アメリカでは1910年頃から
前衛的な芸術活動が始まっており、
マルセル・デュシャンの渡米により
ダダのような活動が始まりました。
まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。
・ニューヨークダダ⇒1910年半ば~
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・プレシジョニズム⇒1920~1930年
・アメリカン・シーン⇒1920~1940年代
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・抽象表現主義⇒1946年~
ニューヨークダダ
フランスのマルセル・デュシャンは
第一次世界大戦が始まると同時に、
アメリカへ渡ります。
そして彼は再度ダダのような
前衛的・実験的な活動を開始しました。
主なメンバーには
- マルセル・デュシャン
- フランシス・ピカビア
- マン・レイ
- モートン・シャンバーグ
などがいました。
彼らは自らをダダと名乗ることは
ありませんでしたが、
総称してニューヨークダダと呼ばれ、
アメリカの若い芸術家たちが
ヨーロッパの前衛芸術に触れる
キッカケを作りました。
↑はデュシャンの「大ガラス」です。
ニューヨークダダでもデュシャンは、
レディ・メイドの作品を制作して
芸術の価値を問いかけ、
既成の価値や概念を否定することを
続けました。
- 生きた年代
→1887~1968年 - 代表作
→泉
→大ガラスなど - なにをした人?
→ニューヨークダダの中心メンバー。渡米後はアメリカに住み続けた - その他の記事
→ダダ/シュルレアリスムとは?
フランシス・ピカビア
もう1人の中心メンバー、
フランシス・ピカビアは
機械をテーマにした絵を描きました。
しかし機械といっても
本来の実用的な機械としては
描かれてはおらず、
「役に立たない機械」と
なっているのが特徴です。
また、機械を女性に転用して
女性のイメージや愛欲行為も
単なる機械に還元するなどしました。
- 生きた年代
→1887~1968年 - 代表作
→若いアメリカ少女の裸体など - なにをした人?
→ニューヨークダダの中心メンバー。アメリカとヨーロッパを行き来し、スタイルの異なる作品を制作した
プレシジョニズム
1920年代からはプレシジョニズムと
呼ばれる動向が誕生しました。
工場や摩天楼の並ぶ景色を
アメリカの原風景として見出し、
直線的な構成や平明な質感で
対象を描いたことが特徴的です。
プレシジョニズムの由縁は
機械的な表現が精密で正確だと
形容されることになったこと。
プレシジョニズムの画家である
チャールズ・シーラーは、
われわれの工場は、
宗教的表現への代理物である
と語っています。
- 生きた年代
→1883~1965年 - 代表作
→アメリカの風景など - なにをした人?
→プレシジョニズムの画家。写真家でもあり、建造物や乗り物を主に撮影した
アメリカン・シーン
1920年代から30年代にかけて
退廃的な都市生活や厳しい労働環境、
社会の一断面を描く傾向がありました。
これをアメリカン・シーンと呼んでいます。
1929年の大恐慌による
アメリカ社会の経済的疲弊が深刻化し、
画家たちは差別や社会問題への関心を
表明するようになりました。
- 生きた年代
→1898~1969年 - 代表作
→サッコとバンゼッティの受難など - なにをした人?
→アメリカン・シーンとして戦争、貧困、差別、失業などをテーマにした絵を描いた
まとめ
✓1915年にデュシャンが渡米し、
ニューヨーク・ダダが興った
✓1920年からはプレシジョニズムと
呼ばれる動向も生まれた
✓1920年代から30年代にかけて
社会の一断面をリアルに描いた傾向を
アメリカン・シーンと呼ぶ
次回は抽象表現主義を解説します。
→デュシャンの渡米
→アメリカでの前衛芸術
→機械化された原風景
→大恐慌による社会不安
→社会問題への関心を表明