現代アートとGoogleで検索すると、
- 現代アート 難しい
- 現代アート 苦手
- 現代アート ゴミ
などなど…
色んなワードがたくさん出てきます。
正直いうと、
私も現代アートが苦手でした。
一見すると難しい。
いや、二見・三見しても
難しいのが現代アート。
ただ、なんで難しいのか
その概念を知っておくだけでも
教養になるし、
アートが好きになれるかも
しれません。
今回の記事では
現代アートに至るまでの歴史を解説し、
後半では現代アートの楽しみ方を
実例と共に解説します。
現代アート入門/なぜ難しい?

現代アートがなぜ難しいかを理解するには、
そこに至るまでの歴史を学ぶとよいです。
まず、現代アートは
1950年以降から21世紀までの作品を
指します。
19世紀以前の画家というのは、
- パトロンのために絵を描く
- 教会のために絵を描く
のどちらかの場合が
ほとんどでした。

例えば、
ヴィーナスの誕生はお金持ちの
別荘を飾るための絵でしたし、

ミケランジェロの最後の審判は
教会のために描かれた絵でした。
この時代の画家達に求められたのは、
視覚的にわかりやすい(リアルな)
絵を描く技術でした。
しかし19世紀の前半に
画家達を驚愕させたある発明が
なされます。

それが写真です。
それまでは写真がなかったので、
リアルに描ける技術が重宝されました。
しかし写真が発明されたら…
おわかりですね?
19世紀フランスの画家
ドラローシュは写真を初めて見たときに
こんな言葉を残しています。
今日を限りに絵画は死んだ
かなりショッキングだったのが
伝わるようです。

ちなみにドラローシュは
↑のような写実的な歴史画を
描いていた画家です。
とてもリアルで素晴らしい絵だけに、
写真の誕生にはドラローシュも
相当にショックだったでしょう。
そしてそれは他の画家も同じでした。
写真の発明と同時に
それまでの絵画の常識が崩壊
したからです。
そしてここから
アートにしかできないことを模索する
芸術家が出てきます。

有名なところでいくと
印象派もその部類に入ります。
印象派の画家たちは、
空間と時間で変わる光や
対象の日常性などを
それまでにない独特な表現方法で
描きました。

フォーヴィズムの画家たちは
描いた対象の美しさや色彩で
鑑賞者の心を動かすのではなく、
筆触や色の強さそのもので
感情を動かそうとしました。

シュルレアリスムの画家たちは
夢の世界や無意識の世界を追求して、
人間の固定観念への縛らわれやすさや
それを壊す表現を模索しました。
19世紀以前の
パトロンのためにリアルに描いていた
時代が終わりを告げると、
画家が追求したい表現を使った
作品が増えていくのです。
ここが19世紀以前とそれ以降で、
異なる重要なポイントです。
- 19世紀までのアート
→教会やパトロンのために絵を描く
→リアルに描くことが重要 - 19世紀以降のアート
→写真の発明
→それまでの常識の崩壊
→アートにしかできないことはないかを模索
→各々が表現したいように描く
アートで問題提起をした

さて、ここから
アートは更に難しくなります。
ただ、面白くもなってきます。
前章では時代の変化に伴って、
画家が作品に求めるものが
変わったことを説明しました。
しかし、中にはまだ共通する点も
ありました。
それは、
鑑賞して楽しむということ。
そしてもう1つ、
画家が制作したということ。

画家が内面や想いを表現し始めて、
少しわかりにくくなってきましたが、
それでも彼らの作品は
鑑賞して楽しむものばかりでした。
そこに1917年、
美術界を震撼させたある大事件が
巻き起こります。
それはマルセル・デュシャンが
NYの展覧会で発表した作品、
「泉」です。

この作品は、男性用便器を横にして
サインを書いただけのものです。
みなさんはどう思われますか?
正直、考えたくもない
という人もいるかもしれませんね。
まずこの作品には、
それまでのものと大きく違う点があります。
それは先程あげた2つの共通点です。
- 鑑賞して楽しむ
- 画家(芸術家)が制作した
の2点です。
デュシャンの作品はただの便器です。
これはデュシャンが作ったものではなく、
既製品を横にしてサインを
書いただけのものです。
当時の人々もこれには困惑しました。
「これはアートではない」と
批判の声もありました。
しかし、実はデュシャンの狙いは
そんな部分にありました。
デュシャンは作品を通して
1つの問いをたてます…
ではあなた達のいうアートってなんですか?
そもそもアートってなに?

さて、ものすごく根本的な問いを
デュシャンはたてました。
これを機に1度私たちもアートについて
考えてみましょう。
あなたはどんなものをアートだと
感じますか?
美しいものですか?
鑑賞して楽しめるものですか?
画家が高い技術をもって制作した
ものですか?
デュシャンが出てくる以前の
アートの常識は共通点にもあったとおり、
目でみて愛でるものでした。
デュシャンはそんなアートの常識に
宣戦布告をかましたのです。
また、デュシャンが作品を通して
伝えたかったのは
アートは目で楽しむのではなく、
頭で鑑賞するものだ
ということでした。
ちなみにデュシャンは
「泉」に対して次のような
言葉を残しています。
最も愛好される可能性が
低いものを選んだのだ。
よほどの物好きでもないかぎり、
便器を好む人はいないだろう
この事件以降アートの多様化は
更に進むことになり、
みて楽しむアートではなく、
思考のアートが生まれました。

現代アートも思考のアートの流れを
引き継いでいます。
一連の美術史を知るだけで、
現代アートがそもそも
みるだけのアートではないことが
おわかりいただけたでしょうか?
また、考える必要があるので
難しいのが普通だったりするのです。
まとめ

✓19世紀以前のアートは鑑賞するものだった
✓19世紀以降、自己探求する画家が増えた
✓デュシャンの事件後、思考のアートが生まれた
今回の記事で一番重要なのは、
現代アートは楽しみ方の前提が違う
ところです。
美しいものをみて、
「わぁーすごいな」と
受動的に楽しむものではなく、
「なぜこれを作ったの…?」
「なにを伝えたいの…?」
と考えて初めて完成する
ものになっていったのです。
後半では現代アートは
どう見ればよいのか/楽しめばよいのかを
解説します。
✓現代アートはなぜ難しいのか
✓みるだけでは完結しない
✓思考のアートに至るまでを解説