この時代の作品は鑑賞用ではなくて、
用途が先にあって造形されたものが
多いのが特徴的です。
日常や特別な祭儀など、
どのように使用されて
どのような意味があったのか。
現在でも研究が進んでいます。
まずはこの時代の作品の
画像を確認していきましょう。






・縄文時代⇒B.C.13000年頃~
⇩
・弥生時代⇒B.C.300年頃~
⇩
・古墳時代⇒300年頃~
⇩
・飛鳥時代⇒592年~
縄文時代の美術

縄文文化はB.C.13000年頃~の
縄文時代に日本各地で発達した
新石器文化のことをさします。
この時代は磨製石器を用いた
狩猟・採集文化を特徴としており、
縄文土器は大きく6期に分けられます。
- 草創期(B.C.13000~)
- 早期(B.C.10000~)
- 前期(B.C.5000~)
- 中期(B.C.3500~)
- 後期(B.C.2500~)
- 晩期(B.C.1300~)
この中でも美術的な要素が豊富なのは
縄文中期の土器といわれています。

↑のような土器は火焔型土器と呼ばれ、
表面を覆い尽くす文様がどこか不気味で
呪術的な印象を与えます。
また縄文土器は中期から後期にかけて、
制作技術が大きく発展したことを
背景に薄くシンプルな形態に変化しました。
西日本ではそこに朝鮮半島からの影響が
加わって弥生土器へと展開していきます。
土偶

土偶とは人の形をした
土製品のことをさします。
その多くが意図的に壊された状態で
出土されており、呪術的な儀式に
使用されていたと考えられています。

長野県茅野市の棚畑遺跡からは
縄文のヴィーナスと呼ばれる、
妊婦状の女性の像が完全な形で
発見されています。
なんらかの祭祀の中心に据えられ、
小型土偶と一緒に廃棄されていました。
祭祀の実態は詳しくわかっていませんが、
精霊を宿すという重要な役割を
担っていたと考えられています。
弥生時代の美術

弥生時代からは米作りが広がり、
農耕が中心となりました。
それに伴い土器もシンプルで
実用的なものに変化していきます。
-1-300x212.jpg)
船橋遺跡出土-1-300x279.jpg)

特に壺の形は豊富で、
均整のとれたものが多く
弥生土器を代表する器種といえます。

また稲作は2500年前に
渡来人によって伝わったものですが、
同時に大陸からは青銅器や鉄器なども
もたらされました。
青銅器には銅鐸や銅鏡、銅剣などがあり、
豊作を祈る祭りの道具でした。
古墳時代の美術

3~8世紀にかけて
巨大な古墳が造られるようになり、
この時代を古墳時代といいます。
古墳はその地域の首長が
権力を民衆に示すために造られ、
遺体と共に人や動物、家、武具などの
形をした埴輪と一緒に納められました。



家形埴輪は死者が帰る場所とも
考えられており、
人や動物の形をした埴輪も
葬送儀式でなんらかの役割を
担っていたと考えられています。
まとめ

✓縄文時代には火焔型土器のような
呪術的な印象の土器が造られた
✓弥生時代には実用的かつシンプルな
形の壺などが多く造られ、
大陸からは青銅器や鉄器が伝わった
✓古墳時代には巨大な古墳と、
人や家の形をした埴輪が造られた
次回は飛鳥時代の美術を解説します。
→火焔型土器
→稲作が中心
→実用的かつシンプルな造形へ
→首長の権力を民衆へ示す
→人や家の形をした埴輪が造られる