カラヴァッジョってどんな画家?

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記事の要約

初期バロックを牽引した画家

光と影のコントラスト

✓数々の犯罪歴

 

カラヴァッジョ(1571~1610)は
イタリア初期バロック時代の画家です。

光と影のコントラストで、
劇的な表現の作品を多く手掛けました。

バロック時代の先駆者であるだけでなく、
後世に多大な影響を及ぼした天才の1人です。

この記事では彼の生い立ちや作品について
解説していきます。


カラヴァッジョとは

 

カラヴァッジョ
カラヴァッジョの肖像画
画家の概要

名前
ミケランジェロ・メリージ・
ダ・カラヴァッジョ
生誕
1571年9月29日
死没
1610年7月18日
運動・動向
初期バロック
代表作
「病めるバッカス」
「バッカス」
「ロザリオの聖母」
「聖マタイの召命」など

カラヴァッジョは1571年にミラノ、
あるいはその近郊で生まれました。

そこそこ裕福な家庭で育った
カラヴァッジョでしたが、
6歳の頃にペストが大流行し、
父、祖父、叔父を失いました。

 

ペスト
ペスト

その後13歳で画家修業に入り、
そこから4年間で
緻密な写実表現を磨きました。

19歳の頃には母親をも亡くし、
21歳で単身ローマに出向きました。

 

ローマに出た理由

当時、空前の建築ブームで仕事が多かったためと考えられている

静物画で頭角を現す

 

バッカス
「病めるバッカス」1593年

病めるバッカスはローマに出てきた
カラヴァッジョが、ローマ教皇お気に入りの
チェーザリの工房に入門した時のもの。

ここで花や静物の描写を担当して
その技量を知られるようになります。

ちなみに病めるバッカスのモデルは
病気を患って、回復しつつある頃の
カラヴァッジョ本人だとされています。

その後1594年に画家として独立しました。

聖マタイの召命

 

聖マタイの召命
「聖マタイの召命」1600年

聖マタイの召命は1600年に公開され、
彼の名前が一躍有名となった作品です。

聖マタイの召命を解説

 

評判が高まるにつれて裕福となりますが、
同時に素行不良が目立ち始めます。

公務執行妨害などで監獄にも入れられ、
犯罪記録に頻出するようになりました。

犯罪歴

1600年 傷害事件
1601年 傷害事件
1603年 名誉毀損
1604年 傷害事件
1604年 公務執行妨害(2回)
1605年 銃刀法違反
1605年 名誉毀損
1605年 殺人未遂
1605年 家賃滞納,器物破損
1605年 傷害事件関与
1606年 殺人

バロック美術を切り開く

 

ロレートの聖母
「ロレートの聖母」1604-1606年

聖マタイの召命だけでなく、
彼の他の宗教画も見ていきましょう。

対抗宗教革命の時代、
布教のためのヴィジュアル戦略に乗り出した
カトリック教はカラヴァッジョの作品に
見られるような特徴的な光の描写
大変評価しました。

初期バロック美術/対抗宗教革命を解説

 

システィーナの聖母
ラファエロ「システィーナの聖母」

それまでの宗教画といえば
光の当て方が一様で、
三角形の安定した構図が用いられて
落ち着いた空間表現が特徴的でした。

また、理想的であるが故に
非現実的でもありました。

 

エマオの晩餐
「エマオの晩餐」1601年

しかしカラヴァッジョの作品では
スポットライトのような劇的な表現に加え、
不安定な構図を用いることで
現実感を高める効果もありました。

この比較は
ルネサンスとバロックの違いを
理解する上で非常に重要です。

 

ルネサンスとバロック
  • ルネサンスの特徴
    →光のあたり方が一様
    →三角形の安定した構図
    →理想的な美(非現実的)
  • バロックの特徴
    →スポットライトのような光
    →不安定な構図
    →聖人などを現実的に見せる

逃亡生活

 

犯罪

2週間仕事をしたら、1,2か月は
ほっつき歩いたという証言が残っている
カラヴァッジョ。

名画を次々と生む一方で、
超喧嘩早い性格の彼は
作品数に比例するかの如く、
犯罪歴も増やしていきました。

1606年、賭けテニスの得点争いから
殺人を犯してしまった彼は死刑判決を受け、
逃亡生活に入ります。

ただし皮肉にも、
逃亡期間中が彼の円熟期でもありました。

 

ダヴィデとゴリアテ
「ダヴィデとゴリアテ」1609‐1610年

ダヴィデとゴリアテは
逃亡中に描かれた作品です。

斬首されたゴリアテのモデルは
カラヴァッジョ本人であるとされ、
殺人という罪に対する後悔の念が
込められているのではないかと
解釈する人もいます。

しかし、この作品の制作事情や動機に
ついては何もわかっていません。

ローマを目指すも熱病に倒れる

 

海岸

逃亡中にも数々の
犯罪を繰り返したカラヴァッジョ。
彼はある時、教皇庁から恩赦が出る
という噂を信じて、ローマを目指します。

しかしローマ近郊の地で
誤認逮捕されてしまい、
そこで荷物をすべて失う
トラブルに見舞われました。

その後、彼は熱病にかかってしまい
トスカーナの海岸沿いで息絶えました。
享年38歳でした。

その他の代表作

 

聖マタイの霊感
「聖マタイの霊感」1602年
書斎の聖ヒエロニムス
「書斎の聖ヒエロニムス」1605‐1606年
聖ペテロの否認
「聖ペテロの否認」1609年
洗礼者ヨハネ
「洗礼者ヨハネ」1610年頃

まとめ

 

カラヴァッジョ
まとめ

✓始めは静物画で頭角を現した

光と影の劇的な構図で人気を博した

✓数多くの犯罪も犯し、逃亡中に死去した

個人的な感想ですが、彼が多用した黒には
心の奥深い部分にある悲しみや弱さを
かき消す強さや人間味を感じます。

幼少期の彼が体験した悲しみは
想像も出来ませんが、その逆境を乗り越えて
歴史に名を刻んだのはカッコいいですね。

最後まで読んで頂き、
ありがとうございました。