは、
15世紀末~16世紀中頃にかけて
君主制の国が増えていきます。
イタリア各地の都市国家も
そんな国々に圧迫され、
イタリア戦争へと追いやられました。
それまでのイタリア芸術は
市庁舎や広場、教会などの
公共性の高い場所に展示されることが
多いのが特徴的でした。
そんな場所では市民が理解できる
普遍的な主題や図像が選ばれる傾向に
ありました。
ところが16世紀に入ると、
作品が君主の宮殿などに
飾られるようになります。
すると教養を身につけた
支配階級の人々を満足させるような、
難解な寓意や図像が好まれるようになります。
1527年にはフランスを支持する教皇庁の
置かれたローマを皇帝軍が攻撃するという
ローマ略奪が起こります。
その結果、ローマに集結していた
芸術家たちはイタリア各地へと逃れ、
その一部は国外の宮廷に招かれました。
マニエリスムの特徴
マニエリスムとは
16世紀初頭まで重視されてきた
自然の模倣にかわって、
芸術家が過去の優れた芸術を規範として、
芸術自体の自意識を高めた運動です。
ダヴィンチやラファエロ、ミケランジェロの
造形性や理論を踏まえつつ、
多様なバリエーションを追求しました。
先に述べた知識人を楽しませる
難解な寓意や図像の他に、
以下のような特徴があります。
- 人体の引き伸ばし
- 蛇状人体
- 極端な短縮法
これらの特徴は
ミケランジェロが追求した
特徴でもあります。
また一方で、
合理的な空間表現や遠近法、
彩色などにはこだわらなくなりました。
とはいえマニエリスムはあくまで
芸術的な技巧の様式的洗練であり、
古典主義に対する反抗的な意思は
ありませんでした。
ヤコポ・ダ・ポントルモ
↑はフィレンツェの画家、
ヤコポ・ダ・ポントルモ
の「十字架降下」です。
鮮やかで冷たい色使いと
長く優美な体、不合理な空間処理は
マニエリスムに特徴的な表現です。
- 生きた年代
→1494~1557年 - 代表作
→十字架降下など - なにをした人?
→マニエリスム期のイタリアの画家。アンドレア・デル・サルトの弟子でもある
アーニョロ・ブロンズィーノ
同じくフィレンツェの画家である
アーニョロ・ブロンズィーノは
メディチ家の宮廷画家として活躍しました。
↑はコジモの妻と息子を描いた
公的な肖像画です。
豪華な衣服の細密描写と抑制された表情、
なめらかに仕上げられた肌の表現など、
芸術的技巧と宮廷趣味が合わさった
マニエリスム的作品といえます。
↑はブロンズィーノの別の代表作、
「愛の寓意」です。
数多くの寓意が散りばめられた今作は、
宮廷的かつ難解な寓意画の代表的作品
でもあります。
- 生きた年代
→1503~1572年 - 代表作
→愛の寓意など - なにをした人?
→メディチ家のフィレンツェ公コジモ1世の宮廷画家として活躍。知的・技巧的で洗練された作品を多数手掛けた
ジュリオ・ロマーノ
マントヴァ侯であるゴンザーガが、
パラッツォ・デル・テの設計と装飾の
依頼をしたのがラファエロの弟子の
ジュリオ・ロマーノです。
1526年に建設が開始されたこの宮殿は、
マニエリスム美術の作例として有名です。
↑は内部装飾である「巨人の間」。
オリュンポス12神の主神ユピテルが
巨人族に雷霆の束を投げる場面が
描かれています。
この作品でも非現実的な空間構成や
実用的でない建築的要素による
装飾が施されています。
古典様式に精通していたロマーノは
あえて懐疑的に提示することで、
ファンタジーに彩られた空間を
生み出しました。
- 生きた年代
→1499?~1546年 - 代表作
→パラッツォ・デル・テなど - なにをした人?
→マントヴァのゴンザーガ家に招かれ、パラッツォ・デル・テの建築家に任命された人物。ラファエロの弟子
フォンテーヌブロー派
マニエリスムはイタリアだけでなく、
ヨーロッパ各地へと広がりをみせます。
特にフランスのフランソワ1世は、
芸術による王権の称揚を画策し、
多くのイタリア出身の芸術家たちを
フォンテーヌブロー宮殿に招聘しました。
この時期の宮廷で活躍した芸術家たちを
フォンテーヌブロー派と呼びます。
フランチェスコ・プリマティッチオ
1532年にフランスに移動したのが
ロマーノの弟子である
フランチェスコ・プリマティッチオです。
先述したフォンテーヌブロー派の
初期の頃の1人とされています。
彼の作品に見られる、
マニエリスム的な脚を長めに描く技法は
16世紀後半のフランス美術に影響を与えました。
- 生きた年代
→1504~1570年 - 代表作
→ヘレネーの陵辱など - なにをした人?
→フォンテーヌブロー宮殿の装飾を任され、人生の大半をそれに費やした人物。初期フォンテーヌブロー派の1人
ジュゼッペ・アルチンボルド
イタリアの芸術家たちを招聘したのは
フランスだけではありません。
神聖ローマの皇帝ルドルフ2世は
プラハの宮廷に芸術家を招聘しました。
その際イタリアから招かれた
ジュゼッペ・アルチンボルドは
奇妙な二重イメージを用いた
寓意的肖像画を得意とし、
多くの作品を制作しました。
彼の作品にはグロテスクなものや
奇想に対する関心がみられます。
- 生きた年代
→1526~1593年 - 代表作
→春
→ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世など - なにをした人?
→果物、野菜、動植物、本などを寄せ集めた珍奇な肖像画で有名な画家
ジャンボローニャ
フランスで生まれた彫刻家、
ジャンボローニャは1550年に
イタリアで生活を始め、
古典彫刻について学びました。
その際ミケランジェロの作品からも
大きな影響を受けましたが、
ジャンボローニャは感情表現や
表面の滑らかさ、優美さをさらに強調して
独自のマニエリスム様式を発展させました。
ミケランジェロは蛇状人体を
精神性を示すために用いたのに対し、
ジャンボローニャはあくまで形式上の
関心から作品に取り入れたとされています。
- 生きた年代
→1529~1608年 - 代表作
→サビニの女たちの略奪など - なにをした人?
→マニエリスム期の彫刻家。ミケランジェロの蛇状人体を取り入れて、奇想的・装飾的な彫刻を制作した
まとめ
✓マニエリスムでは支配階級を
満足させるために難解な図像や構図が
好まれるようになった
✓人体の引き伸ばしや蛇状人体、
非現実的な空間構成が特徴的
✓フランスやプラハの宮廷では
多くのイタリア出身芸術家が招聘された
次回は初期バロック美術を解説します。
→宮殿などに作品が飾られる
→難関な寓意や構図が好まれる
→引き伸ばされた人体
→非現実的な空間構成
→形式上の蛇状人体
→ローマにいた芸術家たちが逃れる
→一部はフランスやプラハへ
→マニエリスムが各地で発展